富田様、ガラクマ様
詳しい説明と標準仕様ありがとうございます。
三寸反射の機体説明の文章中の「三寸完全パラボラ反射鏡」という記述と、石原氏の実用新案の請求範囲にあるパラボラ鏡の意味がようやく分かりました。仕様にHershel-Newtonianとありますね。これまでハーシェル・ニュートンなら主鏡は球面鏡と思っていました。
難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
口径わずか数cm程の鏡面、しかもF値の大きい長焦点鏡を放物面へと整形するのは想像以上に大変です。
中村氏が遺した研磨技術に関する著作にもそのような記述をしばしば認めます。
正直、中村氏は本当にハーシェルニュートン用主鏡として放物面鏡を製作したのだろうか、もしかしたら球面鏡だったのではないか、と半信半疑の気持ちも少しありました。
今回、ガラクマ様の書き写した光学ノートからしっかりと放物面化していたことが分かりました。
フーコーテストで影を観察しながらナイフの移動量で0.2mmだけ鏡周よりも中央部を深く研磨するにはかなりの観察眼と注意深さが必要です。
反射鏡研磨が万年初中級者レベルの私には到底無理で、球面近くに仕上げるだけで精一杯です。
やはり中村氏は鋭眼、優れた観察眼の持ち主であったのと同時に、手先も器用で忍耐強く、また創意工夫のできる非凡な方であったのことが良く分かりました。
中村氏が遺した研磨技術に関する著作にもそのような記述をしばしば認めます。
正直、中村氏は本当にハーシェルニュートン用主鏡として放物面鏡を製作したのだろうか、もしかしたら球面鏡だったのではないか、と半信半疑の気持ちも少しありました。
今回、ガラクマ様の書き写した光学ノートからしっかりと放物面化していたことが分かりました。
フーコーテストで影を観察しながらナイフの移動量で0.2mmだけ鏡周よりも中央部を深く研磨するにはかなりの観察眼と注意深さが必要です。
反射鏡研磨が万年初中級者レベルの私には到底無理で、球面近くに仕上げるだけで精一杯です。
やはり中村氏は鋭眼、優れた観察眼の持ち主であったのと同時に、手先も器用で忍耐強く、また創意工夫のできる非凡な方であったのことが良く分かりました。
最後に編集したユーザー 富田 [ 2024年4月06日(土) 22:07 ], 累計 5 回
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
ガラクマさん 富田さん 皆さん こんにちは
図書館で
高橋健一氏による「故中村 要氏の光学ノート(1)」〜「...(3)」(天界 1977.12..1978.2)
を調べました。
※なお硝子材の種類の『Mnion』は『Union』のようです。
※中村 要氏による「反射屈折天體望遠鏡 : 作り方觀測手引」の「第五章 五センチ反射望遠鏡」も
※読みました。 これが『昭和4年8月発刊の著書』でしょうか。
図書館で
高橋健一氏による「故中村 要氏の光学ノート(1)」〜「...(3)」(天界 1977.12..1978.2)
を調べました。
「Net」は、これかもしれませんね。高橋 さんが書きました: 平面鏡及び口径8cm以下の反射凹面鏡...網目を植え込んで作ったピッチ面を使用し研磨している...
