H.O.C 日吉光学

「古スコ広場」 懐かしの望遠鏡、昔欲しかった望遠鏡、古い望遠鏡や産業を語りましょう
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ガラクマ
記事: 490
登録日時: 2023年6月07日(水) 21:16

H.O.C 日吉光学

投稿記事 by ガラクマ »

 日吉光学の望遠鏡は、特に海外でよく見ます。
普通、レンズセルにHだけ花文字のようなマークがあるだけですが、今日何気なくSNSを見ておりますと、明確に記載している望遠鏡もあるんですね。
 あと、HOCていうのは常陸光学のもあって、なかなか難しいです。
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マーク.jpg (28.83 KiB) 閲覧された回数 1345 回
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最後に編集したユーザー ガラクマ [ 2024年9月07日(土) 18:22 ], 累計 1 回
 プライベートメッセージです
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ガラクマ
記事: 490
登録日時: 2023年6月07日(水) 21:16

Re: H.O.C 日吉光学

投稿記事 by ガラクマ »

 海外から頂いた日吉光学の望遠鏡の写真です。
以前ご紹介したかもしれませんが、2枚目、3枚目の写真の8㎝F20の最高倍率800倍は、その架台では導入も不可能ですね。クランプどころかハンドルを握るのもつらい大きさです。
一度現物を見てみたいものです。
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 プライベートメッセージです
(^0^)コメト
記事: 214
登録日時: 2023年6月23日(金) 14:28

Re: H.O.C 日吉光学

投稿記事 by (^0^)コメト »

曇天会議の皆様こんばんは

赤い鳥居のマークが如何にも輸出を意識していて微笑ましいです。(^0^;
このマーク自体も初めて拝見しました。

また、この長~い鏡筒の途中に存在する金具は何なのでしょう?(^0^?
2つの筒を連結しているとかなら、強度を増すとか作り易さを優先ですかネ?
確か、ご存じの3段式鏡筒もそれなりに意味はあるように。。とは感じます。
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ガラクマ
記事: 490
登録日時: 2023年6月07日(水) 21:16

Re: H.O.C 日吉光学

投稿記事 by ガラクマ »

 コメトさん。途中の継ぎ目は伸縮機能の為のもののようです。
伸縮しても、木箱は巨大です。
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 プライベートメッセージです
青色つきこ
記事: 92
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
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Re: H.O.C 日吉光学

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちわ。
ガラクマさま、コメトさま、こんにちわ。

H.O.Cについては、以前の古スコ広場、CNでも古くから取り上げられていましたねぇ。
日吉光学に限らず奥山、大竹、ヒトミでも。ヒトミは製造業者というよりも販売業者かな。
いずれにしても、小島修介氏のアストロ光学S5型似の60mm屈折式赤道儀を輸出用に製造していました。
この機会にCNも含め見返してみましたが、今読むとCNは日本語資料の欠如に起因して錯誤も多いのですが、
卓見もあります。何よりも、現物が見られます。
手元の資料をもとにH.O.C、日吉光学について、併せてヒトミ光学について考えてみたいと思います。

その前に、三浦商事株式会社、三浦商事は以前の古スコ広場でも語られることがなかったと思います。
(赤い鳥居のマークは紹介されていたように思いますし、CNでも紹介はされていたが)
三浦商事(株)は、英語名 Miura Trading Company Ltd.
1946年11月に三浦友三郎によって進駐軍への写真機納入を目的に設立されました。
事業内容は写真機、光学機械輸出及び卸小売。双眼鏡、天体望遠鏡も取り扱っていました。
なお、(参考とした資料は1986年によれば)この商社が他の商社と違うのは、
進駐軍の物資買付機関(中央購買局CPO)が取引先であったこと。
その後、海外貿易が民間に移された後も、米軍基地の軍人の利用するストアに納品していること。
アジアのみならず欧州の米軍をマーケットとしていたことです。
まあ、現在は、また違ってきているようですが。
三浦商事の商標登録を添付しておきます。
MANONは、「マノンレスコー」を連想しますが、みなさんはどうでしょう。
SHRINEは神社ですが、神社のマークに似ているので、マーク自体は商標登録の対象外だったはず。
三浦商事ブランド.jpg
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ガラクマ
記事: 490
登録日時: 2023年6月07日(水) 21:16

Re: H.O.C 日吉光学

投稿記事 by ガラクマ »

青色つきこさん。
いつもながらお詳しい情報ありがとうございます。

 相当前からCNメンバーから時々問い合わせが来ましたが、ほとんど国内では情報がなく、満足な答えができておりません。
逆にこの手の情報についてはCNの方が詳しく、日本製の望遠鏡について逆に海外のサイトから情報を得ております。
日本人としては、ちょっと情けない状況ではないかと思い、時々話題を蒸し返しているところもあります。
ヒトミ光機に関しても、よく話題に上がっているようですが、日吉光学以上に国内で情報がありません。
(添付の6㎝?屈折赤道儀の脇の成立接眼鏡と思しきものはアストロとそっくりですね)

