「科学画報 子供の科学 代理部 GENERAL GATAROGUE」を最近見直すことがあって興味がわいてきました。
(右からではありますが、科学画報と子供の科学、代理部の文字間が開いてないのが気になります)
事前情報をまとめますと
1,1912(明治45)年、小川菊松氏は大口雑誌を扱う大取次の至誠堂から独立し、誠文堂を創業、翌年から出版業始める。
2,1923(大正12)年4月「科学画報」創刊、1924(大正13)年9月「子供の科学」創刊
3,誠文堂の雑誌「子供の科学」の主幹、原田三夫氏が1925年(大正14年)自宅で代理部を始めた。
・・・当時、副業OKだったんですね。
4,1926,27(大正15/昭和2)年頃、代理部は誠文堂に買い取られた。
・・・買い取られた経緯、なぜ新光社代理部ではいけなかったとか、知りたい謎
5,1935(昭和10)年、誠文堂は倒産しそうな新光社を吸収合併して誠文堂新光社となる
6,1942(昭和17)年、誠文堂新光社代理部は独立して株式会社科学教材社となる、社長は小川菊松氏の次男小川良雄氏
このカタログは発行が誠文堂新光社で代理部ですから、1935(昭和10)年~1942(昭和17)年のものと分かります。
五藤光学は当初、科学画報代理部から売られていたと思いますが、すぐ自社名での販売になりました(代理部にも並行で納めていたかもしれません)
そして、カタログで調べたい望遠鏡がとりあえず4台あります。
① これは中村要氏に関係する有名な望遠鏡です。ただ中村要氏がお亡くなりになったのは、1932(昭和7)年でした。
② 森久保先生の望遠鏡としてスークーさんがレストアされました。
③ 鏡筒バンドと特徴あるフォークマウント。当時としてはよくできてます。cloudynightsかどっかで見覚えあり。国産?
④ 別スレの「1円」と似ています。ただ、こちらはアクロマート
③は井上光学ではないかとのお話もいただいております。井上光学、よく知りません。
難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
少しづつ思い出したり、調べたことを備忘録のように追記させていただきます。
②の望遠鏡ですがネット検索して、以下のページがかかりました。
http://imdiygo.la.coocan.jp/sim4.htm
メールすると、天体望遠鏡博物館の会員さんらしく、灯台下暗しでした。
また、前掲示板でのお話はこんな感じでした。
https://yumarin7.sakura.ne.jp/telbbsp/j ... #getno8207
②の望遠鏡ですがネット検索して、以下のページがかかりました。
http://imdiygo.la.coocan.jp/sim4.htm
メールすると、天体望遠鏡博物館の会員さんらしく、灯台下暗しでした。
また、前掲示板でのお話はこんな感じでした。
https://yumarin7.sakura.ne.jp/telbbsp/j ... #getno8207
プライベートメッセージです
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
みなさま、こんにちわ。
ガラクマ様、こんにちわ。
戦前の光学機器メーカーとくれば、日本光学工業、五藤光学研究所.................。
やはり、吉岡氏のところとか、アース光学とか。井上光学工業とか。
井上氏が藤井レンズ製作所の勤務を経て大正5年頃に井上秀商店を立ち上げ、合名会社
井上光学工業に発展しました。後に株式会社に改組。
(時期的に国家総動員法の発令も関係あるのでしょうか)
確かに三吋天体望遠鏡も作っていたようです。
双眼鏡が主体のようです。
「子供の科学」広告にはコロナ望遠鏡というものが記載されていますが、興味深いのは
サンスクリーン付きとあることです。
シリウス望遠鏡にはシングルレンズのものもあり、価格もアクロマートよりも安いです。
コロナ望遠鏡の価格を考えるとシングルレンズとは考えにくいので、先の1円望遠鏡と
同一とは見なせませんが、シリウス望遠鏡が元はシングルレンズだったことを考えれば
コロナ望遠鏡にもシングルレンズ版があったのかもしれません。
ただ、1円望遠鏡の瓢箪型した架台は他では見たことがないです。
ハーシェルニュートンですが、実案を見ると石原錠太郎という方が昭和3年に出願したもの
があり、中村要氏との関係に興味が尽きませんが、情報不足です。
ガラクマ様、こんにちわ。
戦前の光学機器メーカーとくれば、日本光学工業、五藤光学研究所.................。
