スークーさんの質問コーナーでの「五藤光学2吋半屈折赤道儀のウォーム軸」のお話は楽しかったのですが、そこで昔から不思議だったことが思い出されました。
赤経微動部は、なんであんなめんどくさい構造をしているのでしょうか?
1枚目の写真でわかるように、赤経側にクランプが2個ついてまして、ウォームホイールそばのクランプと、ウォームギヤがついている方にもクランプがあります。昔は、赤経ハンドルがあさっての方に向かないように、ウォームギヤの取り付け位置を調整するためと思ってました。
よく考えたら、1枚目の写真の位置で、ウォームギヤ側のクランプがなくても、なにぶん困りません。ちゃんと望遠鏡が回る方向に赤経ハンドルもついてきます。なんで、ウォームギヤが回るようになってるのでしょう?
と、博物館で横を見ると3吋が2台ありまして(2枚目の写真)、2吋半と構造的には同じですが、1台はそのクランプ部に部分微動が付いて2重微動になっています(3枚目の写真)。そしてMD固定用と思われる穴も。確かに当時交流モーターとかスピードが変えられないMDだと2重微動があれば便利です。そして、クランプのところについていることからして、クランプは省略できたのです。
2吋半にそのような2重微動も、MDも見たことはありません。理振法の規定とかにあるのでしょうか?
途中で設計変更もしておりますし、役にも立たない構造にコストをかける理由も分かりません。
みなさんは、どう思いますか>
五藤光学旧学校用赤道儀の謎
Re: 五藤光学旧学校用赤道儀の謎
うっ。写真をよく見ると、また疑問が。
2枚目の写真の右側、2重微動になっている赤道儀の側面の穴が、MDを止める穴だと思っていたんですが、そこにMDを取り付けてウォームギヤを回すには、ウォームギヤとMDの相対位置を固定しないといけません。
部分微動はウォームギアユニット自体を回すようになっていますので、固定したら回せません。
この穴はMD用ではないですね。
五藤光学の以降の赤道儀は、ウォームギヤの位置が極軸体と固定されており、MDも極軸体に固定されるようになっています。
この赤道儀も部分微動でなく単純に赤緯体に固定されているのなら、赤緯体側にMDが固定されてもいいですが。
2枚目の写真の右側、2重微動になっている赤道儀の側面の穴が、MDを止める穴だと思っていたんですが、そこにMDを取り付けてウォームギヤを回すには、ウォームギヤとMDの相対位置を固定しないといけません。
部分微動はウォームギアユニット自体を回すようになっていますので、固定したら回せません。
この穴はMD用ではないですね。
五藤光学の以降の赤道儀は、ウォームギヤの位置が極軸体と固定されており、MDも極軸体に固定されるようになっています。
この赤道儀も部分微動でなく単純に赤緯体に固定されているのなら、赤緯体側にMDが固定されてもいいですが。
プライベートメッセージです
Re: 五藤光学旧学校用赤道儀の謎
曇天会議の皆様こんにちは
確かに赤緯体に固定されないと動作しない構造です。(^0^;
以前持っていた8㎝用の赤道儀の画がありましたので、参考迄に
貼ります。(あくまで参考なので、ガラクマさんのと共通性は無し!)
五藤のモードラはマークⅩになって新作になったか、形状が変わりました。
それまではここに登場したような不思議?な形で、クーリング用の
プロペラファンがセットされておりました。(^0^8
コントローラーも単純なスイッチ動作ではなく、回路を組んだ物で
したが、これやるなら赤緯方向も欲しかった思いでつ。(~ ~;
確かに赤緯体に固定されないと動作しない構造です。(^0^;
以前持っていた8㎝用の赤道儀の画がありましたので、参考迄に
貼ります。(あくまで参考なので、ガラクマさんのと共通性は無し!)
