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(仮称)カクエー赤道儀

Posted: 2023年6月26日(月) 21:59
by ガラクマ
昭和30年代にはすでにあった赤道儀架台、あちこちで採用されたのは添付する写真の赤道儀でした。
ロクロ首と呼んでいる赤道儀より、少し早かったのではないかと思います。
キング商会(コル)、ケンコー、カートン、ニコー技研、スリービーチ、ダウエル .etc.
ロクロ首赤道儀と共に、多くのブランドで販売されました。

今後この架台を話題にするのに、名前を考えてました。
特徴が無い形状ですが、極軸を支える部分は四角くくてA型というのが、あえていう特徴かもしれません。
「カクエー型」でいかがでしょうか?
当時、活躍していた田中角栄さんのイメージからは少しズレてますが、まあいいでしょう :?:

さてこの赤道儀、相当長寿です。今あるか分かりませんが、少なくとも平成の時代もあったと思います。
ロクロ首には劣りますが、双璧と思います。
また、これをベースとしたのではないかと思う赤道儀も多く作られました。

そして謎が、極軸北側のキャップネジが、この赤道儀から、エイコー、ビクセンポラリス、アストロ、タカハシの赤道儀迄すべて共通なんです。
このキャップネジも焦点教理910㎜と同様、謎として思ってましたが、まずはこの赤道儀の素性を知りたいものです。

Re: (仮称)カクエー赤道儀

Posted: 2023年6月29日(木) 19:59
by 青色つきこ
原形は、小島修介氏が設計したアストロ光学S型赤経台ですねぇ。赤道儀兼経緯台。
小島修介氏は、新しい架台について1954年には示唆していますので、既にアイデアは
生まれていたのでしょう。1955年夏には完成しています。実用新案は1956年1月に出されています。
1958年2月アストロ光学(株)の倒産後でしょうか、コピーが現れてきたのは。
実用新案の公告は1958年で、小島修介氏がアストロ光学(株)の同僚らと設立したマクロ光学工業(株)
が権利を持っていました。

なお、ガラクマ様の指摘されているキャップのネジの件ですが、原形はアストロ光学S型赤経台と
考えて良いと思います。サイズ同じです。

スリービーチのK型赤道儀、カタログを見てて、これいいなあと思った記憶があります。
Kは、小島修介氏のKだったのでしょうか。

Re: (仮称)カクエー赤道儀

Posted: 2023年7月03日(月) 20:49
by (^0^)コメト
ガラクマさん、青色つきこさん、皆さんこんばんは
カクエー赤道儀、イイデスネー!(^0^)(タナカカクエー?)

余計なご負担を貴殿の頭脳に掛けるようで、申し訳ございません。
(^0^)の脳味噌は先日のここへの書き込みミスで未だ混乱の
範疇を出ておりませんで、皆様の冴えた頭脳に頼るのみです。

えーと本題ですが、ここの別スレ★魔改造★レスにあります、
(^0^)のT社製赤道儀ですが、実は天文同好会の知人から
寄贈されていた物で、T社の型番分類を知らないので、改造前の
物を勝手にS型としております。(買えなかったのも事実)

。。で、記憶では確かT社の初期品は天体望遠鏡とセットで販売、
そのシステムを確かT型と呼んでいたのでは?と思います。
つまりはその赤道儀はアストロのと同じ型番であるように思うと
元祖小島式と同じで、そこからT型が生まれたようにも取れます。

もしそうであるなら、T社は独自の型番を使ってなくて、かの
アストロが元祖ではなからふか?と考えております。
なるほど板橋モンのルーツを感じるようでもあり、実際のとこ
どうなんでせうネ?何方か冴えた頭でご教示下さい。m(_ _)m

