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Re: マイナー? 知名度が低い望遠鏡屋さん

Posted: 2023年10月14日(土) 08:52
by 青色つきこ
みなさま、こんにちわ。
ガラクマさま、これはまた.........すごいものを。
五藤光学研究所も同業者が出てきて、更に高級品を作るようになったようですが、時期的にその同業者の一つでしょうか。

戦後の雑誌「科学の友」1950にも同社の広告は見受けられますが、映写機・小型カメラ、万年筆、美顔器です。営業品目
には光学品、レンズ、カメラ用フィルムもあります。
合資会社ゴールドカメラ工業所 (東京都豊島区池袋3-1643)

ところで、私のなかでの「マイナー?」は戦後~アサヒフレックス発売の期間におけるの天体望遠鏡メーカーとしての
旭光学工業です。
ヨーク型の60mm屈折式経緯台Jupiterは小島修介氏が、旭光学工業に在職していた頃(1952~1954)のものですが、旭光学工業
の製作した最初の天体望遠鏡については、なかなか情報がありません。1947年の日食に際して、作ったのが初号機と
思われます。

「昭和22年、現社長松本三郎氏を中心に会社再建への努力が開始された。おりしも北海道で日食があり、これをあてこんで天体
望遠鏡を作ったり、学童用の光学教材を売ってみたり、苦しい日々を重ねたが、昭和23年、輸出に活路を開き、昔取ったきね
づかで、ミクロン型オペラグラスの製造を開始、海外の好評を博し、昭和26年まで業界1位の成績をもって10万台の輸出を
記録した。」  (「世界のカメラ」朝日新聞社1967)
その他にも、「双眼鏡・天体望遠鏡をほそぼそと作って輸出で食いつないでいた」とか、望遠鏡の生産台数1万台とかありま
すが、判然としません。

フォーク型の60mm屈折式経緯台Jupiterは、さすが旭光学工業の製品だけあって、アダプターを介してでしょうがアサヒフレックスを直に取り付けて、直焦点撮影ができたようです。超望遠レンズです。

(訂正) ヨーク型ではなくフォーク型でした。

Re: マイナー? 知名度が低い望遠鏡屋さん

Posted: 2023年10月14日(土) 22:31
by ガラクマ
 ヨーク式と言えば、ウィルソン山の2.5mのような赤道儀が思い浮かびますが、経緯台でもヨーク型という言い方があったとは知りませんでした。
画像悪いですがJupiter60を添付します。1953年のアメリカ向け日本製光学製品カタログ(JOPIMA)のコピーのコピーです。
そのあとに出たJupiter50については、博物館にあります。 写真は参考まで。

原さんの言うように、黒以外にもバックを黄色や茶色に変えやってみました。確かに黒いほうが見やすいですが、新たな情報が出てくるレベルまでには至りませんでした。

Re: マイナー? 知名度が低い望遠鏡屋さん

Posted: 2023年10月16日(月) 23:55
by ガラクマ
 ちなみに、Cloudynigttsの以下のスレでJupiterもどきの望遠鏡についてのお話が過熱しておりました。
https://www.cloudynights.com/topic/8073 ... o-made-em/
私どもの資料も引用されているようですが、それはそれで私たちも利用させていただきましょう。
日本ではない情報もあり、特に古い東和光器とPentaxの話が興味深いです。

Re: マイナー? 知名度が低い望遠鏡屋さん

Posted: 2023年10月17日(火) 13:16
by Akiyama
大阪の秋山と申します、新サイトおめでとうございます。
表記のミネルバ光学について、以前掲載された広告は今のサイトでは見えませんが、広告に「吉田幸三郎商店」とあったと思います。先日調べものの際に、「吉田幸三郎」眼鏡卸商・浅草二天門、明治30年代創業との記録がありました。同店主は関東大震災後も新設の東京眼鏡卸商組合役員として活動しています。同店とミネルバとの関係は知るすべはないですが、業界での知名度は高かったようで、商品の信頼度を業者へ高めたのではないかと想像します。

また広告には、大阪営業所・大阪市生野区~とあったようですが、この地域には眼鏡レンズや拡大鏡(虫眼鏡)の町工場や卸商が数多く集積していました。光学品の中でも拡大鏡は「キズ見」という呼称で、花形産業だった繊維紡績の検査に多量の需要があったようです。広告の大阪阪営業所ですが、零細な業界なので、東京や遠隔地の業者は営業所とは名ばかりで、間借りやアパートの一室を借りて、出張時の宿泊や、自転車を置き営業や集金に回る業者が、この近辺には戦後も昭和の終りまで多々見受けられました。稀にしか売れないニッチな望遠鏡や光学品だけで営業所まで置かないだろうと想像します。大阪営業所の電話番号がなかったのも、そのせいかもしれません。なお、戦前のレンズ品質は東高西低ということでした。

いまひとつは勝間光学です。明治の顕微鏡の祖という朝倉松五郎の弟子に勝間貞治がおり、勝間レンズ(勝間光学)を創業しました。弟子のうち3人は砲兵工廠へ進んでいます。勝間は東京光学と技術供与合併の後、富士光学となりました。私どもは昭和初期から東京光学・富士光学の2社と双眼鏡の取引を行っておりました。

Re: マイナー? 知名度が低い望遠鏡屋さん

Posted: 2023年10月17日(火) 23:58
by ガラクマ
秋山様。
実際関われていた方の情報は大変貴重です。ありがとうございます。
特に関西は日本望遠鏡工業会に至る各団体に入っていない業者さんが多く、情報が大変不足いたしております。
いろいろ教えてください。

旧掲示板については、一昨日くらいから見えなくなっているようで、申し訳ありません。
復旧を試みています。
viewtopic.php?t=103

ミネルバ光学については、
残念ながら「吉田幸三郎商店」の情報は、見つけられておりません。
それ以外の、関係しそうな広告、カタログは以下に貼ります。

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10/18追記
 一応、リンク復旧しました。
No.12012で青色つきこさんが、合名会社吉田幸三郎商店名の話が出てますね。
https://yumarin7.sakura.ne.jp/telbbsp/j ... getno10631
よくご存じですね。