今後の古スコ調査の行方について

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青色つきこ
記事: 196
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
お住まい: 日本/Japan

今後の古スコ調査の行方について

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちわ。

ガラクマさまの調査対象の一つは、ダウエルでした。

私が思うに、"Dauer"は、期間、継続、永恒とかの意味らしいので、"永遠に続く"という意味合いでしょうか。
吉岡駿氏の尊父 美濃助については、公開されている資料では炭鉱・鉄道会社に在籍していたのを確認できる
程度にすぎません。
駿氏は、その幼年時代は炭鉱の町で過ごしたのかもしれません。
師範学校を卒業し、東京に出ますが、どういう経緯だったのでしょう。
ある紳士録には、従兄として太平洋戦争開戦時の水路部長S中将の名が記されています。
尊父 美濃助の姉妹が嫁いだのでしょうか。S中将との関係は駿氏の事業の後押しになったのか。
戦時中の駿氏の動向は、明確には見えてきません。
また、戦後の成東商会の成り立ちについても見えてきません。
S中将の尊父 は教育関係者でしたが、駿氏にも何等かの影響を与えたのでしょうか。
ラジオ番組のスポンサーになったのは、小島修介氏のアストロ光学(株)が先鞭だと考えていますが、吉岡駿
氏の成東商会orダウエルもスポンサーになっています。
この件については、いずれ調べてみようとは思っていましたが、別にやるべきことがあり後回しになっていま
した。(小島修介氏、野尻抱影氏の調査にまだかかりっきりです。)
吉岡駿氏を調べていくと、私もとても魅力的な人物に思えてきました。
私はダウエル望遠鏡よりも吉岡駿氏に魅かれます。
私の調査方向とガラクマさまの調査方向では微妙に異なります。
今後、ガラクマさまのダウエル研究をしっかり引き継いでくれる方が、出てきてくれることを願ってやみません。

時間が許せば、ガラクマさまの望遠鏡市場動向調査、ユニトロン6インチについても私の思いを記せるかもしれません。
青色つきこ
記事: 196
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
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Re: 今後の古スコ調査の行方について

投稿記事 by 青色つきこ »

戦後の日本の光学産業は輸出産業であり、外貨獲得の花形産業です。
双眼鏡はメーカーの乱立、安売り等で輸出調整が必要なほどでした。

私の個人的な思いとしては、
戦後、民間貿易が再開され、天体望遠鏡(双眼鏡・顕微鏡も)が輸出されるに至るまでの経緯はどのようなものだったのか。
1947年に東京精密機器工業協同組合(理事長:五藤斉三)が設立されましたが、もっと注目されて良いと思います。
これは精密機械製造業102者の団体で、貿易に関する製品の陳列、紹介、宣伝;貿易に関する調査・斡旋等を目的としてい
ました。
日本精光研究所の例についても、東京貿易館に出品した製品が米国の業者の目にとまったという流れになるのかと、思い
ます。
米国の業者が、直接、日本の製造業者に接するまでには一定の手順があったものと考えられますし、更に、輸出の書類
手続きにもきまった手順があります。まだ、いろいろな制限があった時期です。
そのため、当時の貿易の制度を確認しておく必要を感じます。更に、輸出関連の法規を知っておく必要を感じます。

1953年当時、望遠鏡製造のシェアーNo.1は旭光学工業であり、双眼鏡の売上と共にカメラ開発を支えていました。
1954年にアストロ光学(株)が設立され、1955年にその製品が輸出されるようになりました。
輸出用天体望遠鏡メーカーも次々に現れてきました。
大竹、奥川、東和、東邦などなど、双眼鏡メーカー・顕微鏡メーカーと重なるメーカーもあります。
橘は、東和の山本氏が勤めていたところですが、望遠鏡は製造していましたが、天体望遠鏡はどうなのか、その辺はよく
わかりません。まだまだ、わからないことだらけです。
調査研究のための資料が、どこにあるのか、残っているのか等、先が見えない調査でもあります。


 
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