“星名と星座”についての本を読む

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青色つきこ
記事: 61
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
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“星名と星座”についての本を読む

投稿記事 by 青色つきこ »

星名については、これまで野尻抱影氏のものを主に読んできました。
出版から既に10年を経っており、既読の方もいらっしゃると思いますが、
近藤二郎、「星の名前のはじまり-アラビアで生まれた星の名称と歴史-」、誠文堂新光社、2012
を読んでみました。おもしろかったです。
アブド・アッ=ラフマン・アッ=スーフィー(903年~986年)の「星座の書」はアラビア語による星の名前を研究する上で有用な資料であり、本書は「星座の書」を基にミュンヘン大学のP.クーニッチ、ベイルート大学のM.H.ジュルダークの研究を引きながらアラビア語を起源とする星ぼしについて述べられています。
また、15世紀のサマルカンド天文台、アストロラーベについても述べられています。
R.H.アレンのStar-Names and Their Meanings ,1899については、
「記述は詳細で、他に類書がなかったために、1899年に刊行されてから実に110年も経過しているにもかかわらず、今でもアレンの説が多くの書物に引用されています。しかし、これは少々問題があります。近年の研究を使いながら再検討しないと安易に使用することはできません。」と述べられています。
アレンのStar-Namesは、私もドーヴァーのペーパーバックで持っていますが、結構、厚いものです。
入手が容易で索引もあって使い易い、アレンのStar-Names and Their Meaningsに替わるものがあるのか。
また、Star-Names and Their Meaningsを利用し続けるためには最新の研究にも注目しておかなければならないようですが、それらをどう見つけていけばいいのか。
結局、アレンのStar-Names and Their Meaningsはまだまだ命脈を保って行くのかも知れません。
(^0^)コメト
記事: 149
登録日時: 2023年6月23日(金) 14:28

Re: “星名と星座”についての本を読む

投稿記事 by (^0^)コメト »

青色つき子さん、皆さんこんばんは

結構な量の星座関係の書籍をお読みのようで、造詣も深いと感じます。
特に20年程前の天ガで特集されていた星座の起源とかの内容は一般の
読者には受けなかった印象ですが、単一分野の解説では秀逸でした。

最近ではアイヌの星座を取り上げてますが、これも各種の書籍が廃版と
なってしまい、今からではいささか遅過ぎた感じです。
各地の図書館には存在しているようですが、数は少ないと思います。

ご紹介の野尻抱影氏の星座シリーズはまだまだ教科書的な内容で存在しますが、
別の星座の解説とかでは「星座の遊牧民説」が否定されていたり、近藤二郎氏
の著作などで「メソポタミア起源説」とかあって、お互いを譲ってはいません。

また、後者では『星座の起源』を読む限り、どうも同じ星座図を繰り返して
使用して説明する傾向にあり、調査の最後に仕上げた解説ではないようです。
論文と言うものは言った者勝ちの面があって、言い出したが最後となるので、
その意味でも否定的・懐疑的に読むものと心得ており、和訳された文献では
なく、原著を多くお持ちのようなので、研究が進んだら何かにまとめて
頂きたくもあり、大いに期待しております。(^0^v
青色つきこ
記事: 61
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
お住まい: 日本/Japan

Re: “星名と星座”についての本を読む

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちわ。
コメトさま、こんにちわ。

最近、純粋に星名や星座について、もう一度、その類の本を読んでみたくなりました。
もっとも、野尻抱影氏の著作については、小島修介氏がその弟子だったこともあり、その著作については出来るだけ目
を通すこととしていました。その過程で内田武志氏にも興味を持つようになりました。

コメトさまは、ご存知とは思いますが。
アイヌの星座については、末岡外美夫、「人間達の見た星座と伝承」、2009が各地の図書館に寄贈されておりますので、
こちらは見易いのではないでしょうか。

これは氏の前著「アイヌの星」1980の増補改訂版ですが、私は前著の方に興味がありました。
「アイヌの星」のあとがきは、研究小史として読めます。
また、序として、坂東 旭川市長、堂本 元旭川市立天文台長、そして遺稿として野尻抱影氏のものが掲載されていますので、野尻抱影氏のものからすこしばかり引かせてもらいます。
「末岡氏は小島修介氏ら多くのひとたちの功を称えるが、星の弟子としてこれらほどに努力して初めて約束を完遂しした人も余りない。十数星霜の星の弟子が十幾世紀も埋もれていたアイヌの星を再び夜空に掲げる挙に、老骨がその一端を荷ったことの喜びは譬えようのないものである。泉下の小島氏も同じであろう。」

