ホーンアンテナによる中性水素輝線観測会@天体望遠鏡博物館
Posted: 2025年3月21日(金) 15:19
電磁波を集めるということでホーンアンテナも天体望遠鏡の仲間とは言えないことはないですが・・
そのイベントです。
募集自体が、遅すぎて直前の募集です。予約無くて来てくれるだけでOKです。 <説明資料転載>
〇21cm波の電波天文学の歴史的背景など(概略)
第2次大戦中の1940年に、電波天文学の偉大な創始者であるリーバー(Grote Reber)が、アメリカ天文学会の雑誌に掲載した宇宙電波の論文が、その当時、ドイツ占領下にあったオランダのライデン大学にも届いていました。
1944年、ライデン天文台で、台長のオールト(J.H.Oort)を中心に電波天文学の将来についての研究会が開かれました。当時の一学生であったファン・デ・フルスト(H.van de Hulst)は、宇宙電波の天文学における可能性に関して検討を依頼されました。
そして、彼は、中性水素原子が超微細構造線として波長21cmの電波を出すことを明らかにしました。
戦後、この水素探しがいくつかの国で競って行われました。先陣を切っていたのはそのオールト達でしたが、受信機室が火事にあって、一番乗りには遅れてしまったのです。
最初に検出したのは、アメリカ・ハーバード大学のユーインたち(H.I.Ewen)でしたが、その3か月の内にオールト達のグループとオーストラリアのシドニー大学でも水素の21cmスペクトル線の検出に成功し、この3グループの結果が仲良くネーチャー誌に掲載されたのです(1951年)。
宇宙を構成する元素は、数にしてほぼ90%が水素です。つまり、中性水素は、星間ガスの主成分であり、高温では光を出しますが、低温では、波長21cmの電波を出します。波長が長いので、透過力が強く、天の川銀河全体の渦巻き構造をはじめて明らかにすることにつながったわけです。
そのイベントです。
募集自体が、遅すぎて直前の募集です。予約無くて来てくれるだけでOKです。 <説明資料転載>
〇21cm波の電波天文学の歴史的背景など(概略)
第2次大戦中の1940年に、電波天文学の偉大な創始者であるリーバー(Grote Reber)が、アメリカ天文学会の雑誌に掲載した宇宙電波の論文が、その当時、ドイツ占領下にあったオランダのライデン大学にも届いていました。
1944年、ライデン天文台で、台長のオールト(J.H.Oort)を中心に電波天文学の将来についての研究会が開かれました。当時の一学生であったファン・デ・フルスト(H.van de Hulst)は、宇宙電波の天文学における可能性に関して検討を依頼されました。
そして、彼は、中性水素原子が超微細構造線として波長21cmの電波を出すことを明らかにしました。
戦後、この水素探しがいくつかの国で競って行われました。先陣を切っていたのはそのオールト達でしたが、受信機室が火事にあって、一番乗りには遅れてしまったのです。
最初に検出したのは、アメリカ・ハーバード大学のユーインたち(H.I.Ewen)でしたが、その3か月の内にオールト達のグループとオーストラリアのシドニー大学でも水素の21cmスペクトル線の検出に成功し、この3グループの結果が仲良くネーチャー誌に掲載されたのです(1951年)。
宇宙を構成する元素は、数にしてほぼ90%が水素です。つまり、中性水素は、星間ガスの主成分であり、高温では光を出しますが、低温では、波長21cmの電波を出します。波長が長いので、透過力が強く、天の川銀河全体の渦巻き構造をはじめて明らかにすることにつながったわけです。