青色つきこさんこんにちは
この記事は青色つきこさんのカキコとロングトムの紹介が無かったら
読み飛ばしていたかも知れません。
青色つきこさんに感謝します。m(_ _)m
(^0^)は星ナビの定期購読者なので、市販されるよりも少し前に読めます。
最近は所属する天文同好会の刊行物等の紹介とかあり、嬉しい思いです。(余計)
読者離れも最近の傾向で、どこの雑誌も記事の内容に苦労しているとも言えます。
さて、この記事ですが、手慣れた作家さんがルポ風に語っているもので、小説然り。
大佛(おさらぎ)次郎記念館(横浜)に取材陣4名が訪れた内容で、専門知識のある
プラネタリウム解説員だった村松氏が同行しております。(^0^;
女性解説員の案内で館内を見て回るのですが、我々の興味は”ロングトム”であり、
この望遠鏡が事故により対物レンズが換装されている訳とか、FLの違いから鏡筒を
切り詰めた内容とかが語られております。(^0^8
これで写されたコリメート撮影(スマホで)実際の月とかもあり、真実味があります。
「オリオンと猫」の題名ですが、中身は大佛次郎+野尻抱影の活躍した背景と思想が
語られており、今迄(^0^)の知り得なかった事実も数々登場します。
ついでの事に「天文外史」として上記の時代背景とかが合わせて12pに渡って在り、
展示資料の子細?な紹介もあるので、一読して損の無い企画です。(^0^v
惜しむらくは、作者の星の銘々とかがどう思っての事か、今となっては知り得ない
事実でもあるので、子細な時代背景としての”天文”を今少し読みたかったと思ふ。
Re: 野尻抱影氏 生誕140年
Re: 野尻抱影氏 生誕140年
みなさま、こんにちわ。
コメトさま、情報提供ありがとうございます。
アストロアーツのHPを見ていたら星ナビ 2025年3月号の内容が載っており、
連載小説「オリオンと猫 野尻抱影と大佛次郎物語」
天文外史 野尻抱影生誕140周年
とあったのが、気になっておりました。
いろいろ、まだ知られていないようなことが載っているんですねぇ。
読んでみたいと思っております。
コメトさま、情報提供ありがとうございます。
アストロアーツのHPを見ていたら星ナビ 2025年3月号の内容が載っており、
連載小説「オリオンと猫 野尻抱影と大佛次郎物語」
天文外史 野尻抱影生誕140周年
とあったのが、気になっておりました。
いろいろ、まだ知られていないようなことが載っているんですねぇ。
読んでみたいと思っております。
Re: 野尻抱影氏 生誕140年
ご紹介いただき、本屋2軒まわりましたが、売りきれで仕方なくアマゾンで注文しました。
まだですが、楽しみにしてます。
以前エドさんのご紹介もあって、ロングトムを天文古玩の角田さんと見に行ったことがあります。
https://yumarin7.sakura.ne.jp/joytalk/j ... getno10179
ちなみに、話横道ですが、星ナビって年間購読なら毎号1000円で送ってくれるんですね。知りませんでした。
https://www.astroarts.co.jp/article/hl/ ... _subscribe
まだですが、楽しみにしてます。
以前エドさんのご紹介もあって、ロングトムを天文古玩の角田さんと見に行ったことがあります。
https://yumarin7.sakura.ne.jp/joytalk/j ... getno10179
ちなみに、話横道ですが、星ナビって年間購読なら毎号1000円で送ってくれるんですね。知りませんでした。
https://www.astroarts.co.jp/article/hl/ ... _subscribe
プライベートメッセージです
Re: 野尻抱影氏 生誕140年
みなさま、こんにちわ。
本日、買って読んでみました。
「オリオンと猫」の中の「切り詰められた鏡筒」にはロング・トムが出てきます。
ロング・トムの修理の件は、野尻抱影「故小島修介君」『天界』1960年11月号に出ています。
「小島君はいよいよ重用されて、よく地方へ出張させられ、依頼に応ずる講演ももうお手のものだった。
私の"Long Tom"も直してくれたが、断りもなく筒を切りちぢめたのも、彼らしいやり方だった。」
私は、てっきり天頂プリズムの類も使用出来るようにしたのだとばかり、ずっと思っていましたが。
「切り詰められた鏡筒」では「レンズを別のものと交換して、それで焦点距離を合わせるために鏡筒を短くした
というのがこれまでの説だった」とある。(私はこの説は初見、こういう考えもあったんだ、と。)
交換したレンズは誰が磨いたのだろうか。堀口恵助氏? 戦前からの保管品?