研磨速度が早く、しかも面が直しやすいとのことである。ただし、端はあまり良くは出来ないらしい
※なお硝子材の種類の『Mnion』は『Union』のようです。
※中村 要氏による「反射屈折天體望遠鏡 : 作り方觀測手引」の「第五章 五センチ反射望遠鏡」も
※読みました。 これが『昭和4年8月発刊の著書』でしょうか。
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
M様
情報をありがとうございます。
Netの意味は網を使った研磨方法かと思っていましたが、やはりそうでしたか。
著書はその通りです。
子どもの頃に読んだ記事で星野次郎氏の最初の自作反射望遠鏡がハーシェルニュートンであったことを知り、ずっと気になっていました。後年、神田の古本屋でその本を入手したのが私自身がそれを自作するきっかけとなりました。
http://yamaca.in.coocan.jp/touko2/54mmHN1/54HN01.html
間違いなく名著です。
単なる自作のための説明書ではなく、望遠鏡作りと天体観測のための真摯な心構え、向き合い方が素直に伝わってきます。言葉一つ一つに経験者としての深みと重みが感じられます。20代半ばであれだけの書物を著したことは本当に驚きで、心から敬拝しています。
若くして自死されたことはとても残念です。
それを含め中村氏の著作本は全て持っています。
「反射望遠鏡」などは著書ではなく遺稿書ですが鏡面研磨に興味があり三冊も入手してしまいました。
情報をありがとうございます。
Netの意味は網を使った研磨方法かと思っていましたが、やはりそうでしたか。
著書はその通りです。
子どもの頃に読んだ記事で星野次郎氏の最初の自作反射望遠鏡がハーシェルニュートンであったことを知り、ずっと気になっていました。後年、神田の古本屋でその本を入手したのが私自身がそれを自作するきっかけとなりました。
http://yamaca.in.coocan.jp/touko2/54mmHN1/54HN01.html
間違いなく名著です。
単なる自作のための説明書ではなく、望遠鏡作りと天体観測のための真摯な心構え、向き合い方が素直に伝わってきます。言葉一つ一つに経験者としての深みと重みが感じられます。20代半ばであれだけの書物を著したことは本当に驚きで、心から敬拝しています。
若くして自死されたことはとても残念です。
それを含め中村氏の著作本は全て持っています。
「反射望遠鏡」などは著書ではなく遺稿書ですが鏡面研磨に興味があり三冊も入手してしまいました。
最後に編集したユーザー 富田 [ 2024年4月07日(日) 13:59 ], 累計 2 回
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
お詳しい方々の蘊蓄が集まって、うれしい限りです。
Netと思っても、ネットとグロスのネットで「準備や測定など関連作業を除き、正味2時間かかる」くらいにしか読み取れませんでした。
皆さん、さすがです。
当然Netと読めてないくらいですから「M」さんのご紹介、富田さんのお話、気が付きませんでした。
Netと思っても、ネットとグロスのネットで「準備や測定など関連作業を除き、正味2時間かかる」くらいにしか読み取れませんでした。
皆さん、さすがです。
プライベートメッセージです
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
還暦α様
Funa様
ガラクマ様
軸外し放物面鏡の情報をありがとうございます。
Funa様の製作された軸外し望遠鏡については以前にそちらのウェッブサイトに投稿された際に拝見し、手の込んだ工作に驚いておりました。
F値の小さなものですと、主鏡の自作は難しく、既製品は高価で、また組み立てや光軸調整も難しくなります。
ハーシェルニュートン用主鏡に適した球面鏡も販売されていますが、それでもかなり高額ですので、費用だけを考えると自作の優位性はありません。
https://www.edmundoptics.jp/p/2quot-dia ... rror/4976/
昨年のDSP2023の私のワークショップは「小型反射望遠鏡の可能性と限界」という題での発表(予定)でした。その準備した発表内容の最後の話題は、親子向けの望遠鏡作り教室として、4〜5cmハーシェルニュートン式反射望遠鏡の完全自作の提案でした。
中村氏は小口径反射鏡の研磨を短時間で行っていたようで、ガラス材から放物面化まで3時間程で手早く仕上げたようです。「星の手帳」にあった木辺氏の鏡面研磨についての手記からもその手早さがわかります。
それに着想を得て私の企画では、安価な普通の青板ガラス板を用いて主鏡を研磨し、化学鍍銀でメッキすること、双眼鏡用プリズムを流用することで、1日の日程で望遠鏡を完成させ、夕方には親子で観望してもらうというものです。
