青木さんの文書は、ちょっと端折られているようですね。
「M」さんご紹介 tnk000096_186.pdf の中村氏の文書では、高くても低くても温度変化が少ない場合、またF6以下なら放物面で良い。 長焦点放物面は気温が明け方に向かって下がっている途中過程で双曲面方向に変化し、放物面が維持できないため、見比べてもっともよく見えるのがカルバースタイルと中村氏は評価していた、ということは間違いないとは思います。
孤高の師がどうしてそのように考えたか、謎解きも技術史的には楽しいですね。
【神山天文台】企画展「西村製作所と中村要~反射望遠鏡にかけた夢~」
Re: 【神山天文台】企画展「西村製作所と中村要~反射望遠鏡にかけた夢~」
中村要氏が温度収差補正としてのカルバースタイルを評価していたのは間違い無いですが、
星野氏は温度補正目的でカルバースタイルに整形を行うことははなはだ実情にそわないと、中村要氏の考えを
完全否定していたということですね。
星野氏は温度補正目的でカルバースタイルに整形を行うことははなはだ実情にそわないと、中村要氏の考えを
完全否定していたということですね。
Re: 【神山天文台】企画展「西村製作所と中村要~反射望遠鏡にかけた夢~」
別のページに星野氏はこうも言っています。
「夜間星を見る時には、温かい室内からの望遠鏡の持ち出しや、あるいは気温の降下などでガラス材が温度変化を起こし鏡面が変化する。暖かい室内から持ち出した直後に星のジフラクションリング像をみると、鏡周は過修正に中央部は山は生じた鏡形になっていることが分かる。この鏡形の変化は普通ガラスでは強く表れ、15㎝F8鏡では、正常の鏡面の2倍以上も鏡周が過修正になることも発生する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
かつて普通ガラスを使用していたときには温度変化に対応した鏡形について種々論じられ、実行もされていたのであり、普通ガラスをもちいる時には今日でもいぜんとして残されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
パイレックス系ガラス材であれば、正しい曲線に近づけて作るのが良く、敢えてこれを変える要はないものである。青ガラズ材でもできるだけ正しい曲線に近い面を作ることが良いと考えそれに勤めている・・・」
とあります。まあ、お互いのポリシーの違いというか、否定しているわけではないとは思います。
「夜間星を見る時には、温かい室内からの望遠鏡の持ち出しや、あるいは気温の降下などでガラス材が温度変化を起こし鏡面が変化する。暖かい室内から持ち出した直後に星のジフラクションリング像をみると、鏡周は過修正に中央部は山は生じた鏡形になっていることが分かる。この鏡形の変化は普通ガラスでは強く表れ、15㎝F8鏡では、正常の鏡面の2倍以上も鏡周が過修正になることも発生する。
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かつて普通ガラスを使用していたときには温度変化に対応した鏡形について種々論じられ、実行もされていたのであり、普通ガラスをもちいる時には今日でもいぜんとして残されている。
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パイレックス系ガラス材であれば、正しい曲線に近づけて作るのが良く、敢えてこれを変える要はないものである。青ガラズ材でもできるだけ正しい曲線に近い面を作ることが良いと考えそれに勤めている・・・」
とあります。まあ、お互いのポリシーの違いというか、否定しているわけではないとは思います。
プライベートメッセージです
Re: 【神山天文台】企画展「西村製作所と中村要~反射望遠鏡にかけた夢~」
提示された文章から、ポリシーの違いとは私には読み取れないですね。
温度補正の目的で行うとすればはなはだ実情にそわないものである。気温とガラスの変化は不定の条件であるため、もし温度補正をするとしても、どれ程の量とすべきかを定めることは困難である。
以上は否定だと私には読み取れるのですけどね。
温度補正の目的で行うとすればはなはだ実情にそわないものである。気温とガラスの変化は不定の条件であるため、もし温度補正をするとしても、どれ程の量とすべきかを定めることは困難である。
以上は否定だと私には読み取れるのですけどね。
Re: 【神山天文台】企画展「西村製作所と中村要~反射望遠鏡にかけた夢~」
