『銀河鉄道の夜』から、
九、ジョバンニの切符
「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です。」
窓の外の・・・平屋根の上に、眼も覚める様な、青宝玉と黄玉の大きな二つの透き通った球が・・・黄色のが段々向うへ回って行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つの端は重なり合って、綺麗な緑色の両面凸レンズの形を作り・・・
この文の書きっぷりから、賢治は望遠鏡で白鳥座βを見たことが有るのだろうと思ってます。アルビレオを美しさは見た人でないと分かりませんよね。ところが賢治が何処かで望遠鏡を使わせて貰ったとか、まして望遠鏡を持っていたとかの話しは聞いたことがありません。ここで、いくつかの図書(草下英明とか)で、水沢緯度観測所に行って覗かして貰ったんだろうという話しがあります。
しかし、緯度観測所の望遠鏡は振り回せない子午儀みたいなのがメインで、また所長の木村栄は位置天文学に固執してる人だったらしく、火星にすら望遠鏡を向けなかったらしいです。(当時は、火星の運河で多くの人の目は火星に向いてたのによ)でも、木村は地元の教育にも理解がある人で、さらに幼稚園を創設したりしてます。だから賢治を邪険に追い返したりはしないでしょうけど、実際に相手をしてくれたのは別の人だと思います。
それは誰?、何の望遠鏡?
結論を先に言うと、山崎正光と彼の私物望遠鏡だったのでしょう。
彼は1年くらいしか水沢にいなかったらしいので、かなり運が良かったですね。
たぶん、山崎37歳、賢治27歳と(私は)想像します。
だけど、山崎氏のお顔って、昔、天文と気象だったかに池谷・関彗星の関さんが撮った写真が載ってましたが(たぶん65歳くらい)、だから若かった水沢時代のお顔が見たかったですが・・・。
(関連話題として)
viewtopic.php?t=225
download/file.php?id=807&t=1
(つづく)
宮沢賢治は、誰のどんな望遠鏡を使ってアルビレオを見たのだろう?
Re: 宮沢賢治は、誰のどんな望遠鏡を使ってアルビレオを見たのだろう?
曇天会議の皆様こんにちは
木村さん
宮沢賢治の件は「宮沢賢治の望遠鏡」でググると出て来ます。
ドイツのツァイス製望遠鏡(注文したというエピソード)とか双眼鏡で楽しんだとか
いろいろ出て来ます。
以前の記憶では1926年頃望遠鏡を購入した思い、確かアルビレオは水沢緯度観測所で
見たように覚えております。(間違いがありそで、以後の訂正を期待しますm(_ _)m)
木村氏には面識がありそで、モチ山崎氏とかの渡米組とは交流もあったでしょうネ。
宮沢賢治はイイとこのぼっちゃまだったとかで、確か最終稿(遺稿)は法華教の
指南書で、内心はいろいろと迷いを持っていたようで、この出版は父親に頼んだ
と聞きました。(←余計な話)
..続くに期待!
木村さん
宮沢賢治の件は「宮沢賢治の望遠鏡」でググると出て来ます。
ドイツのツァイス製望遠鏡(注文したというエピソード)とか双眼鏡で楽しんだとか
いろいろ出て来ます。
以前の記憶では1926年頃望遠鏡を購入した思い、確かアルビレオは水沢緯度観測所で
見たように覚えております。(間違いがありそで、以後の訂正を期待しますm(_ _)m)
木村氏には面識がありそで、モチ山崎氏とかの渡米組とは交流もあったでしょうネ。
宮沢賢治はイイとこのぼっちゃまだったとかで、確か最終稿(遺稿)は法華教の
指南書で、内心はいろいろと迷いを持っていたようで、この出版は父親に頼んだ
と聞きました。(←余計な話)
..続くに期待!
Re: 宮沢賢治は、誰のどんな望遠鏡を使ってアルビレオを見たのだろう?