五藤のモードラはマークⅩになって新作になったか、形状が変わりました。
それまではここに登場したような不思議?な形で、クーリング用の
プロペラファンがセットされておりました。(^0^8
コントローラーも単純なスイッチ動作ではなく、回路を組んだ物で
したが、これやるなら赤緯方向も欲しかった思いでつ。(~ ~;
Re: 五藤光学旧学校用赤道儀の謎
わからないです。謎です。
モーターを付けることを想定しての措置とか、
目盛環を付けるつもりで赤経と時角が使えるようにしたとか、
いろいろ考えましたが、わかりません。
でも、こういう謎解きは楽しいです。(これは皆さまご同意いただけると思います)
いずれにせよこれだと、緩めた方と違うクランプを締めてしまうなど不便が生じるはすです。
ですので、私が実際に使うときには、比較的使いやすい南側クランプだけを生かし、北側クランプは締めた後レバーを抜いてしまうか、ボルトナットで固定しちまおうかと考えています。
モーターを付けることを想定しての措置とか、
目盛環を付けるつもりで赤経と時角が使えるようにしたとか、
いろいろ考えましたが、わかりません。
でも、こういう謎解きは楽しいです。(これは皆さまご同意いただけると思います)
いずれにせよこれだと、緩めた方と違うクランプを締めてしまうなど不便が生じるはすです。
ですので、私が実際に使うときには、比較的使いやすい南側クランプだけを生かし、北側クランプは締めた後レバーを抜いてしまうか、ボルトナットで固定しちまおうかと考えています。
最後に編集したユーザー スークー [ 2025年2月03日(月) 18:20 ], 累計 2 回
Re: 五藤光学旧学校用赤道儀の謎
五藤の望遠鏡の付属品に「太陽投影機」というものがありました。
ご存じの方も多いと思いますが、望遠鏡の接眼部に付けて太陽像を超拡大し、暗くした教室のスクリーンや白壁に投影するという、いかにも学習用というパーツです。
授業でこれを使う場合、先生はスクリーンの近くで説明をするが、室外の望遠鏡は固定したままなので、当然壁面の太陽像はどんどん動いていく。
望遠鏡にはモーターなぞ付いていないし、実習助手もいない。すると一人の先生が室内外を行ったり来たりしてとても大変。
だったら、水道のゴムホースみたいな、ひじょうに長いフレキシブルハンドルを付けて、スクリーン近くでくりくり回しながら、太陽を追尾すればよい。
そのために、室内からハンドルを操作するのにちょうどよい位置に設定できるよう、このようなダブルクランプ構造にした。
と、こんな謎解きはどうでしょうか?
違うよなあ???
p.s.添付の写真はカリガリ博士様からいただいたものです。
ご存じの方も多いと思いますが、望遠鏡の接眼部に付けて太陽像を超拡大し、暗くした教室のスクリーンや白壁に投影するという、いかにも学習用というパーツです。
授業でこれを使う場合、先生はスクリーンの近くで説明をするが、室外の望遠鏡は固定したままなので、当然壁面の太陽像はどんどん動いていく。
望遠鏡にはモーターなぞ付いていないし、実習助手もいない。すると一人の先生が室内外を行ったり来たりしてとても大変。
だったら、水道のゴムホースみたいな、ひじょうに長いフレキシブルハンドルを付けて、スクリーン近くでくりくり回しながら、太陽を追尾すればよい。
そのために、室内からハンドルを操作するのにちょうどよい位置に設定できるよう、このようなダブルクランプ構造にした。
と、こんな謎解きはどうでしょうか?
違うよなあ???
p.s.添付の写真はカリガリ博士様からいただいたものです。
Re: 五藤光学旧学校用赤道儀の謎
おお。なるほど。
確かに、赤道儀がはじめの写真の体勢(広告ポジションでウォームギヤが真下)で、昼間の太陽に向けたら赤経微動ハンドルが真上、真下の方向になりやすいですね。
水平報告にする為90度ずらすとかには、2つ目のクランプがあったほうがいいですね。
確かに、赤道儀がはじめの写真の体勢(広告ポジションでウォームギヤが真下)で、昼間の太陽に向けたら赤経微動ハンドルが真上、真下の方向になりやすいですね。
水平報告にする為90度ずらすとかには、2つ目のクランプがあったほうがいいですね。
プライベートメッセージです
Re: 五藤光学旧学校用赤道儀の謎
2吋半屈折のダブルクランプの謎について、かなり決定的な証拠写真を、とあるオークションサイトの写真から見つけました!
