東和光器製作所

「古スコ広場」 懐かしの望遠鏡、昔欲しかった望遠鏡、古い望遠鏡や産業を語りましょう
返信する
アバター
ガラクマ
記事: 527
登録日時: 2023年6月07日(水) 21:16

東和光器製作所

投稿記事 by ガラクマ »

東和光器製作所については、たぶん1,2を争う天体望遠鏡メーカーだったと思いますが、未だよくわかっておりません。

たまたまですが、古い東和光器製作所の望遠鏡を手にする機会がありました。
チープな6㎝屈折経緯台ですが、木箱に入っておりました。
三角板も上下支持棒もありません。石突はゴムです。三角板は小島修介氏が考案したと古老斉藤氏が語っておりました。
それ以前の物でしょうか?

ちなみに1970年代?のLo-Maxの同じ口径、同じ焦点距離のものと比べてみました。
〇にT=ⓉがOEM時の東和光器製作所のマークですが、これはもろにロゴがあります。
経緯台のフォーク部分、鏡筒受け金具も同じです。
(その他は、グレードの違いもあったりして違いますが・・・)

これを機会にまた少し調べてみたいと思います。
IMGP9023.JPG
IMGP9021.JPG
マーク.jpg
IMG_6328.JPG
 プライベートメッセージです
アバター
ガラクマ
記事: 527
登録日時: 2023年6月07日(水) 21:16

Re: 東和光器製作所

投稿記事 by ガラクマ »

東和光器製作所については、以前sherwoodさんが新潟工場を調べて頂いた際に、詳しく説明されております。
https://yumarin7.sakura.ne.jp/telbbsp/j ... getno10931

そんなことで、先月上京した際に、少し調べて来ました。
東和光器製作所の登記は昭和24(1949)年10月22日、閉鎖は平成30(2018)年5月1日です。
まあ、2018年までは望遠鏡はやってなかったと思いますが、60年以上も市場に望遠鏡を供給し続けてきたのは間違いなく、累積で言えば供給台数は国内1,2を争うことは間違いないと思います。

新潟支店があった場所は分かりました。sherwoodさんが調べてくれた新潟工場と、新潟支店です。
パンフ.jpg
scan240106.jpg
 プライベートメッセージです
青色つきこ
記事: 96
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
お住まい: 日本/Japan

Re: 東和光器製作所

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちわ。

東和光器製作所は、これまでも取り上げられてきた話題でしたが、これまでのことを踏まえながら追記しておきます。

山本栄氏の東和光器製作所を設立までの経歴は、「大衆人事録」「産経日本紳士年鑑」が参考になりますが両者は微妙
に異なります。
1917年(大正6年)生れで、1931年(昭和6年)に橘光学機械製作所に入社、営業を担当し常務の後、1949年(昭和24年)10月
に東和光器製作所を設立しました。
出身は茨城県とも栃木県とも記されています。戦中は兵役に服していたとのことですが詳細は不明です。
橘光学機械製作所は1948年(昭和23年)当時は台東区浅草鳥越1-15に在ったようです。(「眼鏡と光学」1948-10)
「大衆人事録 第16版 全国篇」1953ではそこが山本栄氏の住所地になっています。
それ以降の版及びその他の紳士録では台東区浅草鳥越1-19で、東和光器製作所の営業所の住所地でもあります。
なお、山本栄氏が在職した橘光学機械製作所が茨城県猿島郡に在った(株)橘光学機械製作所と同一のものか判断でき
る材料までは持っておりません。
(株)橘光学機械製作所は1943年(昭和18年)設立で、1931年(昭和6年)に文京区で検眼用レンズを製造したのが始まりと
のことです。(「製品開発企業の事例」『Shokokai』1999-6)
もう一つ橘光学がありましたが、それは1941年(昭和16年)にタチバナ商店が橘光学器機製作所(荒川区三河島町)に改名、
同地に工場・営業所を新設したものです。(「眼鏡新報」1941-6)
このあたりについては、判断材料がないので、とりあえずは山本栄氏が在職した橘光学機械製作所がどちらだったのか、
もしくは橘光学機械製作所=橘光学器機製作所なのかは、とりあえずは保留とします。