以前、賢治の見た望遠鏡の話、私どもの間では、
前原寅吉の前原時計店のバルドー製望遠鏡ではないか。という話になっていたかもしれませんが、それでアルビデオを見たかは分かりません。。
https://yumarin7.sakura.ne.jp/telbbsp/j ... gi?page=52
( ↑このスレッドの最後の方 )
前原寅吉の前原時計店のバルドー製望遠鏡ではないか。という話になっていたかもしれませんが、それでアルビデオを見たかは分かりません。。
https://yumarin7.sakura.ne.jp/telbbsp/j ... gi?page=52
( ↑このスレッドの最後の方 )
プライベートメッセージです
Re: 宮沢賢治は、誰のどんな望遠鏡を使ってアルビレオを見たのだろう?
え~とですね。
まず、アルビレオ(めんどいので、βとす)は、とても美しい色の対比をなす二重星です。だれでも感動します。まして、緑の川に赤いリンゴが落ちるだけで「綺麗だ~ぁ、綺麗だ~ぁ」と感動する人だった賢治は、すごく感動したと思います。
しかし、もし自分で天体望遠鏡を持っていたのなら、自分で別の二重星を捜すはずです。その時、星図やらカタログで探しながらβが見かけの二重星であって、近いけど互いに公転しているのではない!、と言う事に気が付くはずです。
ところが銀河鉄道ではβが公転し合ってる二重星として表現されてます。だから、賢治は自分の望遠鏡は持っていなかったと考えます。この辺の論法は、自分で望遠鏡を使ってる人なら納得できると思います。(文学家とかだと、理解できないでしょね。)
賢治は裕福というか、質屋の息子だったそうです。なにせ、病人の布団を剥ぐような家業の家の子だったので、子供の頃は虐められたようです。その反動が、やたらと他人に優しい人格を作ってしまったようで「アメニモマケズ」に書かれているように「日照りの時は泪を流し、寒さの時はオロオロし、」東北はヤマセと呼ばれる冷害で百姓は苦労する地です。黒点とヤマセは相関しないだろうか?なんてのは、当時の人なら誰でも考えることです。それで水沢緯度観測所に行ったのだと思います。
で、木村栄はダメなんですね。彼は暦を作るような天文学しか能が無いので。そもそもZ項なんて、私でも思いつくわい。
まず、アルビレオ(めんどいので、βとす)は、とても美しい色の対比をなす二重星です。だれでも感動します。まして、緑の川に赤いリンゴが落ちるだけで「綺麗だ~ぁ、綺麗だ~ぁ」と感動する人だった賢治は、すごく感動したと思います。
しかし、もし自分で天体望遠鏡を持っていたのなら、自分で別の二重星を捜すはずです。その時、星図やらカタログで探しながらβが見かけの二重星であって、近いけど互いに公転しているのではない!、と言う事に気が付くはずです。
ところが銀河鉄道ではβが公転し合ってる二重星として表現されてます。だから、賢治は自分の望遠鏡は持っていなかったと考えます。この辺の論法は、自分で望遠鏡を使ってる人なら納得できると思います。(文学家とかだと、理解できないでしょね。)
賢治は裕福というか、質屋の息子だったそうです。なにせ、病人の布団を剥ぐような家業の家の子だったので、子供の頃は虐められたようです。その反動が、やたらと他人に優しい人格を作ってしまったようで「アメニモマケズ」に書かれているように「日照りの時は泪を流し、寒さの時はオロオロし、」東北はヤマセと呼ばれる冷害で百姓は苦労する地です。黒点とヤマセは相関しないだろうか?なんてのは、当時の人なら誰でも考えることです。それで水沢緯度観測所に行ったのだと思います。
で、木村栄はダメなんですね。彼は暦を作るような天文学しか能が無いので。そもそもZ項なんて、私でも思いつくわい。
最後に編集したユーザー 木村 [ 2026年5月11日(月) 22:50 ], 累計 1 回
Re: 宮沢賢治は、誰のどんな望遠鏡を使ってアルビレオを見たのだろう?
