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Re: 思い出の天体望遠鏡を語る
Posted: 2023年11月29日(水) 22:29
by さとう
さとう さんが書きました: ↑2023年11月26日(日) 09:33
ええと、11歳から15歳の間がなんか間延びしておりました。
少し回想して思い出したのが、双眼鏡です。
「古スコ」でなくてすみませんが、思い出の(双眼)望遠鏡ということで。
はじめて「双眼鏡」(ポロプリズムの黒く重いタイプ)に触れたのは11歳の頃でしたが、それ以後、ずっと欲しくてたまりませんでした。
あの重量感とグリスの匂いは、今でも懐かしく思います。
どの本に影響されたか忘れましたが、7x50mmが既定でした。
選んだのは当然、協栄産業で一番安いビクセンでした。
通販とか、振込とか、宅配とか、とにかく小学生には初体験いっぱいでした。
もちろん、手持ちではろくに使えず、街かどのカメラ屋に、スリックのカメラ三脚を取り寄せてもらいました。
家の前で1982/1/10の皆既月食を見たときには、深夜に通りかかったお兄さんたちが感心して、ジュースをおごってくれたり、機嫌の良い酔っ払いのおっさんが寄ってきたりしました。
春休みに潮岬で、今は亡き父と、尾を引いた明け方のハレー彗星を見たのもこの双眼鏡です(10cmF6は持って行けなかった)。
購入早々、塀から落として光軸を狂わせ、プリズムにヒビが入って修理依頼する羽目になったこともありました。
この双眼鏡は、富田先生に一蹴されてしまいました。
中学くらいの頃に、「彗星の話」(岩波新書)を読んだのですが、双眼鏡の選択について次のような文言がありました。
以下、うろ覚えの要約です。
プリズムが小さすぎると、ラムスデンの円が四角く区切られて、その外側が青く見えることがある。このような設計はコントラストを著しく悪化させるので、避けたほうがよい。
確認すると、見事に当て嵌まっておりました。まるで狙われたかの如くです。
とはいっても、当時の自分に「アストロノーマー一択だ」などと囁いても、到底買えなかったことでしょう。
これも手元に残ってないです。
確か、20歳頃に胎内で寄付したはずです。
写真は、現在使ってる双眼鏡/単眼鏡です。
Re: 思い出の天体望遠鏡を語る
Posted: 2023年12月01日(金) 09:19
by ガラクマ
おっちゃんさん。初めまして。
TSセミアポ、後にS型と呼ばれたものですね。これが最初だったら、私も人生が変わったかもしれません。
高校には、誰かが置いて行ったものがあり、よく利用させていただきました。
今は、ダウエルだったことが、良かったか悪かったかは分かりませんが。
さとうさんの双眼鏡も確かに思い出深いものです。
私の1台目は中学生になってからで、近くの眼鏡屋でミザール7×50でした。
なんとはない量産標準型ですが、右と左に視差があるとクレームで返品しましたが、そのまま問題なしで返ってきました。
そんなものかと、少しがっかり。
大学生時代までは使っていた記憶がありますが、その後バラバラにしてファインダーにしたかも。
ちなみにバラバラにした半分は、又眼鏡(マタガンキョウ)と呼んでいたのは、全国区というは天キチと同じくマニア標準語だったのでしょうか?
Re: 思い出の天体望遠鏡を語る
Posted: 2023年12月01日(金) 16:52
by サジモト
おっちゃん様、はじめまして。皆様こんにちは。
TS‐65S型セミアポ!小学校高学年の頃、欲しくてたまりませんでした。私が望遠鏡を買って貰った中学生の頃にはすでにカタログ落ちしていて65mmのセミアポはP型とD型のみでした。只、とても高価(D型10万円以上)で家の経済事情を知っていたのでこれを買ってくれとは言えませんでした(笑)その頃、天文誌のタカハシの広告にはトリプレットレンズの断面図が掲載されていてコンピューターを駆使して設計とか世界初の市販3枚玉のセミアポとかの文面に心躍らされました。優しかった母が頑固な親父に根回しして買って貰ったのはTS‐50でした。対物フードのキャップはねじ込み式、極軸はベアリング入り、光軸修正装置付きのセルと、最近の大陸性の質感に乏しい初心者向けの機材とは異なる重厚な造りの「本物の望遠鏡」でした。残念ながら望遠鏡趣味を離れていた時期に粗大ごみとして処分されてしまい手元にありません。
画像は昨年、知人の紹介で格安で譲っていただいたTS65S型セミアポです。可能な限りレストアして現役で楽しんでいます。磨けば磨くほどクロムメッキが怪しく輝き、赤道儀の黒塗装も渋く、東独Zeissのハイゲンスやオルソと組み合わせると色消し解像力共に優秀。立ち姿を眺めてよし星を見てよしの宝物ですね!月は東独ZeissH-25とiPhoneでコリメート撮影。