やはり、吉岡氏のところとか、アース光学とか。井上光学工業とか。
井上氏が藤井レンズ製作所の勤務を経て大正5年頃に井上秀商店を立ち上げ、合名会社
井上光学工業に発展しました。後に株式会社に改組。
(時期的に国家総動員法の発令も関係あるのでしょうか)
確かに三吋天体望遠鏡も作っていたようです。
双眼鏡が主体のようです。
「子供の科学」広告にはコロナ望遠鏡というものが記載されていますが、興味深いのは
サンスクリーン付きとあることです。
シリウス望遠鏡にはシングルレンズのものもあり、価格もアクロマートよりも安いです。
コロナ望遠鏡の価格を考えるとシングルレンズとは考えにくいので、先の1円望遠鏡と
同一とは見なせませんが、シリウス望遠鏡が元はシングルレンズだったことを考えれば
コロナ望遠鏡にもシングルレンズ版があったのかもしれません。
ただ、1円望遠鏡の瓢箪型した架台は他では見たことがないです。
ハーシェルニュートンですが、実案を見ると石原錠太郎という方が昭和3年に出願したもの
があり、中村要氏との関係に興味が尽きませんが、情報不足です。
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
横から失礼します。
ハーシェル・ニュートン式反射望遠鏡の話題ですが
昨年5月に開催されたDSP2023会期中のワークショップの一つに小型反射望遠鏡に関する発表があり、そのなかでハーシェル・ニュートン式反射望遠鏡の考案者についての報告がありました。
シベットさんの以下のブログ内後半に少しあります。
http://uwakinabokura.livedoor.blog/arch ... 13240.html
1928年、昭和3年には中村要氏は小口径の鏡面研磨を行い、製作していたと考えられます。
1929年、昭和4年8月発刊の著書に自らの考案と記載しています。
一方、石原氏による実用新案は1929年、昭和4年2月に承認されています。
驚くべきことは、1930年、昭和5年発刊の鈴木義之氏の著書には石原氏を擁護するような記述があり、特許のため(許可なく勝手に)製作してはならない、とあります。
私の想像ですが、おそらく中村氏と石原氏はそれぞれ独立に考案したものと考えます。
今と違い、当時は情報も限られており、互いの考案を知らなかったのだと思います。
その後は、皆さんがご存知の通りに、多くの方々が製作したり、販売されて普及したことから、実用新案の問題は解決されたのかもしれません。あるいは中村氏の製作と著作による普及が先だったために、石原氏の実用新案がほとんど周知されないまま、なし崩し的な扱いになったのかもしれません。
尚、中村氏の著作内では、平面斜鏡は僅かに凸面として収差を減らすのが望ましいが、そのような凸面斜鏡の製作は困難であるため、平面鏡あるいはプリズムを用いても良いとあり、挿入図として直角プリズムを用いたものとなっています。
石原氏の考案の図と記述では二次鏡としてプリズムを用いるとしているようです。
先の石原氏や鈴木氏について少し調べてみましたが、詳細は私には分かりませんでした。
また石原氏の実用新案については「天体望遠鏡のすべて79年版」を参考としていますが、それによると昭和4年の実用新案となっています。
どなたかの更なる情報を望みます。
ハーシェル・ニュートン式反射望遠鏡の話題ですが
昨年5月に開催されたDSP2023会期中のワークショップの一つに小型反射望遠鏡に関する発表があり、そのなかでハーシェル・ニュートン式反射望遠鏡の考案者についての報告がありました。
シベットさんの以下のブログ内後半に少しあります。
http://uwakinabokura.livedoor.blog/arch ... 13240.html
1928年、昭和3年には中村要氏は小口径の鏡面研磨を行い、製作していたと考えられます。
1929年、昭和4年8月発刊の著書に自らの考案と記載しています。
一方、石原氏による実用新案は1929年、昭和4年2月に承認されています。
驚くべきことは、1930年、昭和5年発刊の鈴木義之氏の著書には石原氏を擁護するような記述があり、特許のため(許可なく勝手に)製作してはならない、とあります。
私の想像ですが、おそらく中村氏と石原氏はそれぞれ独立に考案したものと考えます。
今と違い、当時は情報も限られており、互いの考案を知らなかったのだと思います。
その後は、皆さんがご存知の通りに、多くの方々が製作したり、販売されて普及したことから、実用新案の問題は解決されたのかもしれません。あるいは中村氏の製作と著作による普及が先だったために、石原氏の実用新案がほとんど周知されないまま、なし崩し的な扱いになったのかもしれません。