この頃の五藤斉三氏は、何に力を入れていたんだろうか。税制、太陽熱利用。
天体望遠鏡は? 小島修介氏が頑張っていた?
「オリオンと猫」、「天文外史」は共に石田五郎「野尻抱影ー聞書"星の文人"伝ー」、リブロポート、1989を
参考にしていると思われる。
とりわけ「天文外史」は、それを種本にしているように見える。
石田五郎氏の「野尻抱影ー聞書"星の文人"伝ー」については、「天文屋 石田五郎さんを偲ぶ」、天文屋 石田五郎さんを偲ぶ刊行会、1995に寄せられたS氏の記述には
「私も抱影に導かれて天文の道に入った者の一人なので、非常に興味をもって読んだ。そして幾つかの疑問と誤りを指摘した手紙を書いた(例えば日本宇宙旅行協会の原田三夫氏との関わりに触れていないことなど)」とある。
私も原田三夫氏についてはそのとおりであり、また小島修介氏に触れないで済ませていること、内田武志氏の評価にはとても疑念がある。私の関心事は細かい事なので、それらに興味が無かったら、別に違和感を抱かないと思う。
S氏も続けて「この本は副題に『聞き書き"星の文人"伝』とあるように、抱影の著書ばかりでなく多数の人々から情報を得てまとめた力作である。」としているので、こだわらなければ、それなりに評価されてもいい本なのでしょうが。
大佛次郎記念館、平塚市博物館の企画展には、とても興味がありますし、他でもあったら行って見たいです。
本日、買って読んでみました。
「オリオンと猫」の中の「切り詰められた鏡筒」にはロング・トムが出てきます。
ロング・トムの修理の件は、野尻抱影「故小島修介君」『天界』1960年11月号に出ています。
「小島君はいよいよ重用されて、よく地方へ出張させられ、依頼に応ずる講演ももうお手のものだった。
私の"Long Tom"も直してくれたが、断りもなく筒を切りちぢめたのも、彼らしいやり方だった。」
私は、てっきり天頂プリズムの類も使用出来るようにしたのだとばかり、ずっと思っていましたが。
「切り詰められた鏡筒」では「レンズを別のものと交換して、それで焦点距離を合わせるために鏡筒を短くした
というのがこれまでの説だった」とある。(私はこの説は初見、こういう考えもあったんだ、と。)
交換したレンズは誰が磨いたのだろうか。堀口恵助氏? 戦前からの保管品?
この頃の五藤斉三氏は、何に力を入れていたんだろうか。税制、太陽熱利用。
天体望遠鏡は? 小島修介氏が頑張っていた?