Re: (仮称)カクエー赤道儀

Posted: 2023年7月03日(月) 22:05
by ガラクマ
何回も引用させて頂きますが、(星の手帳 1980冬)高橋喜一郎氏がこのようにインタビューに応えてます。
 当社がTS式のブランド名で、天体望遠鏡を送り出したのは、昭和42年10月のことで、65㎜屈折赤道儀が初陣を切って市販された。その屈赤の設計者は、当時著名なアマチュア天文家であった故小島修介氏で、同氏が設立し、社長でもあった、日本テレスコープ社で製造され、米国のスイフト社に輸出されていた。当社は、そのころ鋳造業者として日本テレスコープ社より受注していた。昭和30年初めのことで・・・

 コメトさんの赤道儀は、その後、小島氏がお亡くなりになってから出たもので、初期のものとは違いますが、極軸の固定部がカクエー型、アストロS型と同じ経緯台共有型となってます。

 スイフト社へ輸出していたものはエイコーと同じ赤道儀に載っていたので、(仮称)エイコー型赤道儀も小島氏設計、高橋製作所製造の可能性が高いと思いますが、エイコーのSWIFTと同じ望遠鏡は東邦光学が作っていたとのことですので、後は部品単位の仕分けでしょうか。

 エイコー型赤道儀は少なくとも1960年にはありましたので、同じキャップネジのカクエー型赤道儀も設計は小島氏でしょうか。
ただ、鋳物は違うかもしれません。全て想像ですが。

Re: (仮称)カクエー赤道儀

Posted: 2023年7月05日(水) 19:55
by (^0^)コメト
ガラクマさん、ご教示ありがとうございます。m(_ _)m

。。てことはこれもカクエー型の一派であったようすネ。
キヤノ〇の鋳物下請けであったT社が世に出した望遠鏡の
初期物ですネ。

イロイロとこの型番の想像を巡らしており、
一つは板橋モンの意味でアスト〇が冠していたSを継承。
次がタカハ〇のTをそれに追加してとかじゃーなかろうかと。。
又は、高〇製作所の略称としてTSにしたとか。。

想像が膨らみますが、天体望遠鏡一式として銘々しており、
バラシて使っているといつのまにかTが取れてしまった。。
スークーさんにもお聞きしましたが、理解には達してません。

※このカクエー型の銘々はガラクマさんなんですが、どうも
定着しそうで、良かったですネ。以後にご期待(^0^)
そういえばロクロックビ。。もガラクマさんと思うとよ!ゴットファザー!

Re: (仮称)カクエー赤道儀

Posted: 2023年7月06日(木) 09:22
by 青色つきこ
ガラクマ様、コメト様
みなさま、こんにちわ。

やっぱり、小島修介氏になってしまいますが。

TS式65mm屈赤はS型赤道儀ですが、SはアストロS型赤道儀へのオマージュなのかもしれません。

ASSEMBLY AND INSTRUCTION MANUAL for SWIFT REFRACTOR TELESCOPEには以下の記載があります。

Your Swift refractor telescope was designed by Dr.Shusuke Kojima,of Tokyo,Japan,one of
the World 's foremost authorities on the design of observatory instruments.

スイフトのこの説明書は、日本で印刷されたものです。
誰が小島修介氏についてのこの一文を入れたのか、ずっーと、とても気になっています。今も。
候補としては、スイフト・インスツルメンツの東京支店長の松田氏、或いはしかかり品を完成させた高橋氏。

どうして、スイフト(支店長の松田氏と推測しますが)が高橋氏に残された製品を完成させるように依頼したのか。
そもそも、高橋氏は検査機器をどう調達したのか。日本テレスコープの設備は、どうなってしまったのか。
高橋氏は、日本テレスコープの設備を使用したのか。疑問だらけ。
高橋製作所は、鋳物を納めていたのであり、光学系は別会社が造っていたのだし。疑問だらけ。
コロンビア光学もあったのに。

ところで、高橋喜一郎氏へのインタビューは、「星の手帳」のものの他にもう一つありますので、関係個所を
抜粋しておきます。(「ルポルタージュ●路上の達人たち⑦⑧天体望遠鏡製造(上)(下)」『企業年金』1992.10-11)