で、山崎氏は私物の10cm屈折を担いで水沢に赴任したらしいのですが、火星の運河とか彗星捜索したかったのは、前に書いた通り。他にも似たような新しい研究をしたいと言い出す若い人はいたらしいのですが、木村栄は「そんなのは、天文学じゃない!」で却下。ってエピソードが有りました。
さて、その山崎の若い頃の顔が良く分かりませんでした。
何かの集合写真の何番目とかの話しは、とかく怪しいし、写真がちいさいのでねぇ・・・。
私は、ずっと下の写真でしか山崎氏の顔を知りませんでしたってか、信用しませんでした。
これは、関勉さんが自分で撮った写真だそうで、これなら確実です。(計算すると65歳くらいなはず) また、これって私の死んだ爺ちゃんにそっくりなんだなぁ。(^^
接眼レンズが右側に出ているので、やはりこの人は洋行帰りの人って分かりますね。ただ、この人は金持ちの家の子ではなくて、苦労と才能があったので米国でとある天文学者に引き上げられて、大学に通わせて貰ったらしいです。ファラデーとか、ハッブルなんかもそんな経歴の人だった気がします。
さて、その山崎の若い頃の顔が良く分かりませんでした。
何かの集合写真の何番目とかの話しは、とかく怪しいし、写真がちいさいのでねぇ・・・。
私は、ずっと下の写真でしか山崎氏の顔を知りませんでしたってか、信用しませんでした。
これは、関勉さんが自分で撮った写真だそうで、これなら確実です。(計算すると65歳くらいなはず) また、これって私の死んだ爺ちゃんにそっくりなんだなぁ。(^^
接眼レンズが右側に出ているので、やはりこの人は洋行帰りの人って分かりますね。ただ、この人は金持ちの家の子ではなくて、苦労と才能があったので米国でとある天文学者に引き上げられて、大学に通わせて貰ったらしいです。ファラデーとか、ハッブルなんかもそんな経歴の人だった気がします。
最後に編集したユーザー 木村 [ 2026年5月11日(月) 22:55 ], 累計 2 回
Re: 宮沢賢治は、誰のどんな望遠鏡を使ってアルビレオを見たのだろう?
さて、この65歳ころの山崎氏の写真と、 by Tanko » 2023年12月14日(木) 14:53nの投稿記事にある集合写真の山崎氏ではないかという写真を重ねてみましょう。
下の、左右の写真は、顔が真っ直ぐカメラの方を向いているので、こちらに対する顔の角度は、一致していると考えて良いでしょう。 真ん中の顔写真の様に、目、鼻、顎の下、を重ねると、左右の耳の高さが完全に一致します。
耳の高さってのは意外に個人差があるもので、ここまで一致するのは親子である場合くらいですね。
よって、(たぶん)37歳の頃の山崎正光氏の顔は、まさにこの右側の写真ですね。
普通の人より耳がひらいていて、所謂、福耳ですね。
(続く)
下の、左右の写真は、顔が真っ直ぐカメラの方を向いているので、こちらに対する顔の角度は、一致していると考えて良いでしょう。 真ん中の顔写真の様に、目、鼻、顎の下、を重ねると、左右の耳の高さが完全に一致します。
耳の高さってのは意外に個人差があるもので、ここまで一致するのは親子である場合くらいですね。
よって、(たぶん)37歳の頃の山崎正光氏の顔は、まさにこの右側の写真ですね。
普通の人より耳がひらいていて、所謂、福耳ですね。
(続く)
Re: 宮沢賢治は、誰のどんな望遠鏡を使ってアルビレオを見たのだろう?