三浦商事についても私は情報ゼロです。
ちなみに商標登録するときは、最近はマークとか日本語と併記して申請することが多いですが、これらは違いますね。
また、マノンっていう歌手?モデル?のお姉ちゃん。最近聞いたような・・・
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 プライベートメッセージです
青色つきこ
記事: 92
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
お住まい: 日本/Japan

Re: H.O.C 日吉光学

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちわ。
ガラクマさま、こんにちわ。
タイトル、日吉光学ですが、ヒトミから行くことにしますねぇ。

ヒトミ光学社を創業した人見勝一氏については、「産経日本紳士年鑑 第2版」1960に経歴が記載されています
ので抜粋し、私なりに補足してみました。

人見勝一 (ヒトミ カツイチ)
ヒトミ光学(株)社長 オリエンタルマーチヤンダイス(株)取締役
明治42年生まれ
①昭和4年 先代 勝之助より玩具雑貨類輸出業を継承
②昭和29年 ヒトミ光学社と改称
③昭和34年4月 株式会社に改組改称
顕微鏡望遠鏡拡大鏡等の全米カナダ向けならびにヨーロッパ向け輸出業に従事

補足です。
①は大吉本店(株)のことで、玩具類を扱っていました。昭和4年と記されているが昭和24年の誤りと思われます。
「日本貿易業者総覧」1948には監査役として加藤六次郎氏が記されていました。
加藤六次郎商店、後のカートン光学と商取引があったと推測され、そのことは注目していいと思います。
社長は人見勝之助氏、専務が人見勝一氏と記載されています。
輸出先は中国、朝鮮が主で、「米国各地より紹介あるも未だ商談成立せず」とも記されています。
なお、官報では1951年9月に解散しています。1951.9からヒトミ光学社の設立までの期間は不詳。
②のヒトミ光学社は人見勝一氏によって1954年7月に設立されています。
本社(台東区入谷町208)とは離れて工場(板橋区志村清水町626)があります。
板橋区志村清水町ですが、当時このあたりは双眼鏡製造関係の工場がひしめきあっていました。
とても重要なこと(私がそう思っているだけですが)、ヒトミ光学社の工場が、アストロ光学(株)の共同体工場の
一つであり、設立人の一人であもあった、千葉勝雄氏の会社(千葉製作所)と推測されること。
この件は、傍証から確実と考えています。
千葉氏は小島氏の跡を受け1957年11月に代表取締役になり、1958年2月のアストロ光学の労働争議の際には朝日新聞
にも旧会社(アストロ光学)の社長として名前がでてきました。
千葉氏は、その後、アストロ光学工業の監査役に堀口恵助氏(アストロ光学の専務)、武藤氏(アストロ光学工業の大株主
小松良基氏との繋がりから)に就いていました。就任時期は最初の頃、詳細不明。
なお、アストロ光学60mm屈折赤道に似ている製品が乱造された遠因はこの辺にあると考えています。
③については昭和33年4月と記されているものもあり、昭和33年が正しいと考えています。
時期を考えるとアストロ光学の倒産、アストロ光学工業の設立と絡んでいるのかもしれません。

注目は人見勝一氏、小島修介氏の両者に千葉勝雄氏が関わっていたことです。
人見氏は1954年7月に、小島氏は同年11月に会社を設立しました。どちらにも千葉氏が関わっています。
千葉製作所については、以前から調べていますが、人見氏の関係を除けば進展がありません。

長くなったので、この辺で一旦ペンを置きますねぇ。
全国輸出入業者総覧1955 ヒトミ日吉.jpg
青色つきこ
記事: 92
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
お住まい: 日本/Japan

Re: H.O.C 日吉光学

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちわ。

ヒトミ (2)

人見勝一氏の△〇HOCの商標ですが、1954 ヒトミ光学社→ 1958 ヒトミ光学(株) → 1963or1964 ヒトミ光機(株)に
わたって使用されています。
ただし、登録は昭和33年(1958)でした。代理人弁理士は神保勉氏です。
戦後間もないころから五藤斉三氏の一連のパテントの代理人弁理士は、神保勉氏です。
小島修介氏とは小島氏の五藤光学在職時代からの縁なのでしょう、小島氏は自身のパテントを神保勉氏に依頼しています。
ヒトミ光学社の広告にパテント番号が記されていますが、これは千葉勝雄氏の考案・出願でした。
小島・千葉連名の立体顕微鏡兼用比較顕微鏡のパテントも神保勉氏です。
千葉氏の工場(千葉製作所)は、アストロ光学(株)の顕微鏡工場とも記されています。
アストロ光学(株)本体では顕微鏡は製造していませんが。
私は人見氏と小島氏は千葉氏を介してつながりがあったと考えています。