尚、中村氏の著作内では、平面斜鏡は僅かに凸面として収差を減らすのが望ましいが、そのような凸面斜鏡の製作は困難であるため、平面鏡あるいはプリズムを用いても良いとあり、挿入図として直角プリズムを用いたものとなっています。
石原氏の考案の図と記述では二次鏡としてプリズムを用いるとしているようです。
先の石原氏や鈴木氏について少し調べてみましたが、詳細は私には分かりませんでした。
また石原氏の実用新案については「天体望遠鏡のすべて79年版」を参考としていますが、それによると昭和4年の実用新案となっています。
どなたかの更なる情報を望みます。
最後に編集したユーザー 富田 [ 2024年4月08日(月) 06:21 ], 累計 1 回
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
みなさま、こんにちわ。
富田さま、こんにちわ。
私が調べていたことを追記しておきます。
最初に石原錠太郎氏に興味を抱いている方がおられたのは、今後の調査にも心強いかぎりです。
石原錠太郎氏の実用新案を添付しておきます。
氏の住所は、本郷区駒込林町238ですが。
天文月報1927年12月号に日本天文学会会員名簿があります。
興味深いのは、中野善雄という方の住所が本郷区駒込林町238石原錠太郎方になっていることです。
中野善雄氏については、特定にはいたりませんが、昭和7年頃に京大農学科に入られた方 ?
日本天文学会から追跡できたら、はっきりすると思いますが。
中野善雄氏、富田さまご存知ありませんか、また、どなたか情報をお持ちではないでしょうか。
この住所には、大戸逞三という方いて、眼鏡の卸をしていました。
本郷区駒込林町238といっても、多くの方が住んでいたと思われます。
ただ、昭和11年以降の記録では大戸逞三氏は双眼鏡も製造していましたし、光学製品の卸もしています。
(大戸逞三商店)
石原錠太郎氏との関係も考えてみる必要があろうかと思います。
鈴木義之氏については、その著「望遠鏡と顕微鏡の作り方」は未見ですが、昭和13年には株式会社高千穂
製作所技師、昭和15年には日真光学精機株式会社に移られ、取締役を務められた方だと思います。
顕微鏡についても、著述があります。
ざっと、こんな感じで、核心にはいたりませんが。
富田さま、こんにちわ。
私が調べていたことを追記しておきます。
最初に石原錠太郎氏に興味を抱いている方がおられたのは、今後の調査にも心強いかぎりです。
石原錠太郎氏の実用新案を添付しておきます。
氏の住所は、本郷区駒込林町238ですが。
天文月報1927年12月号に日本天文学会会員名簿があります。
興味深いのは、中野善雄という方の住所が本郷区駒込林町238石原錠太郎方になっていることです。
中野善雄氏については、特定にはいたりませんが、昭和7年頃に京大農学科に入られた方 ?
日本天文学会から追跡できたら、はっきりすると思いますが。
中野善雄氏、富田さまご存知ありませんか、また、どなたか情報をお持ちではないでしょうか。
この住所には、大戸逞三という方いて、眼鏡の卸をしていました。
本郷区駒込林町238といっても、多くの方が住んでいたと思われます。
ただ、昭和11年以降の記録では大戸逞三氏は双眼鏡も製造していましたし、光学製品の卸もしています。
(大戸逞三商店)
石原錠太郎氏との関係も考えてみる必要があろうかと思います。
鈴木義之氏については、その著「望遠鏡と顕微鏡の作り方」は未見ですが、昭和13年には株式会社高千穂
製作所技師、昭和15年には日真光学精機株式会社に移られ、取締役を務められた方だと思います。
顕微鏡についても、著述があります。
ざっと、こんな感じで、核心にはいたりませんが。
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
富田さん。青色つきこさん。貴重な情報のご紹介ありがとうございます。
特にシベットさんのHP、奥が深いですね。「昔欲しかった天体望遠鏡」と同じ時期から、そのまま積み重ねていっているHPは少なくなりました。参考になります。
富田さん。よろしかったら、次の「曇天の集いOnlineLive」でのプレゼンも、ご検討ください。日程が決まり次第、このフォーラムの「お知らせ」でご紹介いたします。いつでもいいんですが、最も曇りが多い6月頃にしたいと思ってます。
ハーシェルニュートンのような光学系は、もっと早くから作られていてもおかしくなかったと思ってましたので、中村要氏があみ出したかのような記載をみても、そうなの?で終わってました。
