”マイナー”とか”知名度が低い”いうと失礼に当たるかもしれませんが、お許しください。
実際、あまり詳しく知らないメーカーさん、挙げてみます。
過去ルーフエー光学さんでも、盛上りましたが、たぶんたくさんありますね。
単に、下請けで表に出てこなかったメーカーさんや、古すぎて資料にないメーカーさん。
気にならない時は、こんなのあったんだ~。ってことで見とばしてしまいますが、気になり始めると忘れません。
例えば、古スコ広場で既出かもしれませんが、天界S24年4号別冊の広告の「三光科學研究所」。
広島市というのが、目にとまります。
マイナー? 知名度が低い望遠鏡屋さん
Re: マイナー? 知名度が低い望遠鏡屋さん
みなさま、こんにちわ。
三光科学研究所ですか、..........。
その広告にもあるように、村上忠敬氏、日本天文教育研究会 (広島高師天文気象研究室内)ととても関係が深かったと
思います。何かに載っていた村上忠敬氏の自身の回想の中に出てきたような......、どれだったか、はっきりしません。
天文教育の普及のためだか、なんだかで、関係していたような。どこで見たのか、探してみたのですが。
三光科学研究所は本社は広島市ですが、手持ちの資料には、支社が大阪市と熊本市と記されています。
三光科学研究所ですか、..........。
その広告にもあるように、村上忠敬氏、日本天文教育研究会 (広島高師天文気象研究室内)ととても関係が深かったと
思います。何かに載っていた村上忠敬氏の自身の回想の中に出てきたような......、どれだったか、はっきりしません。
天文教育の普及のためだか、なんだかで、関係していたような。どこで見たのか、探してみたのですが。
三光科学研究所は本社は広島市ですが、手持ちの資料には、支社が大阪市と熊本市と記されています。
Re: マイナー? 知名度が低い望遠鏡屋さん
そう言われてみると、望遠鏡の名前の付け方がちょっとすましてますね。当時のインテリのイメージがあります。
広島高等師範学校の先生の口添えがあったら、広島の学校は買いそうです。
青色つきこさんとか、他にたくさん知ってそうですね。
広島高等師範学校の先生の口添えがあったら、広島の学校は買いそうです。
青色つきこさんとか、他にたくさん知ってそうですね。
プライベートメッセージです
知名度が低い望遠鏡屋さん 天体光機研究會事務所
これも古いパンフですが、天体光機研究會事務所のものです。
滋賀県ということで京大系でしょうか。マーキュリー反射望遠鏡は、中村要氏の50㎜卓上反射と似てます。
興味深いのが代理店で、大坂の代理店として服部時計店光学部(心斎橋)というのがあります。
服部時計店光学部が心斎橋にあったのでしょうか。東京の服部時計店は記載がありません。
”事務所”と言うのも不思議です。
滋賀県ということで京大系でしょうか。マーキュリー反射望遠鏡は、中村要氏の50㎜卓上反射と似てます。
興味深いのが代理店で、大坂の代理店として服部時計店光学部(心斎橋)というのがあります。
服部時計店光学部が心斎橋にあったのでしょうか。東京の服部時計店は記載がありません。
”事務所”と言うのも不思議です。
プライベートメッセージです
Re: マイナー? 知名度が低い望遠鏡屋さん
みなさま、こんにちわ。
ガラクマさま、続けてマイナーというか、正体が定かでないというか。
名前は知られてはいるとは思いますが。はっきり、わかりませんが、一応、思っているところを。
天体光機研究会は戦後再刊された「天界」に天体望遠鏡に関しての記事を執筆しています。
天体光機研究会とは何か、どういう集まりなのか、メーカーなのか。いまいち、よくわかりません。
荒木九皐氏が「天界」35(356)、1954に「三重大学学芸学部の天体観測設備について」という記事を書いておられます。