人見勝一氏が社名をヒトミ光学(株)からヒトミ光機(株)に変更した時期については前後関係から1963年から1964年頃を考え
ていますが、資料不足で明確にできません。
時期的には、自社工場を持つようになった頃かもしれません。
ヒトミ光機(株)は北上野に本社、山伏町に工場という体制ですが、建物の位置関係がよくわかりません。
ヒトミ 商標.jpg
ヒトミ 商標.jpg (35.23 KiB) 閲覧された回数 946 回
ヒトミ光学 広告.jpg
神保勉 顕微鏡.jpg
青色つきこ
記事: 92
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
お住まい: 日本/Japan

Re: H.O.C 日吉光学

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちわ。

本題、日吉光学について

日吉光学(株)の創業者であり大株主であった石川良徳氏の経歴をみると
大正5年2月生、長野県出身
昭和22年 大洋光学 設立
昭和24年 現社名に改称
自宅 豊島区千早町二丁目30
(「大衆人事録 第19版 東京篇」1957 より)

また、日吉光学(株)について、纏まった記載は「国勢総覧第11版」1954にあり
記載は昭和29年10月末現在の調査が基になっている。
昭和22年創業、昭和24年創立
この時点での本社地は豊島区池袋二ノ一一四五となっている。
第一工場 池袋二ノ一一四五
第二工場 豊島区千早町二ノ三〇
社長 石川良徳  専務 西沢忠男
石川良徳氏の自宅 豊島区千早町二ノ三〇

日吉光学(株)のブランド名OCEANは、大洋光学の大洋に由来するものと思われます。
日吉光学(株)設立時(昭和24年)の本社住所が、どこだったのか、非常に興味がある。

「国勢総覧第11版」1954からは、池袋二ノ一一四五と推定されるが、
日吉光学(株)のホームページの沿革昭和25年12月から神奈川県日吉町(横浜市)かも
しれない。
豊島区千早町二丁目30に本社住所を移したのは昭和32年と推測される。
日吉光学(株)のホームページにある沿革昭和32年2月の記載は会社登記上の本社移転を
指していると思う。
また、沿革昭和25年12月は株式会社への改組とも思われます。


ところで、わたしが最も興味があるのは、豊島区千早町二丁目30という場所です。
アストロ光学(株)は昭和29年(1954年)11月に同所を本社地として設立されましたが、
ここには石川良徳氏の自宅がありました。
豊島区千早町二丁目30番地は地番であり、ここには複数の建物があり石川良徳氏の自宅
だけを指しているものではありません。
ここには、元井鍍金工場もあります。
アストロ光学(株)がここを本社地にしたのは意味があることだと思います。
元井鍍金工場は昭和22年創業で、当時は光学部品鍍金、光学関係のメッキをしていた。
以前の古スコ広場でもエドさまの投稿の中で取り上げられていました。
以前は、(株)元井鍍金工場の重要性の認識が足りませんでした。
わたしには、日吉光学(株)第二工場とアストロ光学(株)が重なり合ってなりません。
アストロ光学(株)にとっては、日吉光学(株)は協力工場のひとつであり、
更に元井鍍金工場も協力工場のひとつだったと考えられます。
小島修介氏と石川良徳氏との直接の関連性は見いだせませんが、両人とも大正5年生まれです。

アストロ光学(株)は昭和31年暮れに豊島区要町3丁目28に新社屋を完成させ、機能を
そこに集中させます。アストロ光学(株)が千早町二丁目30にあったのは1年足らずであり、
新社屋が要町3丁目28に完成するまで、要町3丁目30に仮住まいします。

千早町二丁目30にあったアストロ光学(株)の形態については
「アストロ光学は金属材料、光学硝子材料、精密機械加工(4社)、木型、鋳物、高級塗装、
硬質クロームメッキ、木製部品、特殊接着剤、特殊油脂製作、荷造運送、印刷、其の他等
18社の専門工場が集まって、経営に参加し、カルテル的な結合によつて運営されており、
本社では、天体望遠鏡の生命たるレンズ関係と、総合テストのみを実施して、最小限の
人員で責任を遂行しているのであります。」と記されています。
(「月刊教材教具」1955-2 アストロ光学(株)の広告より)

アストロ光学(株)製品の製造には、日吉光学(株)が関わっていたことは確実と思われます。
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ガラクマ
記事: 490
登録日時: 2023年6月07日(水) 21:16

Re: H.O.C 日吉光学

投稿記事 by ガラクマ »

 青色つき子様
 いつもながら、詳しい調査結果と鋭い洞察に驚きます。ありがとうございます。

 アストロ光学も日吉光学もそれぞれのカルテルを組んで望遠鏡を生産し、それぞれの銘板をつけ違った相手先商社名で売っていたということは、上下関係、主従関係がない対等の立場だったと思います。
旨くいやっていけたんですね。

 望遠鏡のほうから見て、この時期の日吉光学の望遠鏡、アストロとここが共通で、ここは違うみたいなとこまでわかって、その理由として、青色つき子の情報をつき合わせて納得出来たら楽しいでしょうね。
それには、海外に行った望遠鏡の製造年が知りたいものですが、製造No等を研究しないといけませんね。
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