難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡

「古スコ広場」 懐かしの望遠鏡、昔欲しかった望遠鏡、古い望遠鏡や産業を語りましょう
青色つきこ
記事: 81
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
お住まい: 日本/Japan

Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちわ。

ガラクマさま、調べていただきありがとうございます。
脱線してしまいますが、追記しておきますねぇ。

ミランダカメラにペンタプリズムを納入していた会社が(有)上野光学なのですが、(全然、気がつきませんでしたが)
今回、改めて見直したら、何と上野珓吉氏の会社でした。上野光学製作所から改組し有限会社上野光学になったのです
が、(有)上野光学という名前しか頭にありませんでした。
「光学産業名鑑1965年度版」に掲載されている(有)上野光学の情報には上野珓吉氏の名前はありませんので、退いたのか
亡くなられたのか。会社自体も既にありません。登記閉鎖は2023年。
なお、(有)上野光学は会社年鑑の類を見てもミランダカメラの仕入先の一つになっています。

当時オリオリカメラ(後のミランダカメラ)の荻原彰氏は、上野珓吉氏の技術を評価してペンタプリズムの試作を依頼した
.........1950年、国産初のペンタプリズム付一眼レフ、ミランダTが発売されますが、そのペンタプリズムは上野珓吉氏の作......まあ、ここのところは、週末に、掲載記事を見てからにしますが。
でも、そういうことで、良いかと思います。
掲載の広告は「産経日本紳士年鑑第2版別冊付録」1960年から、ついでに荻原彰氏の特許を載せます。
(有)上野光学 広告.jpg
荻原彰 特許.jpg
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ガラクマ
記事: 414
登録日時: 2023年6月07日(水) 21:16

Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡

投稿記事 by ガラクマ »

2インチのハーシェルニュートンは、青色つきこさんのご推察の通り1933(S8)年の発売の様です。
科学画報の1932(S7)年の完成品の広告には見つけられませんでした。1933(S8)年にはありましたが、何月からか同定することができません。
 ミラーを納入してから4年を超える期間、どうしていたのでしょう?
そこで気になる広告を見つけました。
雑誌の広告でみる歴史 [自動保存済み].jpg
雑誌の広告でみる歴史 [自動保存済み].jpg
 プライベートメッセージです
青色つきこ
記事: 81
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
お住まい: 日本/Japan

Re: 難関!「GENERAL GATAROGUE 部理代学科の供子報画学科」の望遠鏡

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちわ。

ガラクマさま、調べていただき、ありがとうございます。

調査の追記になります。

上野珓吉(1894-1963没)
明治27年、東京・練馬の大地主の家に生れる。
旧制中学校時代から天体望遠鏡を自分で作るようになった。
鏡胴はもちろんレンズも自分で磨いた。なかでも、反射鏡磨きには腕前を発揮した。
数学が得意で東京物理学校(現在の東京理科大)の雑誌に幾何学的証明についての論文を
発表したこともあった。
中学卒業後は、親から資金をもらって質屋を開いたが、天体望遠鏡つくりに熱中してい
て商売に身がはいらず、昭和12年に天体望遠鏡メーカーの五藤光学に入社した。
ペンタプリズムを知ったのは、この五藤光学で仕事をしていたときだった。
上野光学は世田谷区三宿にあり、双眼鏡のプリズムを磨いて経営は安定していた。
上野光学は昭和32年に埼玉県和光市に移転。

これらは小林好孝「ペンタプリズム一号機を生んだカメラ少年二人が持ち続けた夢」
『アサヒカメラ』1983.8に拠る。
因みに、もうひとりの少年はオリオン精機(後のミランダ・カメラ)の荻原彰氏、当然、
記事では荻原彰氏のことも記されている。連載記事自体がカメラ業界サイドからのものだが
とても参考になった。
上野珓吉氏は既に故人であり、取材先は上野氏の娘夫婦、荻原彰氏ということになるのだろ
うか。
上野珓吉氏の五藤光学研究所への入社時期については、「産経日本紳士年鑑第2版」には
昭和9年と記されている。(ベースは本人からの申告。)
反射鏡の製作史を考えていく上で、上野氏の位置付けを考えてみる必要性があるが、なんと
も資料が乏しい。

旧古スコ広場のNGC1999様の投稿記事No.12912に五藤齊三氏の「天文夜話」1979から引かれた
記事があります。
「中村要氏と共に、当時反射鏡作りの三羽烏といわれた人に、上野珓吉氏と足立英一氏がいる。
この三人は東京に集まると私の家に尋ねて来て、よく反射鏡の話をしたものであった。足立英一氏
と上野珓吉氏は後に私の会社に入社された。足立氏は、そう長くは在職していなかったが、
上野氏は、第二次世界大戦をはさんで、前後十数年在職していた。
上野氏は普通の曲面を磨く研磨機を使いこなす事によって、オーバーハングという反射鏡手磨きの
テクニックを巧みに使い、二次曲面の鏡を作る方法を、しきりに研究していた。」
中村要氏と上野珓吉氏とは交流があったことがわかりますねぇ。
いろいろと謎解きのヒントになります。
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なお、上野珓吉氏の名前の珓には別字が当てられたりしていますが、ここでは珓に直しています。
五藤光学研究所についても、五島となっているものは五藤に直しています。
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