ここの30cm反射式赤道儀が天体光機研究会製で、鏡面製作が堀井勝好氏であったことがわかります。
8cm屈折、22cm反射式天体カメラ(ニュートン式)が同架されています。
荒木氏は、天体光機研究会から是非製作させてくれと依頼された旨、出来が悪い場合は最後まで直させる約束をさせた旨、
天体光機研究会が奉仕的な努力をしてくれた旨を記しています。
ところで、荒木氏とともに昭和9年に京大理学部を卒業された方に堀井政三氏がおられます。
専門は天体機械学で、戦中のOAAでは写真課長をされていました。住所は大津市鹿関町です。
戦後の京大では天体望遠鏡の構造、写真望遠鏡の設計・製作の講座を担当していたようです。
京大生駒太陽観測所長、京大講師(太陽物理学)
なお、荒木九皐氏(あらききゅうこう)は三重大学学芸学部教授(超巨星の大気)
綜合的に考えると天体光機研究会と堀井政三氏とはかなり関係が深いと思っています。
ガラクマさま、続けてマイナーというか、正体が定かでないというか。
名前は知られてはいるとは思いますが。はっきり、わかりませんが、一応、思っているところを。
天体光機研究会は戦後再刊された「天界」に天体望遠鏡に関しての記事を執筆しています。
天体光機研究会とは何か、どういう集まりなのか、メーカーなのか。いまいち、よくわかりません。
荒木九皐氏が「天界」35(356)、1954に「三重大学学芸学部の天体観測設備について」という記事を書いておられます。
ここの30cm反射式赤道儀が天体光機研究会製で、鏡面製作が堀井勝好氏であったことがわかります。
8cm屈折、22cm反射式天体カメラ(ニュートン式)が同架されています。
荒木氏は、天体光機研究会から是非製作させてくれと依頼された旨、出来が悪い場合は最後まで直させる約束をさせた旨、
天体光機研究会が奉仕的な努力をしてくれた旨を記しています。
ところで、荒木氏とともに昭和9年に京大理学部を卒業された方に堀井政三氏がおられます。
専門は天体機械学で、戦中のOAAでは写真課長をされていました。住所は大津市鹿関町です。
戦後の京大では天体望遠鏡の構造、写真望遠鏡の設計・製作の講座を担当していたようです。
京大生駒太陽観測所長、京大講師(太陽物理学)
なお、荒木九皐氏(あらききゅうこう)は三重大学学芸学部教授(超巨星の大気)
綜合的に考えると天体光機研究会と堀井政三氏とはかなり関係が深いと思っています。
Re: マイナー? 知名度が低い望遠鏡屋さん
さすがい詳しいというか、調査能力凄いですね。
京大系だとしたら、昭和15年に関西光学ができ、西村製作所との出入りは多かったと聞いていおります。
カタログは、これ以外ありません。
せめて住所から何か、と思ってもたどれません。
京大系だとしたら、昭和15年に関西光学ができ、西村製作所との出入りは多かったと聞いていおります。
カタログは、これ以外ありません。
せめて住所から何か、と思ってもたどれません。
プライベートメッセージです
Re: マイナー? 知名度が低い望遠鏡屋さん
次は、ゴールドカメラ工業所です。紙が薄すぎて、裏の字が透けて、書いていることが分かりにくいです。
目で見てもわかりにくいのでスキャンしたらよけいにです。画像処理しても色が同じですので、うまくいきません。
困ったものです。
はじめ、どっかの製品を売っているだけの販売店と思ってましたが、{ゴールド優秀レンズ使用}とか書いてあるので、オリジナル品でしょうか?
アクロマートを選べ、価格から昭和10-13年くらいでしょうか。
目で見てもわかりにくいのでスキャンしたらよけいにです。画像処理しても色が同じですので、うまくいきません。
困ったものです。
はじめ、どっかの製品を売っているだけの販売店と思ってましたが、{ゴールド優秀レンズ使用}とか書いてあるので、オリジナル品でしょうか?
