山崎正光氏が写っている?

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青色つきこ
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登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
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Re: 山崎正光氏が写っている?

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちわ。

コメト様が掲載している北海道日食時の山崎正光氏が三人で写っている
写真についてですが。
前列が水沢緯度観測所の菊池芳雄氏、その後ろに立っているのが宮沢芳重氏。
児玉様がドームナビで「異色の天文学者山崎正光」の日記を公開しており、
それを見ると、山崎正光氏は「宮沢芳重氏(五藤光学員)」と記しています。
これはこれで、山崎正光氏はそのように認識していたのでしょう。

五藤光学と朝日新聞社の連合観測隊が総勢14名だったことは五藤斉三氏の
「北海道興部皆既食観測に於ける眼脂観測と撮影装置」『科学知識』1936-8
、後に取り纏められた五藤斉三「昭和十一年六月十九日北海道日食観測報告書」
等に記されているところです。

この14名というのは、誰なのか。
総指揮として五藤斉三氏、学術指導として山崎正光氏、村上忠敬氏、撮影担当
として林田茂雄氏(朝日新聞社)、三木茂(新興シネマ)、録音担当 近藤健郎(PCL)、
無線及び計時担当として五藤隆夫氏。
その他に、村上忠敬氏の助手として齋藤守氏、小島修介氏の名前までは上記の
中にも記載されています。9名までは、はっきりしています。
齋藤守氏は村上忠敬氏サイドの方なのか、五藤斉三氏サイドの方なのか不明。
山崎正光氏の日記からは、更に菊池芳雄氏(水沢緯度観測所員)、前出の宮沢芳重氏
が分かるので、11名が確認できています。

残りの3名ですが、宮沢芳重氏の紀行文に中田、杉浦、前田と記載されていますが、
フルネームがわかりません。
(紀行文は「人間 宮澤芳重」に一部所収、隊員名は姓のみ)
同書には宮沢芳重氏の参加について、「天文学への強い関心から、その後、就職を
はたす五藤光学研究所の好意で、旅費自弁の上、観測班への加入を許されて参加し
ている」と記されています。

中田、杉浦、前田の各氏は朝日新聞社サイドの関係者でしょうか。
また、集合写真には14名をはるかに超えた方々が写っていますねぇ。
地元の関係者の方々?
他に資料はないものでしょうか。

宮沢芳重氏と小島修介氏とは、この日食観測を期に知り合ったのかと思われます。
宮沢芳重氏は、その後1年ほど五藤光学研究所に在職しましたので、小島修介氏
と五藤光学研究所で一緒に働いています。歳の差は一回り以上です。
戦後、二人は再開し、親交を深めていき、長野県の高校への六吋屈折式赤道儀の設置
構想から高校との設置契約まで進みますが、アストロ光学(株)の倒産騒ぎで、結局
は五藤光学研究所によって設置は進められています。
言うなれば"アストロ光学(株)幻の六吋屈赤"
なお、宮沢芳重氏は小島修介氏の葬儀に出た、もしくは会葬状が来ただけかもしれま
せんが、アストロ光学(株)を辞した後の小島修介氏との往来はあったのようにも
思われます。公開されている資料からはこの間のことはわかりません。
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