ちょっと一次停止して・・・
>宮沢賢治の件は「宮沢賢治の望遠鏡」でググると出て来ます。
>ドイツのツァイス製望遠鏡(注文したというエピソード)とか双眼鏡で楽しんだとか
>いろいろ出て来ます。
どうもツアイスの双眼鏡を持っていたと言う話しはありますが、望遠鏡を持っていたという話しは聞いたことがありませんが?・・・童話作品の中に一つ、タヌキだったかがツアイスの望遠鏡を注文したと見栄張って嘘をついたって話しはあるそうですけど?。
風の又三郎には、天文台として緯度観測所が出てきます。木村が技官とテニスしてたとかは、敷地に入らないと知ることはないので、行ったんでしょうね。ただ、盛岡測候所とごたまぜになりそうですが、あっちは1923年の開所なので、まだ業務を始めたばかりで実績が無い。一方、緯度観測所は開所(1899年)当時から気象観測してだだけでなく、天気予報も地元のためにやってたようです。(今でも水沢VLBIには精密な気圧計等があって、気象観測してます。)だから、賢治が気象の事を教えて貰いに行くなら、盛岡ではなくて水沢でしょうね。
賢治が水沢に行ったのは、1924年(大正13年)3月25日。これは彼のメモ(詩)に書いてあります。
さらに、山崎の在任期間は、1923年(大正12年)から1942年(昭和17年)までだったそうで、結構、長かったんですね(国立天文台ニュース)。つまり、水沢に赴任した1年後です。
もし、コメトさんがコメントした写真が1923年なら、その頃の「顔」でありましょう。年齢は修正して、当時、山崎38歳。
写真は1932年(昭和8年)。生まれが1886年(明治19年)だから46歳。37歳の頃に比べると、少し痩せたか?
>宮沢賢治の件は「宮沢賢治の望遠鏡」でググると出て来ます。
>ドイツのツァイス製望遠鏡(注文したというエピソード)とか双眼鏡で楽しんだとか
>いろいろ出て来ます。
どうもツアイスの双眼鏡を持っていたと言う話しはありますが、望遠鏡を持っていたという話しは聞いたことがありませんが?・・・童話作品の中に一つ、タヌキだったかがツアイスの望遠鏡を注文したと見栄張って嘘をついたって話しはあるそうですけど?。
風の又三郎には、天文台として緯度観測所が出てきます。木村が技官とテニスしてたとかは、敷地に入らないと知ることはないので、行ったんでしょうね。ただ、盛岡測候所とごたまぜになりそうですが、あっちは1923年の開所なので、まだ業務を始めたばかりで実績が無い。一方、緯度観測所は開所(1899年)当時から気象観測してだだけでなく、天気予報も地元のためにやってたようです。(今でも水沢VLBIには精密な気圧計等があって、気象観測してます。)だから、賢治が気象の事を教えて貰いに行くなら、盛岡ではなくて水沢でしょうね。
賢治が水沢に行ったのは、1924年(大正13年)3月25日。これは彼のメモ(詩)に書いてあります。
さらに、山崎の在任期間は、1923年(大正12年)から1942年(昭和17年)までだったそうで、結構、長かったんですね(国立天文台ニュース)。つまり、水沢に赴任した1年後です。
もし、コメトさんがコメントした写真が1923年なら、その頃の「顔」でありましょう。年齢は修正して、当時、山崎38歳。
写真は1932年(昭和8年)。生まれが1886年(明治19年)だから46歳。37歳の頃に比べると、少し痩せたか?
Re: 宮沢賢治は、誰のどんな望遠鏡を使ってアルビレオを見たのだろう?
曇天会議の皆様こんばんは
木村さん
はい!(^0^)も賢治が望遠鏡を持っていたとは思っておりません。(笑)
童話の中の「土神とキツネ」に登場したものを覚えていて、それが間違いを
生んだのだと思います。
山崎氏の風貌は関勉氏の撮影した物が如何にも流通しており、若い頃からの
凛とした尊顔は変わってない気がします。(^0^;
水沢での交流は知るすべも限られますが、何をやっていたのでせう?
木村氏と反りが合わなかったとは初めて知りましたが、こう言うのは表に
出て来ない情報でしょうネ。(^0^8
木村さん
はい!(^0^)も賢治が望遠鏡を持っていたとは思っておりません。(笑)
童話の中の「土神とキツネ」に登場したものを覚えていて、それが間違いを
生んだのだと思います。
山崎氏の風貌は関勉氏の撮影した物が如何にも流通しており、若い頃からの
凛とした尊顔は変わってない気がします。(^0^;
水沢での交流は知るすべも限られますが、何をやっていたのでせう?
木村氏と反りが合わなかったとは初めて知りましたが、こう言うのは表に
出て来ない情報でしょうネ。(^0^8
Re: 宮沢賢治は、誰のどんな望遠鏡を使ってアルビレオを見たのだろう?