また、量産?していたDGM opticsも、自身で見出したかのような、歴史には触れておりません。
http://users.erols.com/dgmoptics/index_old.htm
実際、どうなんでしょう。
ちなみに、さらっと中村要氏の1928年頃の資料を見直してみると85~90㎜前後は多いのですが、75~80㎜くらいの口径のミラーは4面くらい。50㎜前後は1面しか記録がないようです。
特にシベットさんのHP、奥が深いですね。「昔欲しかった天体望遠鏡」と同じ時期から、そのまま積み重ねていっているHPは少なくなりました。参考になります。
富田さん。よろしかったら、次の「曇天の集いOnlineLive」でのプレゼンも、ご検討ください。日程が決まり次第、このフォーラムの「お知らせ」でご紹介いたします。いつでもいいんですが、最も曇りが多い6月頃にしたいと思ってます。
ハーシェルニュートンのような光学系は、もっと早くから作られていてもおかしくなかったと思ってましたので、中村要氏があみ出したかのような記載をみても、そうなの?で終わってました。
また、量産?していたDGM opticsも、自身で見出したかのような、歴史には触れておりません。
http://users.erols.com/dgmoptics/index_old.htm
実際、どうなんでしょう。
ちなみに、さらっと中村要氏の1928年頃の資料を見直してみると85~90㎜前後は多いのですが、75~80㎜くらいの口径のミラーは4面くらい。50㎜前後は1面しか記録がないようです。
プライベートメッセージです
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
皆様こんにちは
脱線ですが、ご紹介のあったシベットさんのブログを拝見して徘徊しているうちに
ルーペをアイピースに転用する話をみつけて「ルーペ 接眼レンズ 望遠鏡」で検索していたら
キヤノンサイエンスラボ・キッズのこんなサイトに巡り合いました。
https://global.canon/ja/technology/kids ... 05_02.html
【設計図】今回作るもの(変形ニュートン式)がハーシェル・ニュートン式の絵になっていました。
(図面が2006年になっているので既にご存じの方が多いかもしれません)
後半の「もっとしろう!」で、凹面鏡の精度が悪いから絞って精度の良いところを使っている、
絞りの径を変えることで見え方が変わるので試してみよう、というような説明がありました。
記事を書かれた山村 紳一郎先生がハーシェル・ニュートン式の経緯を知っていたのかどうかは
わかりません。
キヤノンサイエンスラボ・キッズには子供向けの色々な光学実験が掲載されていて面白いですね。
脱線ですが、ご紹介のあったシベットさんのブログを拝見して徘徊しているうちに
ルーペをアイピースに転用する話をみつけて「ルーペ 接眼レンズ 望遠鏡」で検索していたら
キヤノンサイエンスラボ・キッズのこんなサイトに巡り合いました。
https://global.canon/ja/technology/kids ... 05_02.html
【設計図】今回作るもの(変形ニュートン式)がハーシェル・ニュートン式の絵になっていました。
(図面が2006年になっているので既にご存じの方が多いかもしれません)
後半の「もっとしろう!」で、凹面鏡の精度が悪いから絞って精度の良いところを使っている、
絞りの径を変えることで見え方が変わるので試してみよう、というような説明がありました。
記事を書かれた山村 紳一郎先生がハーシェル・ニュートン式の経緯を知っていたのかどうかは
わかりません。
キヤノンサイエンスラボ・キッズには子供向けの色々な光学実験が掲載されていて面白いですね。
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
ガラクマ様
青色つきこ様
皆様
いろいろなコメント、ご意見をありがとうございます。
また時間をみて、それぞれにお返事させていただきますが、取り急ぎ、ガラクマ様へご回答、コメントさせていただきます。
ガラクマ様がご参照されている中村氏の資料はどのようなものなのでしょうか。
私の「中村要氏が1928年には5cmの小口径反射鏡を研磨していた」との記述(先のワークショップの資料で、中村氏は44面を研磨)の根拠資料をいくつか示しておきます。
まず、中村要氏の1929年、昭和4年8月発刊の「反射屈折天体望遠鏡、作り方・観測手引」の22ページ3行目に「近来は五センチという多分素人が問題にしそうにもないものまで数十個作っている」と中村氏自身の記述があります。