スクリーンショットで画像が粗いのですが、拡大して確認してみてください。
●今まで議論してきたのを「手動型」、この写真のタイプを「自動型」と仮称します。
(1)自動型ではモータードライブがウオームギア軸受部に取り付けられている。極軸ハウジングでも赤緯体側でもなく、ウオーム軸受け部に付けるというのがミソです。
(2)手動型で存在していた北側の締付け式のクランプは、押しバネ式部分微動ユニットに変更されている。(クランプの締付部を上手く利用しています)
(3)従って、自動型の極軸クランプは南側の1か所のみ。
(4)最初から2タイプ用意されたのか、はたまたオプションでモーターと部分微動が用意されたのかは不明。(当時のカタログ等があればよいのだが・・・)
(5)手動型では北側クランプが蛇足になるのだが、ボルトナット等で剛結すればよいのに、なぜわざわざクランプにしたのか、真意は不明。
スクリーンショットで画像が粗いのですが、拡大して確認してみてください。
●今まで議論してきたのを「手動型」、この写真のタイプを「自動型」と仮称します。
(1)自動型ではモータードライブがウオームギア軸受部に取り付けられている。極軸ハウジングでも赤緯体側でもなく、ウオーム軸受け部に付けるというのがミソです。
(2)手動型で存在していた北側の締付け式のクランプは、押しバネ式部分微動ユニットに変更されている。(クランプの締付部を上手く利用しています)
(3)従って、自動型の極軸クランプは南側の1か所のみ。
(4)最初から2タイプ用意されたのか、はたまたオプションでモーターと部分微動が用意されたのかは不明。(当時のカタログ等があればよいのだが・・・)
(5)手動型では北側クランプが蛇足になるのだが、ボルトナット等で剛結すればよいのに、なぜわざわざクランプにしたのか、真意は不明。
Re: 五藤光学旧学校用赤道儀の謎
なるほど、思いつきませんでした。
よく見ると、ウォームギヤの止めナットを利用して、モーターを固定しているのでしょうか。
これだと、極軸(赤経)体も赤緯体とも独立してますので、2重微動が機能します。
このモーターと2重微動があれば、この赤道儀の価値がグッとあがりますね。グッどです。
ただ、クランプを微動に代えるユニットは後付けできるのでしょうか(クランプのボルト穴を使う?)?
後付けできないと、2種類(モーター付き2重微動/モーターなしクランプ一つ)作った方が安上がりのような気もします。
なぞが解決したようで、また新たな謎が。
現物をじっくり見たいものです。
よく見ると、ウォームギヤの止めナットを利用して、モーターを固定しているのでしょうか。
これだと、極軸(赤経)体も赤緯体とも独立してますので、2重微動が機能します。
このモーターと2重微動があれば、この赤道儀の価値がグッとあがりますね。グッどです。
ただ、クランプを微動に代えるユニットは後付けできるのでしょうか(クランプのボルト穴を使う?)?
後付けできないと、2種類(モーター付き2重微動/モーターなしクランプ一つ)作った方が安上がりのような気もします。
なぞが解決したようで、また新たな謎が。
現物をじっくり見たいものです。
プライベートメッセージです
Re: 五藤光学旧学校用赤道儀の謎
五藤光学の検査部等に長くおられたS様から、以下のようなメールをいただきました。
ご本人の了解を得て、転載させていただきます。
ご本人は、このサイトの存在はご存じとのこと。まだまだわからない部分や、伺っておきたいことがあるので、できれば今後(差し障りのない範囲で)直接コメントいただければ最高ですね。
*****以下転載******
私が入社した1967年(昭和42年)では、2吋半の赤道儀にはウォーム軸にクボミが付いていました。クボミがまったくない時代もあったのかと、正直驚いています。
当時の赤道儀は組み立ての佐藤五平治課長の所で、1台づつウォームとホイールの噛み合いを調整していて、また検査部でもチェックしているので、加工忘れのウォームというのは考えにくく、多分クボミのない設計だったのでしょうね。
フレキシブルシャフトの握り部分は当時も非常に不評でした。冬に手袋をはめていると回しにくいのです。
その後ニコンから8cm赤道儀が発売され、これに付属していたフレキシブルハンドルの握り形状が球体で非常に手になじみやすく、当社もそれに近い球体型の握りに設計変更され、後にマークXにも使われました。
3吋赤道儀の方は、モーターが取り付けられるようになっていました。