Abbebeさんの参考にされているのは、旧版ですね。私は再販して中身が変わったものを見ておりました。
書きぶりも変わっております。
ところで、企画展は終了しましたが、知らぬ間に図録が公開されています。
https://www.kyoto-su.ac.jp/wr-observato ... nkyou.html (下のほう)
気になる方はダウンロードされた方がいいかもしれません。
また、中心的に活躍された某女史も退職されるそうです。
書きぶりも変わっております。
ところで、企画展は終了しましたが、知らぬ間に図録が公開されています。
https://www.kyoto-su.ac.jp/wr-observato ... nkyou.html (下のほう)
気になる方はダウンロードされた方がいいかもしれません。
また、中心的に活躍された某女史も退職されるそうです。
プライベートメッセージです
Re: 【神山天文台】企画展「西村製作所と中村要~反射望遠鏡にかけた夢~」
みなさま、こんにちわ。
読んでみたいと思っていたので、早速ダウンロードしました。
けど、西村製作所の社史で合資会社西村製作所に触れた記載がないのは想定外。
そうなると、謎は、謎のまま。
官報を見ればわかることなので、記して置きますが。
合名会社西村製作所は、大正7年4月15日に医科器械製作を目的に京都市上京区に設立されました。
社員(出資者) 西村治三郎、髙瀨清助、西村定次郎、村上九造で、代表社員は西村治三郎。
大正8年2月1日 社員に村田弥吉、曽我松太郎、西村九造、福井石之助が加わり、村上九造が退社、
代表社員に村上弥吉が就任。
目的も医科理化器械の製造販売及び諸金属加工を営むと変更されました。
大正9年3月6日 社員 西村治三郎、髙瀨清助、西村定次郎、西村九造が退社。
大正10年9月1日 総社員の同意により解散し、村田弥吉が清算人に就任。
ここで、疑問なのは、西村治三郎氏が大正7年4月15日以前のこと、
個人営業の西村製作所が合名会社に事業拡大したのか。西村姓の方々は治三郎氏の親族?
合名会社西村製作所の経営権は西村治三郎氏から離れ、会社は解散しました。
西村治三郎氏は、個人経営の西村製作所で再出発したのか、別名の商号で再出発したのか。
合資会社西村製作所について、情報をお持ちであれば、是非教えていただきたいです。
読んでみたいと思っていたので、早速ダウンロードしました。
けど、西村製作所の社史で合資会社西村製作所に触れた記載がないのは想定外。
そうなると、謎は、謎のまま。
官報を見ればわかることなので、記して置きますが。
合名会社西村製作所は、大正7年4月15日に医科器械製作を目的に京都市上京区に設立されました。
社員(出資者) 西村治三郎、髙瀨清助、西村定次郎、村上九造で、代表社員は西村治三郎。
大正8年2月1日 社員に村田弥吉、曽我松太郎、西村九造、福井石之助が加わり、村上九造が退社、
代表社員に村上弥吉が就任。
目的も医科理化器械の製造販売及び諸金属加工を営むと変更されました。
大正9年3月6日 社員 西村治三郎、髙瀨清助、西村定次郎、西村九造が退社。
大正10年9月1日 総社員の同意により解散し、村田弥吉が清算人に就任。
ここで、疑問なのは、西村治三郎氏が大正7年4月15日以前のこと、
個人営業の西村製作所が合名会社に事業拡大したのか。西村姓の方々は治三郎氏の親族?
合名会社西村製作所の経営権は西村治三郎氏から離れ、会社は解散しました。
西村治三郎氏は、個人経営の西村製作所で再出発したのか、別名の商号で再出発したのか。
合資会社西村製作所について、情報をお持ちであれば、是非教えていただきたいです。
Re: 【神山天文台】企画展「西村製作所と中村要~反射望遠鏡にかけた夢~」
青色つきこ様
ご指摘ごもっともです。私は、本件存じませんでしたが、京産大は相当な情報をお持ちのはずですが、他の箇所でも情報を持っているはずなのに書いてないところもありそうです。
ただ、伝聞情報でなく官報ですから、書けるはずで、直接聞いて見てください。
急がないと、回答できる人がいなくなってしまいます。よろしくお願いいたします。
ご指摘ごもっともです。私は、本件存じませんでしたが、京産大は相当な情報をお持ちのはずですが、他の箇所でも情報を持っているはずなのに書いてないところもありそうです。
ただ、伝聞情報でなく官報ですから、書けるはずで、直接聞いて見てください。
急がないと、回答できる人がいなくなってしまいます。よろしくお願いいたします。
プライベートメッセージです