また中村氏の遺した光学ノートなどの資料をもとに冨田良雄氏と久保田諄氏によって書かれた「中村要と反射望遠鏡」139ページ表3.3「口径別凹面鏡研磨数」に2インチを合計52枚(1927年以前5枚、1928年以降47枚)とあります。さらに同書巻末214ページには表B2「5cm径放物面鏡リスト」として合計44個の鏡面リスト(HM1〜HM44)と直径、焦点距離、製作年の記載があり、全て口径50mmで1928年の製作となっています。HMはハーシェル・ニュートン用ミラーの略とのことです。
機会を見て、それらの写真を掲載するようにしますが、ハーシェル・ニュートン式反射望遠鏡用の小口径主鏡を多数研磨したことは事実と考えます。
追記
5cm程の小口径長焦点反射鏡を研磨した経験から、それら中村鏡がどの程度正確に放物面近くに整形されていたかとても興味があります。
正直、放物面への整形はかなり困難だったはずです。また軸外し望遠鏡用ですので、実際には球面鏡でも良かったように思います。
いずれしても実物が存在するなら、ぜひともフーコーテストをしてみたいです。
青色つきこ様
皆様
いろいろなコメント、ご意見をありがとうございます。
また時間をみて、それぞれにお返事させていただきますが、取り急ぎ、ガラクマ様へご回答、コメントさせていただきます。
ガラクマ様がご参照されている中村氏の資料はどのようなものなのでしょうか。
私の「中村要氏が1928年には5cmの小口径反射鏡を研磨していた」との記述(先のワークショップの資料で、中村氏は44面を研磨)の根拠資料をいくつか示しておきます。
まず、中村要氏の1929年、昭和4年8月発刊の「反射屈折天体望遠鏡、作り方・観測手引」の22ページ3行目に「近来は五センチという多分素人が問題にしそうにもないものまで数十個作っている」と中村氏自身の記述があります。
また中村氏の遺した光学ノートなどの資料をもとに冨田良雄氏と久保田諄氏によって書かれた「中村要と反射望遠鏡」139ページ表3.3「口径別凹面鏡研磨数」に2インチを合計52枚(1927年以前5枚、1928年以降47枚)とあります。さらに同書巻末214ページには表B2「5cm径放物面鏡リスト」として合計44個の鏡面リスト(HM1〜HM44)と直径、焦点距離、製作年の記載があり、全て口径50mmで1928年の製作となっています。HMはハーシェル・ニュートン用ミラーの略とのことです。
機会を見て、それらの写真を掲載するようにしますが、ハーシェル・ニュートン式反射望遠鏡用の小口径主鏡を多数研磨したことは事実と考えます。
追記
5cm程の小口径長焦点反射鏡を研磨した経験から、それら中村鏡がどの程度正確に放物面近くに整形されていたかとても興味があります。
正直、放物面への整形はかなり困難だったはずです。また軸外し望遠鏡用ですので、実際には球面鏡でも良かったように思います。
いずれしても実物が存在するなら、ぜひともフーコーテストをしてみたいです。
最後に編集したユーザー 富田 [ 2024年4月08日(月) 06:35 ], 累計 4 回
Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡
富田様。
私も、「中村要と反射望遠鏡」の記事を覚えているのですが、実は2冊持っていた同書をあちこち持って行っていた間に、貸したのか無くしたのか手元に今なく、確認することができませんでした。
仕方なく、過去お借りしてとった中村要氏の1928年のノートのコピーを斜め読みした結果です。
(中村要ノート他の資料は、ダイニック天究館の管理として公開には許可が必要で、添付できず申し訳ありません)
富田さんの認識が正しいと思います。私が確認できなかっただけで、11冊あるノートを時間をかけて隅々まで確認したら同じ結果になるものと思います。ただ、28年のノートには多数磨いた記録は見つけれませんでした。
私も、「中村要と反射望遠鏡」の記事を覚えているのですが、実は2冊持っていた同書をあちこち持って行っていた間に、貸したのか無くしたのか手元に今なく、確認することができませんでした。
仕方なく、過去お借りしてとった中村要氏の1928年のノートのコピーを斜め読みした結果です。
(中村要ノート他の資料は、ダイニック天究館の管理として公開には許可が必要で、添付できず申し訳ありません)
富田さんの認識が正しいと思います。私が確認できなかっただけで、11冊あるノートを時間をかけて隅々まで確認したら同じ結果になるものと思います。ただ、28年のノートには多数磨いた記録は見つけれませんでした。
プライベートメッセージです