ただし当時のシンクロナスモーターは定速度なので、差動に苦労していたようです。私が入社した頃は、赤経ウォーム軸にデファレンシャルギアを装着し、それにモーターが付いているような形状のものが生産されていました。それ以前のものを知りませんが、微動装置がダブルになっているものもあったのかも知れません。
使用説明書が当時も当然あったはずで、それが見つかると分かるのかも知れません。お役に立てずに申し訳ありません。
*****追加で電話で伺ったことの要約****
(1)入社した当時は、2吋半がまだ作られており、実際検査を行ったが、ほとんど最終ロットであった。その後6.5cmに変わった。
(2)当時の五藤斉三社長は東亜天文学会の東京支部長をしており、いろいろなアマチュアが来て観望会やら例会やらをやっていた。その場で集まった「アマチュアユーザーの声」などが製品に反映された。架台の形などが頻繁に変わったのは、それらの声を受けてのものも多い。また天文少年向けの「星の会」などもやっていた(機関誌も出していた)ので、それらの声も反映されているはず。
(3)2吋半の第1レンズが青板だったのは、戦時中光学ガラスが入手できなくなり、五藤斉三氏が、光学特性が近い青板でも使えるはずだという研究をしていた。2吋半が作られたのは戦後になり光学ガラス(この場合はクラウン)が入手できるようになってからだが、「青板でもいけるはず」という考え(信念)で、2吋半には青板を採用した。
(4)2吋半も3吋も、ほとんど一般向けには出ておらず。当時の五藤は、内田洋行等を通じての“学校備品需要”がほとんど。一般に目を向けるようになったのは、テレパック以降と言える。
ご本人の了解を得て、転載させていただきます。
ご本人は、このサイトの存在はご存じとのこと。まだまだわからない部分や、伺っておきたいことがあるので、できれば今後(差し障りのない範囲で)直接コメントいただければ最高ですね。
*****以下転載******
私が入社した1967年(昭和42年)では、2吋半の赤道儀にはウォーム軸にクボミが付いていました。クボミがまったくない時代もあったのかと、正直驚いています。
当時の赤道儀は組み立ての佐藤五平治課長の所で、1台づつウォームとホイールの噛み合いを調整していて、また検査部でもチェックしているので、加工忘れのウォームというのは考えにくく、多分クボミのない設計だったのでしょうね。
フレキシブルシャフトの握り部分は当時も非常に不評でした。冬に手袋をはめていると回しにくいのです。
その後ニコンから8cm赤道儀が発売され、これに付属していたフレキシブルハンドルの握り形状が球体で非常に手になじみやすく、当社もそれに近い球体型の握りに設計変更され、後にマークXにも使われました。
3吋赤道儀の方は、モーターが取り付けられるようになっていました。
ただし当時のシンクロナスモーターは定速度なので、差動に苦労していたようです。私が入社した頃は、赤経ウォーム軸にデファレンシャルギアを装着し、それにモーターが付いているような形状のものが生産されていました。それ以前のものを知りませんが、微動装置がダブルになっているものもあったのかも知れません。
使用説明書が当時も当然あったはずで、それが見つかると分かるのかも知れません。お役に立てずに申し訳ありません。
*****追加で電話で伺ったことの要約****
(1)入社した当時は、2吋半がまだ作られており、実際検査を行ったが、ほとんど最終ロットであった。その後6.5cmに変わった。
(2)当時の五藤斉三社長は東亜天文学会の東京支部長をしており、いろいろなアマチュアが来て観望会やら例会やらをやっていた。その場で集まった「アマチュアユーザーの声」などが製品に反映された。架台の形などが頻繁に変わったのは、それらの声を受けてのものも多い。また天文少年向けの「星の会」などもやっていた(機関誌も出していた)ので、それらの声も反映されているはず。
(3)2吋半の第1レンズが青板だったのは、戦時中光学ガラスが入手できなくなり、五藤斉三氏が、光学特性が近い青板でも使えるはずだという研究をしていた。2吋半が作られたのは戦後になり光学ガラス(この場合はクラウン)が入手できるようになってからだが、「青板でもいけるはず」という考え(信念)で、2吋半には青板を採用した。
(4)2吋半も3吋も、ほとんど一般向けには出ておらず。当時の五藤は、内田洋行等を通じての“学校備品需要”がほとんど。一般に目を向けるようになったのは、テレパック以降と言える。