1958年時の有限会社東和光器製作所(TOWA KOKI FACTORY LTD.)の施設は以下のとおりでした。
営業所 東京都台東区浅草鳥越1-19
本社工場 東京都荒川区尾久町1-1235
第二工場 東京都荒川区尾久町3-2303
レンズ工場 東京都荒川区尾久町5-694

「帝国銀行会社要録 第58版 東日本」1977には東和光器製作所の仕入先として、八千代光学、上石製作所、伊興製作所
が記されています。
八千代光学株式会社は同名の会社があり、どちらも光学関係の会社です。
識別のために八千代光学(荒川区)、八千代光学(板橋区)とします。
ここに挙がっている八千代光学株式会社は八千代光学(荒川区)です。
八千代光学株式会社は創業1952年(昭和27年)、1956年(昭和31年)株式会社に改組、代表取締役 加藤正喜氏、そして
取締役が山本栄氏と田中光次氏でした。
業務は天体望遠鏡用及び双眼鏡用レンズ、プリズムの製造です。(「日本実業商工信用録 第24版」1964 等)
東和光器製作所が新潟県北蒲原郡笹神村に工場を持ったように、八千代光学株式会社も同地に工場を持っていました。
(「帝国銀行会社要録 第51版」1970)
東和光器製作所にもレンズ工場はありましたが、天体望遠鏡用のものは八千代光学製と考えても良いと考えます。
有限会社上石製作所は荒川区尾久町にあり、合成樹脂成形、光学部品を製造していました。
(「荒川区商工名鑑1961」1961)
伊興製作所については全く情報を持ち合わせません。

更に得意先としては、タンロスサプライカンパニー、フォートクエレー、朝日通商、なお「帝国銀行会社年鑑 第68版
東日本」1987では朝日通商に替わって東京物産、東洋実業が記されています。
タンロスサプライカンパニーはタスコですが、タスコ・ジャパン(日本におけるタスコの代理店、資本関係はなかった
ようです)を通じて輸出していたと考えられます。
東京物産株式会社は1956年設立で光学機械、釣具、楽器、電気機器輸出を行っていました。
日野金属産業(株)はここと取引があったとのことです。
東洋実業株式会社は1947年(昭和22年)設立で光学器械製造輸出を行っていました。

東和パノップは系列会社という位置づけ(「帝国銀行会社要録 第58版 東日本」1977)、ビルメンテナンス、クリーナー
製品も取り扱っていたようです。
もしかしたらpanopはponpicから来ているのかも。

                                       続く
有限会社東和光器製作所1958.jpg
panop.jpg
アバター
ガラクマ
記事: 527
登録日時: 2023年6月07日(水) 21:16

Re: 東和光器製作所

投稿記事 by ガラクマ »

 青色つきこ様。さすがです。
橘光学機械製作所に八千代光学株式会社ですか。
ただ、八千代光学株式会社については東和光器製作所の創業以降にできた会社ですね。
興味が尽きません。
国会図書館で検索してみると、相川馨という方も第一光學の研究部長と東和光器の部長と兼務?していたようで、複雑に絡んでいるようですね。

 私の方は望遠鏡としてみると、東和光器の代表作の一つ?一眼レフファインダーの経緯台です。
エイコーもスカイレーダー型として1973年頃から売ってましたが、東和光器としてもLo-Maxというブランドでも広く出していたようです。
その後、改良型?がアストロ光学からも売られておりましたが、細部を見るといろいろ特徴的なことがあります。

<Lo-Max、60㎜屈折経緯台>
・使いやすい焦点距離700㎜
・簡単ではあるが有効な上下水平微動付
・一眼レフファインダー。視野が狭め(25-30度くらい?)、使いやすいかどうかは置いといて、カチッときまるしっかりした感触は設計の良さを感じる。
・サイドのシールに大きくⓉ。ただ、接眼部に銘板なし。
・軽量なのに直脚。しっかりして美しい三脚

<アストロ光学工業、60㎜屈折経緯台>
・改良一眼レフファインダー、ピント調節機構、若干視野が拡大(30度くらい?)し旧型に比べ明るく見える。
・三脚台座の方にもすり割り
・焦点距離は話題の?910㎜。上下支持棒の長さもLo-Maxと違え合わせている。
・黒色伸縮脚はちょっとマイナス
・東和光器らしい部品が使われているにも関わらず、Ⓣマークが無い?

