日本精光研究所 UNITRONの60mm屈折赤道儀MODEL No.128を入手しました。
原さんご紹介のヤフオクに出ていたものです。ひところの狂争は無かったようで
思わぬ安価で手に入りました。
3インチ、4インチと所有していますがこの60mmは実物を見るのも初めてでした。
木箱2つと三脚のダン箱、すべてが小ぶりで狭小住宅の保管スペースにやさしいです。
ちなみに3つの箱のサイズは以下
赤道儀一式 360X325X140 ( 7.0Kg )
鏡筒 一式 905X175X135 ( 5.2Kg )
三脚 一式 810X130X100 ( 3.3Kg )
ユニトロン赤道儀の末弟としても手抜きは無く上位機種をスケールダウンしたかのような
見ていて安心感のある佇まいです。家にある価格表によれば一式6万円のセットによくぞ
ここまでの内容を織り込めるものかと感心させられます。
ユニトロンは末っ子2インチ経緯台も持っていますのでコレクションはこの辺で一休みと
いたしたいところです。そうそう、運転時計は出てくれば狙いますがちょっとやそっとでは
手にはいらないだろうなぁ。
UNITRON Model No. 128 入手
Re: UNITRON Model No. 128 入手
じゃんく王様。ご投稿ありがとうございます。
よさそうな個体ですね。もっと上がるんではないかと思ってました。小型で手の込んだ長焦点アクロはもう出ないと思います。
なにせかっこいいい。これくらいのサイズがリビングに飾るのがいいです。
TV番組のセットの背景にいいですが、あったら目が移ってダメですね。
ちなみに、博物館の寄贈品の中にもありますが、ウォームホイールは平ギヤ(スパーギヤ)に見えます。
ウォームギヤの直径を大きくしているのは、ウォームホイールに斜めにネジを切らなくていいようにでしょうか?
カタログをリンクします。
https://yumarin7.sakura.ne.jp/retrokan/unitron1973Q.pdf
よさそうな個体ですね。もっと上がるんではないかと思ってました。小型で手の込んだ長焦点アクロはもう出ないと思います。
なにせかっこいいい。これくらいのサイズがリビングに飾るのがいいです。
TV番組のセットの背景にいいですが、あったら目が移ってダメですね。
ちなみに、博物館の寄贈品の中にもありますが、ウォームホイールは平ギヤ(スパーギヤ)に見えます。
ウォームギヤの直径を大きくしているのは、ウォームホイールに斜めにネジを切らなくていいようにでしょうか?
カタログをリンクします。
https://yumarin7.sakura.ne.jp/retrokan/unitron1973Q.pdf
プライベートメッセージです
Re: UNITRON Model No. 128 入手
やっぱり長い筒はかっこいいですな。これぞ望遠鏡。6cmの小口径機なのに極軸に部分微動が付いているのも、今ではありえない。凝った構造で面白い。シンクロナスモーターまでしかなかった頃ならでは。
Re: UNITRON Model No. 128 入手
みなさま、こんにちわ。
じゃんく王さま、入手おめでとうございます。
クラシカル屈折党でしょうか。Model No.128だって、結構な大きさ・重量だと思います。
3インチ、4インチも、なおさら大きいし、重いと思います。保管場所が確保できないと
とても、とても集められません。
私的には、日本精光研究所は、あくまでも、輸出向け天体望遠鏡製造会社だったように思い
ます。
残されていた事務所も4~5年前に閉鎖され、その後(令和2年だったかなあ)、法的にも会社を
整理されたようです。
1949年頃は、世田谷区には野沢に日本精光研究所、新町に五藤光学研究所があり、歩いても
30分もかからない距離にありました。離れてミネルヴァ光学東京営業所。
板橋区には旭光学工業がありましたが、天体望遠鏡メーカーは世田谷区にあった時期です。
(旭光学は1947年に日食を当て込んで望遠鏡を作ったとの記載があるのですが、詳細不明)
創業者の小林栄道氏は僧侶だったのですが、寺を継がずに、1944年に日本精光研究所を設立
しました。世田谷に来る前は両国に居らしたそうですし、戦時中は双眼鏡を作っていたそう
です。なお、光学については独学で習得されたとのことです。
日本精光研究所の天体望遠鏡は米国ユニトロンに輸出されたので、1950年代~1960年代のもの
は国内にあるのでしょうか。6インチは天体望遠鏡博物館にありますよねぇ。
1950年代~1960年代初頭の「天文と気象」には広告が載っていますし、その他の国内の雑誌
にも広告は出していますので、国内にもあったのでしょうが。残っているのか?
じゃんく王さま、入手おめでとうございます。
クラシカル屈折党でしょうか。Model No.128だって、結構な大きさ・重量だと思います。
3インチ、4インチも、なおさら大きいし、重いと思います。保管場所が確保できないと
とても、とても集められません。
私的には、日本精光研究所は、あくまでも、輸出向け天体望遠鏡製造会社だったように思い
ます。
残されていた事務所も4~5年前に閉鎖され、その後(令和2年だったかなあ)、法的にも会社を
整理されたようです。
1949年頃は、世田谷区には野沢に日本精光研究所、新町に五藤光学研究所があり、歩いても
30分もかからない距離にありました。離れてミネルヴァ光学東京営業所。
板橋区には旭光学工業がありましたが、天体望遠鏡メーカーは世田谷区にあった時期です。
(旭光学は1947年に日食を当て込んで望遠鏡を作ったとの記載があるのですが、詳細不明)
創業者の小林栄道氏は僧侶だったのですが、寺を継がずに、1944年に日本精光研究所を設立
しました。世田谷に来る前は両国に居らしたそうですし、戦時中は双眼鏡を作っていたそう
です。なお、光学については独学で習得されたとのことです。
日本精光研究所の天体望遠鏡は米国ユニトロンに輸出されたので、1950年代~1960年代のもの
は国内にあるのでしょうか。6インチは天体望遠鏡博物館にありますよねぇ。
1950年代~1960年代初頭の「天文と気象」には広告が載っていますし、その他の国内の雑誌
にも広告は出していますので、国内にもあったのでしょうが。残っているのか?
Re: UNITRON Model No. 128 入手
この時期の望遠鏡はやっぱり手が込んでいて、作りが良くカッコ良いですなぁ!
なぜか、当方、UNITRONには縁がなく、当時の天文ガイドの広告では知っていましたが、所有していた事はありません。
(友人からZ-3という変態的(笑)は鏡筒は借りていた事はありましたが・・・・)
又、周りの友人も殆ど所有していた人はいなかったので、垂涎のメーカーですね。
是非、星まつり等でいじらせて(笑)下さい!
なぜか、当方、UNITRONには縁がなく、当時の天文ガイドの広告では知っていましたが、所有していた事はありません。
(友人からZ-3という変態的(笑)は鏡筒は借りていた事はありましたが・・・・)
又、周りの友人も殆ど所有していた人はいなかったので、垂涎のメーカーですね。
是非、星まつり等でいじらせて(笑)下さい!