大原町41@1971〜
Posted: 2026年9月10日(木) 00:30
みなさん こんにちは
「M」が「大原町41」を最初に訪れたのは1971年の春(*1)でした。
(*1) 途中で、「カチカチ」を上手にやっている人を見かけたのを
ハッキリ覚えています。 その流行は、ごく短かったようですので。
※https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカンクラッカー
※※示準化石みたいですね。
訪問時、「M」が利用した駅は「本蓮沼」か「常盤台」ですが、
そのときは「常盤台」からトコトコ歩いていきました。
駅前から北北東方向に進んで「富士見街道」に突き当たって
右折。 それ(「SB通り」とも言ったかな)を100m程進んで
電気屋さん(日立だったか)の所で左折すると、
後は道なり(前野町を抜けていく)...というのが
「常盤台」からの定番ルート。
※地図を見ると、そんなことは思い出せるのですが
※その初めての時、何が目的で出かけたかは、覚えていない!
とおいむかしに池袋本町から移転した 、アストロとは異なり
「大原町41」の事業所は、ずっと現役であることから
訪れたことのある人も(「M」より良く知っている人も)
多いと、と思います。ですから興味を持ってもらえる「新情報」など、
ほとんど無いはずですが...この初めての訪問の時点で
「現社屋は、まだ無かった」というのはいかがでしょう?
当時の事務所(平屋だったと思います)に入ると、そこは
少し変わった、板敷(と「たたき」もあったか?)の空間でした。
カウンター(「クリーニング屋」にあったような背の高いヤツ)の
後ろに、恰好の良い望遠鏡が置いてありました。
その日、相手をしてくださったのは...喜一郎さん
(だったと思います。) その望遠鏡は、おそらく「D型。」
「極軸高度角が工具なしで調整できるんだよ」と
実際に指でクルクルと回して見せてくれた穏やかな
(誇らしさのまざった)笑顔が、今も浮かんできます。
※(目を丸くしていた「M」 :-)
つぎに訪れるときには、現建屋に変わっていてびっくり!
※1年経っていない筈なのですがねぇ。
数台の望遠鏡を並べた「展示室」の、明るい窓の外の
区営住宅に(そのころは)桜の木があったのかしら。
「M」が10cm反射直焦で撮影したM42のスライドを、
持っていったら、「どれどれ」とルーペを持ち出した、社長が
一言...とかね... いろんなことがありました。
(「M」の好みはサクラカラーでした。)
※※
「とりとめのないはなし」の、さらに余談ですが
前野町を抜けていく路のすぐ近くに旭光学本社がある
のに気がついたのは、しばらく後だった筈です。いつもと、
ちょっと違う道を歩いていたらビックリだったのかな:
低層で横長の、校舎のような建物で「PENTAX」と大きな
文字が掲げてあったような気がします。
SP/SL(/SV)を(借りて)さんざん使っていたのに、
望遠鏡を作っている会社、ということは、なぜか頭に
浮かばなかった。
※※
さて大原町41。ずっと後年になって、その近くの
店へ出かけた(安売りの「Dremel」を買った?)とき
なつかしさにまかせて訪れてみると、出ていらしたのはなんと
喜一郎さん。「もう展示室はないのだ...」と短い会話の中で
鉄道模型屋へ来たことにふれると、
「むかしは鉄道模型もやったねぇ...」と、うかがった
(ボンヤリとした)記憶があります。
「M」が「大原町41」を最初に訪れたのは1971年の春(*1)でした。
(*1) 途中で、「カチカチ」を上手にやっている人を見かけたのを
ハッキリ覚えています。 その流行は、ごく短かったようですので。
※https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカンクラッカー
※※示準化石みたいですね。
訪問時、「M」が利用した駅は「本蓮沼」か「常盤台」ですが、
そのときは「常盤台」からトコトコ歩いていきました。
駅前から北北東方向に進んで「富士見街道」に突き当たって
右折。 それ(「SB通り」とも言ったかな)を100m程進んで
電気屋さん(日立だったか)の所で左折すると、
後は道なり(前野町を抜けていく)...というのが
「常盤台」からの定番ルート。
※地図を見ると、そんなことは思い出せるのですが
※その初めての時、何が目的で出かけたかは、覚えていない!
とおいむかしに池袋本町から移転した 、アストロとは異なり
「大原町41」の事業所は、ずっと現役であることから
訪れたことのある人も(「M」より良く知っている人も)
多いと、と思います。ですから興味を持ってもらえる「新情報」など、
ほとんど無いはずですが...この初めての訪問の時点で
「現社屋は、まだ無かった」というのはいかがでしょう?
当時の事務所(平屋だったと思います)に入ると、そこは
少し変わった、板敷(と「たたき」もあったか?)の空間でした。
カウンター(「クリーニング屋」にあったような背の高いヤツ)の
後ろに、恰好の良い望遠鏡が置いてありました。
その日、相手をしてくださったのは...喜一郎さん
(だったと思います。) その望遠鏡は、おそらく「D型。」
「極軸高度角が工具なしで調整できるんだよ」と
実際に指でクルクルと回して見せてくれた穏やかな
(誇らしさのまざった)笑顔が、今も浮かんできます。
※(目を丸くしていた「M」 :-)
つぎに訪れるときには、現建屋に変わっていてびっくり!
※1年経っていない筈なのですがねぇ。
数台の望遠鏡を並べた「展示室」の、明るい窓の外の
区営住宅に(そのころは)桜の木があったのかしら。
「M」が10cm反射直焦で撮影したM42のスライドを、
持っていったら、「どれどれ」とルーペを持ち出した、社長が
一言...とかね... いろんなことがありました。
(「M」の好みはサクラカラーでした。)
※※
「とりとめのないはなし」の、さらに余談ですが
前野町を抜けていく路のすぐ近くに旭光学本社がある
のに気がついたのは、しばらく後だった筈です。いつもと、
ちょっと違う道を歩いていたらビックリだったのかな:
低層で横長の、校舎のような建物で「PENTAX」と大きな
文字が掲げてあったような気がします。
SP/SL(/SV)を(借りて)さんざん使っていたのに、
望遠鏡を作っている会社、ということは、なぜか頭に
浮かばなかった。
※※
さて大原町41。ずっと後年になって、その近くの
店へ出かけた(安売りの「Dremel」を買った?)とき
なつかしさにまかせて訪れてみると、出ていらしたのはなんと
喜一郎さん。「もう展示室はないのだ...」と短い会話の中で
鉄道模型屋へ来たことにふれると、
「むかしは鉄道模型もやったねぇ...」と、うかがった
(ボンヤリとした)記憶があります。