ASTRO-S5Typeの系譜 ~ 実願昭31-1919 ~
Posted: 2025年10月26日(日) 10:58
みなさま、こんにちわ。
備忘録としてアストロS-5について記しておくのも良いかと思い、長文にはなりますが。
お付き合いくだされば幸いです。
小島修介氏の設計した望遠鏡の中でも、ASTRO-S5Typeは最も代表的なものだと思う。
アストロS5型天体地上望遠鏡は、「月刊教材教具」昭和30年8月号(S30.7.1発行)において、
アストロ光学(株)が新製品完成として広告している。
丁度、豊島区要町3-30にアストロ光学(株)の新工場が完成し、移転した時期と重なる。
ASTRO-Sは、対物レンズ 有効径60mm、f=910mmの鏡筒。
因みにASTRO-AがD=105mmの屈折反射鏡、ASTRO-TがD=50mm,f=500mmの屈折
ASTRO-RがD=40mm,f=910mmの屈折、ASTRO-OがD=60mm,f=500mmの写真用地上望遠鏡
となっている。社名のASTROから採っている。
5は、架台にS型赤道儀兼経緯台を採用したもの。
5自体がS型赤経台を指しているわけではなく、この時点では順番を示しているだけで、意味を
もっていたわけではない。
アストロS5型天体地上望遠鏡は小島修介氏が設計したもので、昭和31年1月17日に実用新案「望遠鏡」
として出願している。
赤道儀として、また経緯台として使用でき、三脚を折り畳むことで容易に格納箱に収納できる。
実用新案出願昭31-1919である。
そして、昭和33年7月31日、小島修介氏の「望遠鏡」は実用新案出願公告昭33-11375として公告された。
本来、出願人も小島修介又はアストロ光学(株)なのだろうが、既に小島修介氏はアストロ光学(株)を
昭和33年2月に余儀なく退社している。
アストロ光学(株)の労働争議は世間を騒がせた。(労使紛争・手形不渡、工場閉鎖、解雇)
そのため実用新案出願公告の出願人はマクロ光学工業(株)になっている。
マクロ光学工業株式会社は、小島修介氏等が昭和33年3月に新たに設立した会社だが、その活動は1年程で、
昭和34年5月頃には広告も見られない。
この実用新案は、結局は第492841号をもって登録されアストロ光学工業(株)が権利を持つに至っている。
レトロ望遠鏡資料館のアストロ光学工業の1970年のカタログにもS-5 (実用新案第492841号)と記されている。
アストロ光学工業(株)というのは、計理士の小沢氏(アストロ光学(株)取締役)を会長に、社長に渡辺氏、
そして小松良基氏を代表取締役にして昭和33年2月に設立された。
アストロ光学(株)の営業面を担う会社として設立された節もあるが、その真意については、発起時期が
昭和33年1月ということもあり、多々疑問がある。
なお、小松事務所があった大手町2-2野村ビルを本店住所としている。
製造工場はアストロ光学(株)のものを使用したが、商標はROYALとした。
小沢会長名のアストロ光学工業(株)の挨拶文がアストロ光学(株)とは一線を画して云々と言っているの
はアストロ光学(株)との繋がりを暗に否定していて興味深い。
なお、ASTROはアストロ光学(株)の商標。
アストロ光学(株)とアストロ光学工業(株)を論じるにあたっては、両者は別会社であることを念頭に置
かなければならない。(1962年11月のアストロ光学(株)の株主総会以降は一心同体)
S-5と称されたD=60mm,f=910mmの光学系で赤経台に載せられた天体望遠鏡は大きく4つに分けられる。
初代(1955-1958):アストロ光学(株)で製造・販売されたアストロS5
2代目(1959-1960):アストロ光学(株)が製造し、アストロ販売(株)が販売したアストロS5A
3代目(1963-):(アストロ光学工業(株)/アストロ光学(株))が製造し、アストロ光学工業(株)が販売したS5
4代目(1968-):(アストロ光学工業(株)/アストロ光学(株))が製造し、アストロ光学工業(株)が販売したニューS5
更には、S-5とは称しなかったが、マクロ光学工業(株)の605型が初代ASTRO-S5Typeの後継機である。
605は60がD=60mmを、5が赤経台を指している。以降、他メーカーにおいても605という型番が見られてくるが