アクロマートを選べ、価格から昭和10-13年くらいでしょうか。
プライベートメッセージです
Re: マイナー? 知名度が低い望遠鏡屋さん
裏が透ける時は、スキャナーの押さえ板に黒い紙を貼ってスキャンすると緩和したことがあります。油紙やトレーシングペーパーみたいに薄いと流石に効果は薄いですが。
Re: マイナー? 知名度が低い望遠鏡屋さん
みなさま、こんにちわ。
ガラクマさま、これはまた.........すごいものを。
五藤光学研究所も同業者が出てきて、更に高級品を作るようになったようですが、時期的にその同業者の一つでしょうか。
戦後の雑誌「科学の友」1950にも同社の広告は見受けられますが、映写機・小型カメラ、万年筆、美顔器です。営業品目
には光学品、レンズ、カメラ用フィルムもあります。
合資会社ゴールドカメラ工業所 (東京都豊島区池袋3-1643)
ところで、私のなかでの「マイナー?」は戦後~アサヒフレックス発売の期間におけるの天体望遠鏡メーカーとしての
旭光学工業です。
ヨーク型の60mm屈折式経緯台Jupiterは小島修介氏が、旭光学工業に在職していた頃(1952~1954)のものですが、旭光学工業
の製作した最初の天体望遠鏡については、なかなか情報がありません。1947年の日食に際して、作ったのが初号機と
思われます。
「昭和22年、現社長松本三郎氏を中心に会社再建への努力が開始された。おりしも北海道で日食があり、これをあてこんで天体
望遠鏡を作ったり、学童用の光学教材を売ってみたり、苦しい日々を重ねたが、昭和23年、輸出に活路を開き、昔取ったきね
づかで、ミクロン型オペラグラスの製造を開始、海外の好評を博し、昭和26年まで業界1位の成績をもって10万台の輸出を
記録した。」 (「世界のカメラ」朝日新聞社1967)
その他にも、「双眼鏡・天体望遠鏡をほそぼそと作って輸出で食いつないでいた」とか、望遠鏡の生産台数1万台とかありま
すが、判然としません。
フォーク型の60mm屈折式経緯台Jupiterは、さすが旭光学工業の製品だけあって、アダプターを介してでしょうがアサヒフレックスを直に取り付けて、直焦点撮影ができたようです。超望遠レンズです。
(訂正) ヨーク型ではなくフォーク型でした。
ガラクマさま、これはまた.........すごいものを。
五藤光学研究所も同業者が出てきて、更に高級品を作るようになったようですが、時期的にその同業者の一つでしょうか。
戦後の雑誌「科学の友」1950にも同社の広告は見受けられますが、映写機・小型カメラ、万年筆、美顔器です。営業品目
には光学品、レンズ、カメラ用フィルムもあります。
合資会社ゴールドカメラ工業所 (東京都豊島区池袋3-1643)
ところで、私のなかでの「マイナー?」は戦後~アサヒフレックス発売の期間におけるの天体望遠鏡メーカーとしての
旭光学工業です。
ヨーク型の60mm屈折式経緯台Jupiterは小島修介氏が、旭光学工業に在職していた頃(1952~1954)のものですが、旭光学工業
の製作した最初の天体望遠鏡については、なかなか情報がありません。1947年の日食に際して、作ったのが初号機と
思われます。
「昭和22年、現社長松本三郎氏を中心に会社再建への努力が開始された。おりしも北海道で日食があり、これをあてこんで天体
望遠鏡を作ったり、学童用の光学教材を売ってみたり、苦しい日々を重ねたが、昭和23年、輸出に活路を開き、昔取ったきね
づかで、ミクロン型オペラグラスの製造を開始、海外の好評を博し、昭和26年まで業界1位の成績をもって10万台の輸出を
記録した。」 (「世界のカメラ」朝日新聞社1967)
その他にも、「双眼鏡・天体望遠鏡をほそぼそと作って輸出で食いつないでいた」とか、望遠鏡の生産台数1万台とかありま
すが、判然としません。
フォーク型の60mm屈折式経緯台Jupiterは、さすが旭光学工業の製品だけあって、アダプターを介してでしょうがアサヒフレックスを直に取り付けて、直焦点撮影ができたようです。超望遠レンズです。
(訂正) ヨーク型ではなくフォーク型でした。
Re: マイナー? 知名度が低い望遠鏡屋さん
ヨーク式と言えば、ウィルソン山の2.5mのような赤道儀が思い浮かびますが、経緯台でもヨーク型という言い方があったとは知りませんでした。
画像悪いですがJupiter60を添付します。1953年のアメリカ向け日本製光学製品カタログ(JOPIMA)のコピーのコピーです。
そのあとに出たJupiter50については、博物館にあります。 写真は参考まで。
原さんの言うように、黒以外にもバックを黄色や茶色に変えやってみました。確かに黒いほうが見やすいですが、新たな情報が出てくるレベルまでには至りませんでした。
画像悪いですがJupiter60を添付します。1953年のアメリカ向け日本製光学製品カタログ(JOPIMA)のコピーのコピーです。
そのあとに出たJupiter50については、博物館にあります。 写真は参考まで。
原さんの言うように、黒以外にもバックを黄色や茶色に変えやってみました。確かに黒いほうが見やすいですが、新たな情報が出てくるレベルまでには至りませんでした。
プライベートメッセージです