中村氏がハーシェルニュートンを考案した意図を汲んだイベント企画であると勝手に自負しており、実現できたらと思っています。
Funa様
ガラクマ様
軸外し放物面鏡の情報をありがとうございます。
Funa様の製作された軸外し望遠鏡については以前にそちらのウェッブサイトに投稿された際に拝見し、手の込んだ工作に驚いておりました。
F値の小さなものですと、主鏡の自作は難しく、既製品は高価で、また組み立てや光軸調整も難しくなります。
ハーシェルニュートン用主鏡に適した球面鏡も販売されていますが、それでもかなり高額ですので、費用だけを考えると自作の優位性はありません。
https://www.edmundoptics.jp/p/2quot-dia ... rror/4976/
昨年のDSP2023の私のワークショップは「小型反射望遠鏡の可能性と限界」という題での発表(予定)でした。その準備した発表内容の最後の話題は、親子向けの望遠鏡作り教室として、4〜5cmハーシェルニュートン式反射望遠鏡の完全自作の提案でした。
中村氏は小口径反射鏡の研磨を短時間で行っていたようで、ガラス材から放物面化まで3時間程で手早く仕上げたようです。「星の手帳」にあった木辺氏の鏡面研磨についての手記からもその手早さがわかります。
それに着想を得て私の企画では、安価な普通の青板ガラス板を用いて主鏡を研磨し、化学鍍銀でメッキすること、双眼鏡用プリズムを流用することで、1日の日程で望遠鏡を完成させ、夕方には親子で観望してもらうというものです。
中村氏がハーシェルニュートンを考案した意図を汲んだイベント企画であると勝手に自負しており、実現できたらと思っています。
最後に編集したユーザー 富田 [ 2024年4月08日(月) 06:29 ], 累計 10 回
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
みなさま、こんにちわ。
中村要氏のハーシェル・ニュートンは、とても魅惑的です。
中村要氏の「反射望遠鏡」(恒星社、昭和17年刊)は、製作方法のみならず望遠鏡についての知識にあふれています。
ご存知のように木辺成麿氏が補筆されております。名著です。
子供の科学代理部の5センチ反射天体望遠鏡の販売開始時期については、私の調べられる範疇外なので、把握しておりませんが、それでも推測としては、1933年or1934年と考えています。
これには、中村要氏のオリジナル・ハーシェル・ニュートン鏡を組み込んでいるはずもないし。
「子供の科学」誌には新発売品のおしらせという形でも記事が載せられているでしょうから、何かしらの情報が添えられて
いると考えられますが、該当年の「子供の科学」は手元にもありませんので。
どなたか、情報をお持ちではないでしょうか。
「科学画報」から調査する線もありますが、いずれにしても、この製品についてはもっと知りたいです。
三吋反射望遠鏡の超特価提供の理由については
「三吋周の金具が五十台分残っているため、ストック一掃の意味でやるのです」と記されています。
(添付資料から)
子供の科学代理部の製品なので、やはり「子供の科学」をみるのが一番です。
コロナ望遠鏡は口径35mmの色消し対物レンズ(おそらくf=800mm)なので、件の1円望遠鏡の候補からは外します。
中村要氏のハーシェル・ニュートンは、とても魅惑的です。
中村要氏の「反射望遠鏡」(恒星社、昭和17年刊)は、製作方法のみならず望遠鏡についての知識にあふれています。
ご存知のように木辺成麿氏が補筆されております。名著です。
子供の科学代理部の5センチ反射天体望遠鏡の販売開始時期については、私の調べられる範疇外なので、把握しておりませんが、それでも推測としては、1933年or1934年と考えています。
これには、中村要氏のオリジナル・ハーシェル・ニュートン鏡を組み込んでいるはずもないし。
「子供の科学」誌には新発売品のおしらせという形でも記事が載せられているでしょうから、何かしらの情報が添えられて
いると考えられますが、該当年の「子供の科学」は手元にもありませんので。
どなたか、情報をお持ちではないでしょうか。
「科学画報」から調査する線もありますが、いずれにしても、この製品についてはもっと知りたいです。
三吋反射望遠鏡の超特価提供の理由については
「三吋周の金具が五十台分残っているため、ストック一掃の意味でやるのです」と記されています。
(添付資料から)
子供の科学代理部の製品なので、やはり「子供の科学」をみるのが一番です。
コロナ望遠鏡は口径35mmの色消し対物レンズ(おそらくf=800mm)なので、件の1円望遠鏡の候補からは外します。