暗にASTRO-S5Typeとの繋がりを示している。
(2025.10.26)
備忘録としてアストロS-5について記しておくのも良いかと思い、長文にはなりますが。
お付き合いくだされば幸いです。
小島修介氏の設計した望遠鏡の中でも、ASTRO-S5Typeは最も代表的なものだと思う。
アストロS5型天体地上望遠鏡は、「月刊教材教具」昭和30年8月号(S30.7.1発行)において、
アストロ光学(株)が新製品完成として広告している。
丁度、豊島区要町3-30にアストロ光学(株)の新工場が完成し、移転した時期と重なる。
ASTRO-Sは、対物レンズ 有効径60mm、f=910mmの鏡筒。
因みにASTRO-AがD=105mmの屈折反射鏡、ASTRO-TがD=50mm,f=500mmの屈折
ASTRO-RがD=40mm,f=910mmの屈折、ASTRO-OがD=60mm,f=500mmの写真用地上望遠鏡
となっている。社名のASTROから採っている。
5は、架台にS型赤道儀兼経緯台を採用したもの。
5自体がS型赤経台を指しているわけではなく、この時点では順番を示しているだけで、意味を
もっていたわけではない。
アストロS5型天体地上望遠鏡は小島修介氏が設計したもので、昭和31年1月17日に実用新案「望遠鏡」
として出願している。
赤道儀として、また経緯台として使用でき、三脚を折り畳むことで容易に格納箱に収納できる。
実用新案出願昭31-1919である。
そして、昭和33年7月31日、小島修介氏の「望遠鏡」は実用新案出願公告昭33-11375として公告された。
本来、出願人も小島修介又はアストロ光学(株)なのだろうが、既に小島修介氏はアストロ光学(株)を
昭和33年2月に余儀なく退社している。
アストロ光学(株)の労働争議は世間を騒がせた。(労使紛争・手形不渡、工場閉鎖、解雇)
そのため実用新案出願公告の出願人はマクロ光学工業(株)になっている。
マクロ光学工業株式会社は、小島修介氏等が昭和33年3月に新たに設立した会社だが、その活動は1年程で、
昭和34年5月頃には広告も見られない。
この実用新案は、結局は第492841号をもって登録されアストロ光学工業(株)が権利を持つに至っている。
レトロ望遠鏡資料館のアストロ光学工業の1970年のカタログにもS-5 (実用新案第492841号)と記されている。
アストロ光学工業(株)というのは、計理士の小沢氏(アストロ光学(株)取締役)を会長に、社長に渡辺氏、
そして小松良基氏を代表取締役にして昭和33年2月に設立された。
アストロ光学(株)の営業面を担う会社として設立された節もあるが、その真意については、発起時期が
昭和33年1月ということもあり、多々疑問がある。
なお、小松事務所があった大手町2-2野村ビルを本店住所としている。
製造工場はアストロ光学(株)のものを使用したが、商標はROYALとした。
小沢会長名のアストロ光学工業(株)の挨拶文がアストロ光学(株)とは一線を画して云々と言っているの
はアストロ光学(株)との繋がりを暗に否定していて興味深い。
なお、ASTROはアストロ光学(株)の商標。
アストロ光学(株)とアストロ光学工業(株)を論じるにあたっては、両者は別会社であることを念頭に置
かなければならない。(1962年11月のアストロ光学(株)の株主総会以降は一心同体)
S-5と称されたD=60mm,f=910mmの光学系で赤経台に載せられた天体望遠鏡は大きく4つに分けられる。
初代(1955-1958):アストロ光学(株)で製造・販売されたアストロS5
2代目(1959-1960):アストロ光学(株)が製造し、アストロ販売(株)が販売したアストロS5A
3代目(1963-):(アストロ光学工業(株)/アストロ光学(株))が製造し、アストロ光学工業(株)が販売したS5
4代目(1968-):(アストロ光学工業(株)/アストロ光学(株))が製造し、アストロ光学工業(株)が販売したニューS5
更には、S-5とは称しなかったが、マクロ光学工業(株)の605型が初代ASTRO-S5Typeの後継機である。
605は60がD=60mmを、5が赤経台を指している。以降、他メーカーにおいても605という型番が見られてくるが
暗にASTRO-S5Typeとの繋がりを示している。
(2025.10.26)