「オリオンと猫」、「天文外史」は共に石田五郎「野尻抱影ー聞書"星の文人"伝ー」、リブロポート、1989を
参考にしていると思われる。
とりわけ「天文外史」は、それを種本にしているように見える。
石田五郎氏の「野尻抱影ー聞書"星の文人"伝ー」については、「天文屋 石田五郎さんを偲ぶ」、天文屋 石田五郎さんを偲ぶ刊行会、1995に寄せられたS氏の記述には
「私も抱影に導かれて天文の道に入った者の一人なので、非常に興味をもって読んだ。そして幾つかの疑問と誤りを指摘した手紙を書いた(例えば日本宇宙旅行協会の原田三夫氏との関わりに触れていないことなど)」とある。
私も原田三夫氏についてはそのとおりであり、また小島修介氏に触れないで済ませていること、内田武志氏の評価にはとても疑念がある。私の関心事は細かい事なので、それらに興味が無かったら、別に違和感を抱かないと思う。
S氏も続けて「この本は副題に『聞き書き"星の文人"伝』とあるように、抱影の著書ばかりでなく多数の人々から情報を得てまとめた力作である。」としているので、こだわらなければ、それなりに評価されてもいい本なのでしょうが。
大佛次郎記念館、平塚市博物館の企画展には、とても興味がありますし、他でもあったら行って見たいです。
Re: 野尻抱影氏 生誕140年
みなさま、こんにちわ。
野尻抱影氏の「新星座めぐり」1946-7のはしがきには
「野尻抱影 東京都世田谷区桜新町にて」
と記されていますし、桜新町という名称はよく出てきます。
しかし、当時、桜新町という玉川電鉄の駅はあったが…。
1968年の住居表示実施までは行政上の町名として桜新町はありません。
野尻抱影氏は1968年時点では既に世田谷用賀に転居していました。
転居前の野尻抱影氏の住所(地番)は世田谷区深沢町四丁目六五で、野尻抱影氏が言うところ
の桜新町でした。では、野尻抱影氏が記している桜新町とは。
大正2年に東京信託(株)が駒沢村・玉川村に跨がる7万1千坪を宅地として開発・分譲した
郊外住宅地。
分譲申込は「軍人官公吏銀行会社員学生実業家等」で、「棟割り長屋は町の美観を損ねると
して作らない」というものでした。
その住宅地の名称が"新町"、後に"桜新町"に変更。
官報を見ると大正15年8月9日に財団法人新町親和会が設立されており、
昭和13年9月9日に名称を財団法人桜新町親和会に変更されています。
住民が自ら創ったコミュニティです。後には深沢町四丁目の町会。
この住宅地に野尻抱影氏の父が購入し、野尻抱影氏が引き継いだ家屋があり、
ここの地番は世田谷区深沢町四丁目六五でした。
なお、桜新町の自然環境については、「浜に生れて」『鶴の舞』1972の中で語られています。
野尻抱影氏にとっては、深沢町四丁目ではなく桜新町なんですねぇ。
野尻抱影氏の「新星座めぐり」1946-7のはしがきには
「野尻抱影 東京都世田谷区桜新町にて」
と記されていますし、桜新町という名称はよく出てきます。
しかし、当時、桜新町という玉川電鉄の駅はあったが…。
1968年の住居表示実施までは行政上の町名として桜新町はありません。
野尻抱影氏は1968年時点では既に世田谷用賀に転居していました。
転居前の野尻抱影氏の住所(地番)は世田谷区深沢町四丁目六五で、野尻抱影氏が言うところ
の桜新町でした。では、野尻抱影氏が記している桜新町とは。
大正2年に東京信託(株)が駒沢村・玉川村に跨がる7万1千坪を宅地として開発・分譲した
郊外住宅地。
分譲申込は「軍人官公吏銀行会社員学生実業家等」で、「棟割り長屋は町の美観を損ねると
して作らない」というものでした。
その住宅地の名称が"新町"、後に"桜新町"に変更。
官報を見ると大正15年8月9日に財団法人新町親和会が設立されており、
昭和13年9月9日に名称を財団法人桜新町親和会に変更されています。
住民が自ら創ったコミュニティです。後には深沢町四丁目の町会。
この住宅地に野尻抱影氏の父が購入し、野尻抱影氏が引き継いだ家屋があり、
ここの地番は世田谷区深沢町四丁目六五でした。
なお、桜新町の自然環境については、「浜に生れて」『鶴の舞』1972の中で語られています。