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
第3回曇天の集いのプレゼン資料を、やっと作り始めました。
3吋反射望遠鏡(ハーシェルニュートン)の広告を見つけ、面白いことに気が付きました。
中村要氏が、まだご存命の昭和5年4月の科学画報代理部の広告に登場しておりますが、上野珓吉先生が作ったが如くの説明があります。実際、前の掲示板でのスークーさんの3吋は上野鏡ということでした。
「続アマチュア天文史」で、富田先生は
”誠文堂新光社代理部(現科学教材社)は・・・・・・中村の50、75mmや、上野珓吉が研磨した15cm反射鏡を石原製作所の一本支柱の経緯台に載せて供給し、望遠鏡の普及に貢献した。”とあります。
上野氏は、足立氏や木辺氏とともに戦前から活躍されていた方らしいのですが、あまり知りません。
6月号から、3吋の広告から「上野」の名前はありません。クレームが入ったのでしょうか
3吋反射望遠鏡(ハーシェルニュートン)の広告を見つけ、面白いことに気が付きました。
中村要氏が、まだご存命の昭和5年4月の科学画報代理部の広告に登場しておりますが、上野珓吉先生が作ったが如くの説明があります。実際、前の掲示板でのスークーさんの3吋は上野鏡ということでした。
「続アマチュア天文史」で、富田先生は
”誠文堂新光社代理部(現科学教材社)は・・・・・・中村の50、75mmや、上野珓吉が研磨した15cm反射鏡を石原製作所の一本支柱の経緯台に載せて供給し、望遠鏡の普及に貢献した。”とあります。
上野氏は、足立氏や木辺氏とともに戦前から活躍されていた方らしいのですが、あまり知りません。
6月号から、3吋の広告から「上野」の名前はありません。クレームが入ったのでしょうか
プライベートメッセージです
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
みなさま、こんにちわ。
ガラクマ様、取り急ぎ、すぐ書ける範囲で。
上野珓吉氏については、小島修介氏も「全完な放物凹面鏡を研磨出来る人で15年以上の経験を持つ方は、
年代順に言って、上野珓吉氏、足立英一氏、木辺成麿氏等である~」(「月刊教材教具」1951-6)
上野珓吉(うえのこうきち)氏の略歴ですが、明治27年東京生まれ、大正10年より反射望遠鏡の研究をはじめ、
昭和9年に五藤光学入社、昭和26年上野光学製作所設立、昭和34年有限会社に改組云々。
上野光学製作所は当時の住所では埼玉県北足立郡大和町です。
上野珓吉氏が五藤光学を退社した時期は、小島修介氏が五藤光学を退社した時期とかぶる、または前後なんですよねぇ。
ガラクマ様、「科学画報」の1927年の号をお持ちですか。1月号と6月号に、(もしかしたらそのひとつ前の月)に上野氏
が記事を書いていますが。
石原製作所は実用新案を出した石原錠太郎氏に関係がありそうに思えますねぇ。
ガラクマ様、取り急ぎ、すぐ書ける範囲で。
上野珓吉氏については、小島修介氏も「全完な放物凹面鏡を研磨出来る人で15年以上の経験を持つ方は、
年代順に言って、上野珓吉氏、足立英一氏、木辺成麿氏等である~」(「月刊教材教具」1951-6)
上野珓吉(うえのこうきち)氏の略歴ですが、明治27年東京生まれ、大正10年より反射望遠鏡の研究をはじめ、
昭和9年に五藤光学入社、昭和26年上野光学製作所設立、昭和34年有限会社に改組云々。
上野光学製作所は当時の住所では埼玉県北足立郡大和町です。
上野珓吉氏が五藤光学を退社した時期は、小島修介氏が五藤光学を退社した時期とかぶる、または前後なんですよねぇ。
ガラクマ様、「科学画報」の1927年の号をお持ちですか。1月号と6月号に、(もしかしたらそのひとつ前の月)に上野氏
が記事を書いていますが。
石原製作所は実用新案を出した石原錠太郎氏に関係がありそうに思えますねぇ。
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
青色つきこ様。情報ありがとうございます。
残念、その号は手元にありません。広告のページだけなら国会図書館でプリントアウトしたものがあるかもしれませんが、見つけられませんし、だぶんあっても役に立ちません。
しかし、昭和5年の時、すでに権威として認められているような方なら、もっと歴史上に出てきていいようなものですが・・
残念、その号は手元にありません。広告のページだけなら国会図書館でプリントアウトしたものがあるかもしれませんが、見つけられませんし、だぶんあっても役に立ちません。
しかし、昭和5年の時、すでに権威として認められているような方なら、もっと歴史上に出てきていいようなものですが・・
ということは、上野光学製作所設立したときは57歳ということですね。今でこそ珍しくないですが、当時は遅咲きだったかもしれません。
プライベートメッセージです