Re: 思い出の天体望遠鏡を語る
Posted: 2023年12月04日(月) 13:02
by さとう
ガラクマ様、フォローありがとうございます。
自分のビクセン双眼鏡の視度については覚えてないので、気づくほどのずれは無かったと思います。
落っことした直後に風景を見ると、像が二重になってましたが。
当時の協栄産業の広告を見ると、安物と高級品が歴然と分かるのが興味深く思えました。
ビクセンも高級品はそれなりのお値段なので、そちらだったら負けなかったかも。
Re: 思い出の天体望遠鏡を語る
Posted: 2023年12月04日(月) 15:17
by さとう
サジモト様、みなさまこんにちは。
サジモト さんが書きました: ↑2023年12月01日(金) 16:52
優しかった母が頑固な親父に根回しして買って貰ったのはTS‐50でした。対物フードのキャップはねじ込み式、極軸はベアリング入り、光軸修正装置付きのセルと、最近の大陸性の質感に乏しい初心者向けの機材とは異なる重厚な造りの「本物の望遠鏡」でした。
前にアップした写真で既にお分かりになったかもしれませんが、当方もこないだ中古で入手しました。
小さいけど好い望遠鏡だと思います。
手元のモデルは、ねじ込み式のフタが両方とも金属製でした。
前オーナーさんも大切にしていたようで、木脚こそ擦り傷だらけですが、塗装の剥離は少なく、錆はほとんど認められないです。
半世紀前に作られたとは思えないほどです。
Re: 思い出の天体望遠鏡を語る
Posted: 2023年12月05日(火) 11:02
by ガラクマ
私も、ダウエルの次に買ったのが、同じTS50関連ですが、架台だけ。
これに、ダウエルの三脚を自作直脚にして余ったダウエルの三脚と、ダウエルの5㎝ガイディンクスコープを主鏡にして、3Bの鏡筒バンドを加工して、スリックの自由雲台にOM-1で写真を撮っていました。
極軸合わせにすごく時間がかかり、標準レンズはなんとか手動ガイドできるのですが、200㎜は全然ダメでした。
少したってから、カメラの固定が甘く、方向によって自重で動いているのではないかと分かりました。
だいたいダウエルの5㎝は鏡筒径が50㎜、TSが58㎜、たしか3Bは54㎜、雲台を乗せる金具も自作2㎜厚くらいのアルミ板を曲げたもの。それぞれカーペットの端切れみたいなものを挟んでとめてましたが、レンズの先を持って揺らすと、架台は止まっているのに、ゆらゆら動きます。
仕方なく根本原因対策として、高橋から50㎜焦点距離500㎜のガイディンクスコープとして売っていた鏡筒だけを買いました。これがビックルするほどよく見えて、驚いた記憶があります。
当時 TS50㎜カイド鏡>>ダウエル5㎝カイド鏡>ダウエル12cm反射=ダウエル付属2cmファインダー、って感じでした。
TS50赤道儀は素晴らしいですが、高橋の赤道儀の欠点?スプリングを押すタイプの赤緯微動が堅く、小さな赤道儀ですので動かす時にストレスの影響が一番出ることです。
手動ガイド途中で赤緯微動を動かす時は息を止めて緊張の一瞬です。
ですので、極軸を合わせを正確にしないといけません。ひどいときは1時間半以上かけて極軸を合わせていました。
誰も来ないだろうと、道にはみだして望遠鏡をセット、やっと極軸合わせが終わったときに、深夜なのに予想外に大きな車がきて望遠鏡を動かさないといけなくなったときは、相当凹みました。
Re: 思い出の天体望遠鏡を語る
Posted: 2023年12月17日(日) 14:17
by 青色つきこ
みなさま、こんにちわ。
双眼鏡については、
1970年代後半、「天文ガイド」に双眼鏡のレポートが連載され、その中でキャノンの7×50mmが総合点92点だったと記憶
している。
ボシュロムタイプで先細りになっていたように記憶している、私が住んでいたところでは輸出向けのキャノンの双眼鏡など
売っているはずもなく、どこで売っているのかなど知るすべも無かった。
後年、ヤフオクで見たりしたが、最初の印象とは違っていた。
鏡体は、思っていたよりも先細りではなく、普通に思えた。
7×50mmは重量1キロ越で、私には合わなかった。
手持ちには、ビクセンの8×40mm、後に高橋製作所の7×40mmアストロノーマーを買った。
ビクセンのは広角タイプで、色収差、視野から離れると星像の悪化が目についてしまい、使わなくなった。
ヤフオクで見ると、キャノンの8×30mmは鏡体加工はLJ-E番号から岩崎光機製作所、多分7×50mmも同じだと思われる。
岩崎光機製作所は1955年創業の板橋区の鏡体加工メーカー、現在はどうなっているのか。
良い個体があれば、思い出に買いたいと思っているが、最初の印象が残っていて購入まで踏み出せない。