「双眼鏡のボディも鋳物ですからそういうところと取引している※1うちに、私の個人的な天文のお師匠さんで、
これも望遠鏡メーカーとしては老舗なんですが五藤光学という会社に勤めていた人が独立して日本テレスコープ
という会社を作ったんです※2。ところが、お酒が過ぎてその人が脳溢血で急死しちゃった。で、そこに製品を作ら
せていたアメリカのスイフトって会社が、あたしが天文好きだっての知ってたから、あんたやる気があったらひと
つまとめてくれねェか、ってそのしかかりになった製品をなんとかしてくれって言ってきた。それで初めて会社
として望遠鏡をやり始めたんです。昭和三四、五年頃ですね※3」

青色つきこ註※1 双眼鏡鏡体製造メーカーに鏡体の鋳物を卸していたと推測します。
註※2 小島修介氏の経歴は今でこそ明らかにできます。
        (古くからの天文ファンの方は、ご存知だったと思います)
1951年春頃、五藤光学退社、個人で天象普及協会設立、1952年末頃 旭光学入社
        1954年11月 アストロ光学(株)設立 1958年2月 退社、
        1958年3月  マクロ光学工業(株)設立
        1959年 日本テレスコープ工業(株)設立 1960年5月 逝去
        五藤光学から日本テレスコープに飛ぶには、それなりの理由があるわけで、高橋氏もそれを
        慮ってのことと思います。
     註※3 小島修介氏が昭和35年5月に亡くなりました。それから考えると昭和35年です。


エイコーが、なぜスイフト似の天体望遠鏡を扱っていたのか。
その関係についても、気になっているところですが。
エイコーは、1952年に宮川氏が映光社として設立した会社で、事業拡大に伴い1962年頃に社名を変更しました。
なお、創業は1936年とも37年とも記されています。双眼鏡の輸出で伸びたようです。
映光社がスイフト似の赤道儀を販売していたのは、1961年まで遡って確認はできます。
東邦光学工業が本格的に天体望遠鏡の製造に乗り出した時期についての推測は1960年10月。
ただし、もっと情報がほしいところです。

ガラクマ様が名付けたロクロクビですが、ブロークンヘッド型と言われているもので、極軸が北側に長く伸びている
もので、天頂の観測に有利です。小島修介氏が旭光学時代に設計した六吋屈折式赤道儀はブロークンヘッド型です。
また、高橋製作所のD型赤道儀もブロークンヘッド型です。東和光器製作所のTE型は、理に適ってはいますが、......。

Re: (仮称)カクエー赤道儀

Posted: 2023年7月06日(木) 11:23
by ガラクマ
ろくろ首の名づけ親は、私でなくてスークーさん? どなたか忘れてしまいましたが、私ではなかったかと思います。
ガラクマは、確かコメトさん。・・・とか、ちょっと横道ですが。

1950年代。謎がおおいですね。
古老斉藤さんから頂いた写真。この辺りの方に聞けたらいいのですが。すでに手遅れ感ありますね。

Re: (仮称)カクエー赤道儀

Posted: 2023年7月17日(月) 11:42
by 青色つきこ
みなさま、こんにちわ。

ケンコーのTA-910は、910mm&カクエー赤道儀の両方に該当します。
ケンコーが独自製品を市場に送り出したのは1975年でした。KE型赤道儀をかわきりにKA型経緯台と続きました。
ヨーク型経緯台、ロクロ首(TE型)赤道儀の製品は東和光器製作所から供給されたものでしょうが、
TA-710,TA-910,TA-1200,TA-1250は奥川機械工業の製品だと推測します。
奥川機械工業は、1953年設立で輸出向けの望遠鏡を製造してきた会社です。
古スコ広場のNO.11867でエド様が指摘しているとおり、サークルK及びサークルOを使用していたようです。
サークルKがケンコーを指すとしたら、奥川機械工業は供給先のケンコーのトレードマークを使用していただけ。
なお、サークルKについては、奥川Oku kawa Kikai Kougyu のオー "O"の中にケイ"K"を入れたものとも解せます。
奥川機械工業のトレードマークはO.K.K.Kですが、長すぎるので、自社ブランドで販売する以外はサークルKを
使用したとも考えられます。