発注契約など、受発注のやり方が銘板に表れているのでしょうか?
アストロの方は、例の自社先導でカルテルとして作っているとの認識かもしれません。
DSC_0041.JPG
DSC_0049.JPG
DSC_0046.JPG
DSC_0044.JPG
DSC_0045.JPG
 プライベートメッセージです
青色つきこ
記事: 96
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
お住まい: 日本/Japan

Re: 東和光器製作所

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちわ。
ガラクマ様、こんにちわ。

エイコースカイレーダーは記憶に残るスタイルで、とても印象的でした。
ともあれ、一眼レフ型ファインダーは東和光器の代表作です。
実用新案出願では「望遠鏡の探索装置」となっています。
これは、山本栄氏が実用新案出願 昭47-088108 として1972年7月に提出しましたが、拒絶査定(1977年9月)に終わりましたが、その後、実用新案出願 昭53-147398 として1978年10月に再提出されました。しかし、これも拒絶査定(1983年3月)に終
わっています。これの反射望遠鏡バージョンが実用新案出願 昭54-07971です。
1979年6月に提出されましたが、これも拒絶査定(1983年月)になりました。

山本栄氏は、いろいろ出願されていますが、実用的で製品としても突出しているのはエイコースカイレーダー型とタンヅツで
はないでしょうか。

国立国会図書館は、その所蔵するものが対象なので、そこから漏れているものも、たくさんあります。
パーフェクトではありませんが、とても貴重な情報源で、重宝します。

東和光器、わからないようで、案外わかっているような。
S47-088108.jpg
S53-147398.jpg
S54-079710反射.jpg
おさら
記事: 1
登録日時: 2024年4月01日(月) 21:33

Re: 東和光器製作所

投稿記事 by おさら »

みなさん、こんにちは

先日、自分のブログにガラクマ様からのコメントを拝見して
こちらに参加させていただきました。

うちの親父の名刺があったので、東和光器の当時の住所です。
ちなみになぜか本社ビルはちゃんと仲御徒町にあったので、東京都台東区台東は合ってます。

我が家にあったレンズとかは、大体会社の製品だったのですが
タムロン、シグマあたりと取引あったとかなんとかカメラいじってる時に聞きました。
あとケンコーとかにも確か卸してました。
よくパンフレットでこの天体望遠鏡はうちのだって言ってたので。

顕微鏡も作っていたのですが、あれはどこに卸してたのやら…。

ちなみに今年の3月にコメント頂いた時期に母の所へ引っ越しを考えていて、
丁度残っていた実家のレンズと望遠鏡を破棄してしまいまして…コメントをもう少し見るのが早ければと思いました。

短筒と呼ばれる黒いカメラにも装着出来るでかい望遠鏡とかもその際に処分してしまいました…。
ちなみに望遠鏡制作自体は、平成8年くらいには終わりにしていたみたいです。

商売的には、アメリカに輸出してたのですが円高により結果的に衰退してしまったらしいです。

日本の工場も閉鎖して本社ビルをダイヤモンド卸に貸してたりして、家賃収入で存続していたらしいのですがそのビルも名称が変わって売却したみたいです。
初代社長の人脈でやっていった会社らしいので、後を継いだ娘さんでは不景気に勝てなかったみたいです。
在職中に部長で婿さんがいたんですが、亡くなってしまったと聞きました。それも痛手だったみたいです。
PXL_20240401_123446453.MP.jpg
アバター
ガラクマ
記事: 527
登録日時: 2023年6月07日(水) 21:16

Re: 東和光器製作所

投稿記事 by ガラクマ »

 おさらさん。ご投稿、ありがとうございます。
貴重な情報です。最後に大一光学さんに工作機械や図面などを渡したらしいですね。

カメラレンズも作られていたとは知りませんでした。
当時の事情をよく知っている方がお元気でしたら、お話をお聞きしたいものです。
 プライベートメッセージです
返信する