野尻抱影氏にとっては、深沢町四丁目ではなく桜新町なんですねぇ。
Re: 野尻抱影氏 生誕140年
みなさま、こんにちわ。
私は、今回の企画展に合わせて大佛次郎記念館に行くことはできませんでした。
それはそれとしても、野尻抱影氏の旧蔵書は見てみたいです。
生誕130年、140年と来ているので、次回は150年でしょうか。
さて、大佛次郎記念館では生誕140年を記念しデジタルアーカイブで旧蔵書の一部を
公開しています。
書名リストで、その中の87件が洋書ですが、なかなか興味深いものです。
現時点では、まだ蔵書の全体像が明らかになっていません。
その中にあるAlan Garner,The Moon of Gomrath,1965ですが、初版は1963年で、
邦訳には久納泰之(訳)「ゴムラスの月」評論社1970があります。
何で、どうして、蔵書の中にあるのか知る術もありませんし、
なぜ、今回の公開の中にあるのか、理由もわかりませんが。
(野尻抱影氏自身が買い求めたのだとして)
私は、いろいろ想いをめぐらしました。
また、野尻抱影氏の随筆の中には、小島修介氏を主題にしたものがあり、とても貴重な
資料だと私は思っています。(「軍靴」「緒絶の橋」等)
小島修介氏側からの野尻抱影氏に関しての著述で親密性を示す記述は限られます。
「秘蔵のバジル・ブラウンの本をお借りした云々」とある程度でしょうか。
この本も今回公開された中にあります。
私は、今回の企画展に合わせて大佛次郎記念館に行くことはできませんでした。
それはそれとしても、野尻抱影氏の旧蔵書は見てみたいです。
生誕130年、140年と来ているので、次回は150年でしょうか。
さて、大佛次郎記念館では生誕140年を記念しデジタルアーカイブで旧蔵書の一部を
公開しています。
書名リストで、その中の87件が洋書ですが、なかなか興味深いものです。
現時点では、まだ蔵書の全体像が明らかになっていません。
その中にあるAlan Garner,The Moon of Gomrath,1965ですが、初版は1963年で、
邦訳には久納泰之(訳)「ゴムラスの月」評論社1970があります。
何で、どうして、蔵書の中にあるのか知る術もありませんし、
なぜ、今回の公開の中にあるのか、理由もわかりませんが。
(野尻抱影氏自身が買い求めたのだとして)
私は、いろいろ想いをめぐらしました。
また、野尻抱影氏の随筆の中には、小島修介氏を主題にしたものがあり、とても貴重な
資料だと私は思っています。(「軍靴」「緒絶の橋」等)
小島修介氏側からの野尻抱影氏に関しての著述で親密性を示す記述は限られます。
「秘蔵のバジル・ブラウンの本をお借りした云々」とある程度でしょうか。
この本も今回公開された中にあります。
Re: 野尻抱影氏 生誕140年
さすが、青色つきこさん。掘り下げてますね。
私のほうは、学芸員さんのメールで問い合わせたのですが、やはりレンズを破損させた状況は詳しく残ってないとのことです。
また、接眼レンズが無くなっている件とかも。
一般的に壊してしまったら、壊した人(どっかの天文台の若い職員?)の責任で日本光学で修理するのが普通ですよね。その後のメンテのことも考えて。
ただ、レンズだと相当高額な修理代を請求されそうなことも容易に想像がつきます。そんなこともあって、まあまあと太っ腹な先生が「直しとくよ」と小島氏に頼んだのもありえるこことも思います。
ちなみ季節を変えて、また観望会は開催されるようです。
私のほうは、学芸員さんのメールで問い合わせたのですが、やはりレンズを破損させた状況は詳しく残ってないとのことです。
また、接眼レンズが無くなっている件とかも。
一般的に壊してしまったら、壊した人(どっかの天文台の若い職員?)の責任で日本光学で修理するのが普通ですよね。その後のメンテのことも考えて。
ただ、レンズだと相当高額な修理代を請求されそうなことも容易に想像がつきます。そんなこともあって、まあまあと太っ腹な先生が「直しとくよ」と小島氏に頼んだのもありえるこことも思います。
ちなみ季節を変えて、また観望会は開催されるようです。
プライベートメッセージです