ケンコー天体望遠鏡 1975~
Posted: 2023年9月23日(土) 11:09
みなさま、こんにちわ。
(株)ケンコーは、1957年9月設立され、業務は写真機用フィルター・各種光学製品販売
です。ケンコーがいつから天体望遠鏡を扱うようになったのかは不明ですが。
ケンコーが自社独自の天体望遠鏡を売り出したのは、1975年春からで、その初陣がNE型、
続いてKA型でした。(※2023.9.23ガラクマ様からの指摘で1974年を1975年に修正)
それまでは、東和光器製作所・奥川機械工業の製品をケンコー天体望遠鏡として
販売していました。東和光器製作所・奥川機械工業の両社とも輸出がメインであり、
国内販売での知名度は一般には低かったと思います。
KE型、KA型、後のKD型のケンコー天体望遠鏡にアストロ光学工業の天体望遠鏡の影を感じる
のは私だけでしょうか。長年いだいていた、疑問に対してのヒントを与えてくれ
たのが、「天文と気象」1977年5月号の広告に掲載された「工場長からみなさまへ」
でした。(ある天文台の先生で思い浮かぶのは、冨田氏でしょうか?)
「ある天文台の先生から「初心者の望遠鏡に粗悪品が多くて困る。切角のアマチュア
のイメージをこわしてしまう。初心者のもの程 充分に吟味して作ってもらいたい。」と
言われたことがありますが、当社では口径の大小や価格にかかわりなく、同じように
厳密な検査をし、より良い製品をお届けするように心掛けています。
ケンコー天体望遠鏡は、KE・KA・KNの精鋭機種を取り揃えハイアマチユアの方
から初めて望遠鏡をお求めになる方にも、安心してご使用いただけるものと確信い
たしております」(抜粋)
工場長Y氏 (イニシャルのみにしておきます)ですが、「天文と気象」1973年12月号
のメーカー訪問アストロ光学工業の中に名前が出ています。また、当時はアストロ光学
工業の取締役に名を連ねていました。しかし、1974年にアストロ光学工業の経営が
チューエツグループに移った後の取締役には名前がないことから、アストロ光学工業
を退職され、ケンコーに移られたのではないでしょうか。
もうひとつは、取締役から外れたが、アストロ光学工業の工場長になっていた場合は
アストロ光学工業がケンコー天体望遠鏡を製造していた可能性があります。
さらに違った見方をすれば、ここでの工場とは、どこのことなのか。
ケンコー光学なのか、もしかしたら東和光器製作所とも考えることができます。
とりあえずは、ケンコー光学としておきます。
話を戻して、独自開発のケンコー天体望遠鏡にはアストロ光学工業のY氏が
関わっていたと思えてなりません。
この辺の事情をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非、ご教示いただきたいです。
KE、KA、KN、KD型のケンコー天体望遠鏡は、標準的ですが飽きのこないデザイン
だと思います。特にKA型経緯台は好きです。
(天体望遠鏡アーカイブ 「レトロ望遠鏡資料館」のケンコーのカタログを参照のこと)
(株)ケンコーは、1957年9月設立され、業務は写真機用フィルター・各種光学製品販売
です。ケンコーがいつから天体望遠鏡を扱うようになったのかは不明ですが。
ケンコーが自社独自の天体望遠鏡を売り出したのは、1975年春からで、その初陣がNE型、
続いてKA型でした。(※2023.9.23ガラクマ様からの指摘で1974年を1975年に修正)
それまでは、東和光器製作所・奥川機械工業の製品をケンコー天体望遠鏡として
販売していました。東和光器製作所・奥川機械工業の両社とも輸出がメインであり、
国内販売での知名度は一般には低かったと思います。
KE型、KA型、後のKD型のケンコー天体望遠鏡にアストロ光学工業の天体望遠鏡の影を感じる
のは私だけでしょうか。長年いだいていた、疑問に対してのヒントを与えてくれ
たのが、「天文と気象」1977年5月号の広告に掲載された「工場長からみなさまへ」
でした。(ある天文台の先生で思い浮かぶのは、冨田氏でしょうか?)
「ある天文台の先生から「初心者の望遠鏡に粗悪品が多くて困る。切角のアマチュア
のイメージをこわしてしまう。初心者のもの程 充分に吟味して作ってもらいたい。」と
言われたことがありますが、当社では口径の大小や価格にかかわりなく、同じように
厳密な検査をし、より良い製品をお届けするように心掛けています。
ケンコー天体望遠鏡は、KE・KA・KNの精鋭機種を取り揃えハイアマチユアの方
から初めて望遠鏡をお求めになる方にも、安心してご使用いただけるものと確信い
たしております」(抜粋)
工場長Y氏 (イニシャルのみにしておきます)ですが、「天文と気象」1973年12月号
のメーカー訪問アストロ光学工業の中に名前が出ています。また、当時はアストロ光学
工業の取締役に名を連ねていました。しかし、1974年にアストロ光学工業の経営が
チューエツグループに移った後の取締役には名前がないことから、アストロ光学工業
を退職され、ケンコーに移られたのではないでしょうか。
もうひとつは、取締役から外れたが、アストロ光学工業の工場長になっていた場合は
アストロ光学工業がケンコー天体望遠鏡を製造していた可能性があります。
さらに違った見方をすれば、ここでの工場とは、どこのことなのか。
ケンコー光学なのか、もしかしたら東和光器製作所とも考えることができます。
とりあえずは、ケンコー光学としておきます。
話を戻して、独自開発のケンコー天体望遠鏡にはアストロ光学工業のY氏が
関わっていたと思えてなりません。
この辺の事情をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非、ご教示いただきたいです。
KE、KA、KN、KD型のケンコー天体望遠鏡は、標準的ですが飽きのこないデザイン
だと思います。特にKA型経緯台は好きです。
(天体望遠鏡アーカイブ 「レトロ望遠鏡資料館」のケンコーのカタログを参照のこと)