宮沢賢治は、誰のどんな望遠鏡を使ってアルビレオを見たのだろう?

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Linf
記事: 56
登録日時: 2023年8月12日(土) 16:10

Re: 宮沢賢治は、誰のどんな望遠鏡を使ってアルビレオを見たのだろう?

投稿記事 by Linf »

皆様

以下の通り一部の写真を除いて閲覧できます。

星夜の逸品 異色の天文学者・山崎正光 インデックス 31~41
https://web.archive.org/web/20250208165 ... index.html
星夜の逸品 異色の天文学者・山崎正光(第一部) No.1 1/13 更新日 2022.1.7 (インデックス 31)
https://web.archive.org/web/20250208165 ... /31_1.html
星夜の逸品 異色の天文学者・山崎正光(第二部) No.5 1/1 更新日 2024.10.25 (最終話)
https://web.archive.org/web/20250215103 ... /42_1.html
青色つきこ
記事: 178
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
お住まい: 日本/Japan

Re: 宮沢賢治は、誰のどんな望遠鏡を使ってアルビレオを見たのだろう?

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちわ。

Linfさま、探していただき、ありがとうございます。
内容も幅広くなったと思います。

木村さま、さすがに一般向けはローマ字で書かれていたわけではありません。
「天文日記」は山崎正光氏の個人の日記で、こちらがローマ字で書かれていたものです。
ローマ字はちょっときついですねぇ。
(「星夜の逸品」に掲載された分は、児玉さまがローマ字から起こしたものだったような。)
山崎正光氏は明治41年にカリフォルニア州サクラメント市の日本人メソジスト教会で
受洗、昭和3年に水沢教会において信仰告白をもって入会。離水後は、駒沢教会に転会。
「水沢教会史」というものがありますが、教会記録を原資料として教会のあゆみが記され
ています。山崎正光氏は教会員でしたので、もちろん教会に関連して名前が出てきます。
川崎氏、石川氏も教会員です。
青色つきこ
記事: 178
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
お住まい: 日本/Japan

Re: 宮沢賢治は、誰のどんな望遠鏡を使ってアルビレオを見たのだろう?

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちわ。

賢治の「月天子」は、盛岡測候所について触れているのも、周知のことですねぇ。
そこで、盛岡測候所の天体望遠鏡についても、ふれておかなければなりませんねぇ。

岩手日報に掲載された大正13年2月の皆既月食の記事「望遠鏡から見た月蝕 盛岡測候所」は、
榊女史が「賢治研究」(65)で紹介されています。
ただ、当該新聞記事には望遠鏡に関する情報は無く、単に望遠鏡とあるのみで、如何なる望遠鏡はわかりません。
それでも盛岡測候所にも望遠鏡があったことはわかります。

それは、それとして、本題は、
大正13年(1924年)5月には盛岡測候所には四吋望遠鏡があったということです。

「盛岡測候所の赤道儀式望遠鏡 
  盛岡測候所には今般赤道儀式望遠鏡を設置されるに就て関口技師五月下旬同所に出張せられ、
  六月上旬据付けを完了して帰神されました。」     「雑文」『海と空』4(6)
関口技師とは関口鯉吉氏で、当時は神戸の海洋気象台に所属していました。

この望遠鏡については、工藤敏雄氏が「測候所には、この年の五月、天体望遠鏡が購入された。
正確には「四吋赤道儀」といい、多分ドイツかイギリス製であったと思う。そして、その取り付け台が旧館の屋上
に設置されたらしく、私の在勤当時、その写真を見た記憶がある。~中略~ 
この赤道儀は、賢治研究家には格好の品であったが、現在、盛岡地方気象台にはない。」
                 「いわて気象風土記」1990より、なお初出は「岩手日報」昭和60.7.20

工藤敏雄氏は、「賢治は、この天体望遠鏡に異常な興味を示したことは想像にかたくない。「銀河鉄道」など、星座や
天体に関する一連の作品は、この赤道儀が大いに影響していることは容易に推察される。」とも記しています。

因みに大正13年当時の盛岡測候所長は福井規矩三氏で、氏自身が賢治と交流があつたことは良く知られているところです。

この四吋赤道儀については、情報が少ないのですが、私には非常に気になる存在です。
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木村
記事: 235
登録日時: 2025年2月06日(木) 11:24

Re: 宮沢賢治は、誰のどんな望遠鏡を使ってアルビレオを見たのだろう?

投稿記事 by 木村 »

 「いわて気象風土記」は家の本棚に1冊有りましたが,そう言えばそんな記述が有った気がします.
工藤敏雄氏って人は,元は気象庁の職員でしたが,その岩手日報への定期的な寄稿が問題になって(公務員の副業に該当する),実質的に辞めさせられた人だそうです.この辺りは新田次郎と同じような話しです.定期的にってのが悪くて,スポット的に小説が大当たりして莫大な印税が入ってきた!,なんてのは良いのです.だけど,毎週,新聞の日曜版に記事を書いてた,とかになると問題になるんですよ.

 大正時代の盛岡測候所は,県営だったはずで,国に帰属したのは後になってからです.だから,県営時代の資料は残ってないかもしれませんね.例えば,満州時代の満州国内にあった中央気象台所属の地方気象台だと,最低限,気象観測の記録は保存されていますし,写真等の資料も本土に運ばれて資料として残っています.だけど県営時代の資料だと難しいでしょうね.

 盛岡測候所の10cm屈折どころか,茨城県の地磁気観測所というところには,ツアイスの20cmの屈赤が有ったそうです.でも戦後,まるっきり行方不明だそうです.たぶん黒点の計数観測とかやって地球磁場との関係を調べたりしてたみたいですが,戦争中に潰して大砲の弾にでもなったんじゃないでしょうか?.山崎氏の望遠鏡の様に個人の所有物なら隠す事もできますが,官物だと帳簿に載ってるので隠すことが出来ませんからね.アルミはゼロ戦の機体とか,鋳鉄は船のエンジンとか,光学ガラスは使い道がたくさん有ったでしょう.

 ところで「銀河鉄道の夜」に出てくる星座とか天体の話しは,賢治が水沢緯度観測所の山崎を訪ねた夜を,星座ソフトで再現すると,概ね東から登ってくる天体の順番と合ってますね.唯今,このお話しに挿絵を入れるようなつもりで,本を読みながら水彩画を描いております.カンパニュラが川で溺れて死んだ後の情景模写の文章は,複雑で解り難いのですよ.賢治はインスピレーションを叩きつけて書いたって感じで,挿絵を描くのがかなり難しいです.なので大抵の童話本の挿絵は,まるっきりテキトーな絵ですね.
 ってな話しを近所の市立図書館の人に話したら,絵が完成したら子供達に「銀河鉄道の夜」の話しと,山崎氏が賢治に説明した夜空を星座シミュレータで見せてやって下さい,と頼まれました.
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