>木村氏と反りが合わなかったとは初めて知りましたが
だいぶ合わなかったと言うか、やっぱスカラー(学問)が合わなかったのでしょう。計算尺とソロバンで計算ばっかりやってる位置天文学大好きの木村と、彗星や惑星に興味を燃やしていた洋行帰りの山崎ですから、スカラーが違い過ぎます。そこに持って来て、緯度観測所の予算不足があったと思います。緯度観測所では、望遠鏡の十字線などに使う測定用のクモの糸がドイツ製で、これがまた高価で所の予算を圧迫していたそうです。いくら高いったってクモの糸だろうが、と思いますが、予算不足で惑星用の望遠鏡とか、彗星儀を整備する金は無かったのでしょう。それもあって、山崎の提案を蹴ったのでしょう。
木村は悪い人だったかというと、そうでは無くて水沢に幼稚園を作ったり職員に学問を勧めたりしてますから、良い人だったと思います。だから、山崎とは反りが合わなかったの一言でしょうね。
賢治は緯度観測所に2回行っているようです。一回目が1922年(緯度観測所は1920年の開所)、2回目が1924年で、その後すぐに銀河鉄道が完成したようです。そして、1924年なら山崎は水沢に居たはずです。彼は1923年に赴任して来ましたからね。賢治の目的は、主に岩手県の気候に関することでしたでしょうから、賢治の相手をした職員は気象観測担当だった池田徹郎は確実です(下の写真の人)。 さて天文の方は誰が相手したかわかりませんが、アルビレオを見せてあげられるのは自分の望遠鏡を持っていた山崎以外に居なそうですよね。
なお、賢治は1926年頃、八戸から種市あたりの海岸沿いに旅行しています。八戸で前原時計店のウィンドからバルドーの望遠鏡を見つけたのでしょうね。この時は、既に銀河鉄道の夜は完成してますから、影響はしてなかったと思われます。そして、買ったかどうかですが、バルドーは高価だったでしょうし、その頃、仕事を辞めて自給自足の生活をおっぱじめてましたから貧乏なはずです。とてもバルドーを購入するような余裕は無かったでしょう。
だいぶ合わなかったと言うか、やっぱスカラー(学問)が合わなかったのでしょう。計算尺とソロバンで計算ばっかりやってる位置天文学大好きの木村と、彗星や惑星に興味を燃やしていた洋行帰りの山崎ですから、スカラーが違い過ぎます。そこに持って来て、緯度観測所の予算不足があったと思います。緯度観測所では、望遠鏡の十字線などに使う測定用のクモの糸がドイツ製で、これがまた高価で所の予算を圧迫していたそうです。いくら高いったってクモの糸だろうが、と思いますが、予算不足で惑星用の望遠鏡とか、彗星儀を整備する金は無かったのでしょう。それもあって、山崎の提案を蹴ったのでしょう。
木村は悪い人だったかというと、そうでは無くて水沢に幼稚園を作ったり職員に学問を勧めたりしてますから、良い人だったと思います。だから、山崎とは反りが合わなかったの一言でしょうね。
賢治は緯度観測所に2回行っているようです。一回目が1922年(緯度観測所は1920年の開所)、2回目が1924年で、その後すぐに銀河鉄道が完成したようです。そして、1924年なら山崎は水沢に居たはずです。彼は1923年に赴任して来ましたからね。賢治の目的は、主に岩手県の気候に関することでしたでしょうから、賢治の相手をした職員は気象観測担当だった池田徹郎は確実です(下の写真の人)。 さて天文の方は誰が相手したかわかりませんが、アルビレオを見せてあげられるのは自分の望遠鏡を持っていた山崎以外に居なそうですよね。
なお、賢治は1926年頃、八戸から種市あたりの海岸沿いに旅行しています。八戸で前原時計店のウィンドからバルドーの望遠鏡を見つけたのでしょうね。この時は、既に銀河鉄道の夜は完成してますから、影響はしてなかったと思われます。そして、買ったかどうかですが、バルドーは高価だったでしょうし、その頃、仕事を辞めて自給自足の生活をおっぱじめてましたから貧乏なはずです。とてもバルドーを購入するような余裕は無かったでしょう。