VIXEN
Posted: 2024年12月15日(日) 14:16
みなさま、こんにちわ。
VIXENについて、想いをめぐらしてみました。
(株)光友社が1970年に(株)ビクセンと改称、その分社・合併については古スコ広場でガラクマさまが
整理されています。また、(株)ビクセンのホームページでも沿革が記されていますが.......。
(株)ビクセンの社名になっている商標VIXENは、
1957年に(株)光友社が出願
1958年に(株)光友社が商標登録
1961年に(株)光友社から王子光学機械(株)に権利譲渡(「通産省公報」1961年1月28日)
1963年に王子光学機械(株)からビクセン光学工業(株)に権利譲渡(「通産省公報」1963年7月31日)
1969年にビクセン光学工業(株)から(株)光友社に権利譲渡(「通産省公報」1969年10月4日)
最終的には、(株)ビクセンが商標の権利を持っていました。
王子光学機械(株)は宮垣芳文氏が1953年設立の双眼鏡製造メーカーで、北区稲付西町5-34にありました。
わからないのは、ビクセン光学工業(株)。
ビクセン光学工業(株)は、ここから遅くとも1963年には設立されており、代表者は松沢堯氏、練馬区
練馬3丁目30番7にあった会社。
(株)光友社の広告では、ビクセン光学工業(株)は(株)光友社の工場と記されている。
(「天文と気象」1967-1969)
商標VIXENは(株)光友社が全期間で権利者だと思っていたのが、一時期、譲渡され別の権利者がいた
という事実は以外だった。
公式の沿革では、光友社の工場部門が1969年に独立したのがビクセン光学(株)。
(株)光友社/(株)ビクセン(株)の第一工場で、板橋区大山東町1にあった。
ビクセン光学工業(株)については以上の情報のみで、判断材料不足。
(株)ビクセンの本社・セールスオフィス・工場の所在地が最初に網羅的にきされたのは
「天文と気象」1972年1月号の同社の広告と思われる。
本社 東京都新宿区原町3-13
セールスオフィス Los Angeles Calif.,U.S.A
第一工場 東京都板橋区大山東町1
第二工場 東京都大田区南雪谷5の17の7
第三工場 東京都板橋区大和町23の3
ここでは第二工場 大田区南雪谷5-17-7とあるが、第三工場 板橋区大和町23-3 がアトラス光学(株)。
大田区南雪谷の工場が、どうなったのかは情報不足で不明。
ここでは第三工場だが、(株)ビクセンの第二工場は、アトラス光学(株)で板橋区大和町23にあった。(1971年設立)
板橋区大和町23には東亜光学(株)、アトラスシネ(株)があり、ビクセン(株)はその工場設備と名称を引き継いだ
と推測することもできる。アトラス光学(株)の名称はアトラスシネに由来するのではなかろうか。
東亜光学は双眼鏡等光学機器の製造メーカー、アトラスシネは八ミリ映写機の製造メーカーで代表者は共に三浦繁雄氏。
考慮しておきたいのはアポロ商工(株)と(株)ビクセン・アトラス光学(株)との関係。
アポロ商工(株)は1971年に倒産したが、アトラス光学(株)との位置関係では道路を挟んで真向かいの番地にあった。
アポロ商工(株)の倒産記事は「企業診断」18(4),1971にあり、
「アポロ商工(資本金60万円)は主として対米輸出向け天体望遠鏡製造をを行い月商700万円内外をあげていた。昨年8月頃
から輸出が減り、年末には受注は殆どなく、負債1,500万円内外で行き詰まった。」
アポロ商工(株)の倒産の時期とアトラス光学(株)の設立の時期が重なり合うこと、両者の所在地が近いことも
考えれば、天体望遠鏡の生産設備が譲渡された可能性もある。
VIXENについて、想いをめぐらしてみました。
(株)光友社が1970年に(株)ビクセンと改称、その分社・合併については古スコ広場でガラクマさまが
整理されています。また、(株)ビクセンのホームページでも沿革が記されていますが.......。
(株)ビクセンの社名になっている商標VIXENは、
1957年に(株)光友社が出願
1958年に(株)光友社が商標登録
1961年に(株)光友社から王子光学機械(株)に権利譲渡(「通産省公報」1961年1月28日)
1963年に王子光学機械(株)からビクセン光学工業(株)に権利譲渡(「通産省公報」1963年7月31日)
1969年にビクセン光学工業(株)から(株)光友社に権利譲渡(「通産省公報」1969年10月4日)
最終的には、(株)ビクセンが商標の権利を持っていました。
王子光学機械(株)は宮垣芳文氏が1953年設立の双眼鏡製造メーカーで、北区稲付西町5-34にありました。
わからないのは、ビクセン光学工業(株)。
ビクセン光学工業(株)は、ここから遅くとも1963年には設立されており、代表者は松沢堯氏、練馬区
練馬3丁目30番7にあった会社。
(株)光友社の広告では、ビクセン光学工業(株)は(株)光友社の工場と記されている。
(「天文と気象」1967-1969)
商標VIXENは(株)光友社が全期間で権利者だと思っていたのが、一時期、譲渡され別の権利者がいた
という事実は以外だった。
公式の沿革では、光友社の工場部門が1969年に独立したのがビクセン光学(株)。
(株)光友社/(株)ビクセン(株)の第一工場で、板橋区大山東町1にあった。
ビクセン光学工業(株)については以上の情報のみで、判断材料不足。
(株)ビクセンの本社・セールスオフィス・工場の所在地が最初に網羅的にきされたのは
「天文と気象」1972年1月号の同社の広告と思われる。
本社 東京都新宿区原町3-13
セールスオフィス Los Angeles Calif.,U.S.A
第一工場 東京都板橋区大山東町1
第二工場 東京都大田区南雪谷5の17の7
第三工場 東京都板橋区大和町23の3
ここでは第二工場 大田区南雪谷5-17-7とあるが、第三工場 板橋区大和町23-3 がアトラス光学(株)。
大田区南雪谷の工場が、どうなったのかは情報不足で不明。
ここでは第三工場だが、(株)ビクセンの第二工場は、アトラス光学(株)で板橋区大和町23にあった。(1971年設立)
板橋区大和町23には東亜光学(株)、アトラスシネ(株)があり、ビクセン(株)はその工場設備と名称を引き継いだ
と推測することもできる。アトラス光学(株)の名称はアトラスシネに由来するのではなかろうか。
東亜光学は双眼鏡等光学機器の製造メーカー、アトラスシネは八ミリ映写機の製造メーカーで代表者は共に三浦繁雄氏。
考慮しておきたいのはアポロ商工(株)と(株)ビクセン・アトラス光学(株)との関係。
アポロ商工(株)は1971年に倒産したが、アトラス光学(株)との位置関係では道路を挟んで真向かいの番地にあった。
アポロ商工(株)の倒産記事は「企業診断」18(4),1971にあり、
「アポロ商工(資本金60万円)は主として対米輸出向け天体望遠鏡製造をを行い月商700万円内外をあげていた。昨年8月頃
から輸出が減り、年末には受注は殆どなく、負債1,500万円内外で行き詰まった。」
アポロ商工(株)の倒産の時期とアトラス光学(株)の設立の時期が重なり合うこと、両者の所在地が近いことも
考えれば、天体望遠鏡の生産設備が譲渡された可能性もある。