続けて、近藤二郎、「わかってきた星座神話の起源」、誠文堂新光社、2010を読み始めました。

今回は、その著作がどのような資料を基として成り立っているのかを注意して見ていきたいと思っています。
青色つきこ
記事: 61
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
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Re: “星名と星座”についての本を読む

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちわ。

続いて、近藤二郎「わかってきた星座神話の起源 -エジプト・ナイルの星座-」誠文堂新光社 2010
を読んでみました。
O.ノイゲバウアー,R.パーカーの共著「エジプト天文学テキスト」全3巻(1960-69年)
は現在でも非常に重要な文献であるとしていますし、本書にも図版が多く採られています。
更に近年のスイスのK.ロヒャー、スペインのJ.A.ベルモンテの研究が引用されています。

その中で野尻抱影氏の著作について
「野尻抱影氏の著作は、欧米の20世紀初頭までの研究を使って、まとめられたものであり、
その当時として一流の研究業績に裏付けられていたものでしたが、古代オリエントの星座
の中で、古代エジプトの固有の星座に関しても、一部を除くとほとんど言及されていません
でした。」と記しています。

野尻抱影氏はエジプトの星に関しての種本として「星書乱抽」の中で
J. N. Lockyer,The dawn of astronomy,1894 及びJ.H.Brestedの著書を記しています。
J.N.Brestedについては書名を記していないのですが
A History of the Ancient Egyptians,1908
Ancient Records of Egypt,5vols,1906
あたりでしょうか。

なお、「星書乱抽」は「抱影随筆選集Ⅲ」(恒星社厚生閣,1958)及び「天界」1938-3所収のもの
を読みました。
青色つきこ
記事: 61
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Re: “星名と星座”についての本を読む

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちわ。

鈴木駿太郎、「星の事典」、恒星社厚生閣、1968
星の名前を主として英米の百科事典類からひろっている。
「アラビヤ名を主とする星々の固有名については、これらを最も多く記載している
Webster’s International Dictionaryからひろい、これに無いものを他から補った。
バビロン時代その他の古代における星名については、主としてThe Jewish Encyclopediaに
よった。
漢名ならびに保井(渋川)春海の追加命名した星座名については、~中略~
東京商船大学の渡辺敏夫教授が校証同定された「保井春海星図考」※1により~」
(「まえがき」より)

著者の句集「流星群」(1963年刊)掲載の略歴には
「明治28年横須賀に生る。県立第四中学、京城教員養成所卒業、文部省中学教員検定
地理科合格。小学校、中学教員在勤24年、その後出版業に従事。終戦後引揚げ主として
社会事業に挺身。天文学の研究に熱中すること25年。俳誌渋柿創刊号よりの同人。」
また、後記には
「自分は星辰の勉強と俳諧えの精進とを人生観確立のための二つの柱として今日までの
人生を歩んで来たが、これは今後に於いても何等かわることがあるまい。」とも記されて
いる。

※1 「東京商船大学研究報告」 第14号 1963

1970年前後の日本の百科事典を見ると、星名の由来についての情報量は少ないように思
われる。本書が出典としている百科事典と見比べながら読むのが、楽しそうに思える。
なお、本書には、野尻抱影氏の著作に関しての記述は見られない。
青色つきこ
記事: 61
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
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Re: “星名と星座”についての本を読む

投稿記事 by 青色つきこ »

プロ天文学者でもある冨田弘一郎氏は、どのように書いているのか興味が湧いたので、読ん
でみました。
冨田弘一郎「新版 星座12カ月」岩波ジュニア新書265 岩波書店 1995
星座の起源や星名については野尻抱影氏の著書によっているであろうことは推察されます
が、本書には参考文献表がありません。
そこで、本書の旧版を見てみることにしました。

冨田弘一郎「星座12カ月」岩波ジュニア新書24 岩波書店 1980
こちらにも、参考文献表はありませんでしたが、「あとがき」が参考になります。
「岩波書店の境さんからこの本の企画をおききしたとき、ひとりでも多くの皆さんに星
の美しさを知っていただこうと思いました。しかし、私には荷が重すぎたようです。
校正刷りを読んでいて、さそり座のアンタレスのように顔が赤くなってしまいました。
今は亡き野尻抱影先生がすぐお隣の町に住んでおられたので、小さいときからいろいろと
教えていただきました。私の星座の知識の全部が、先生の著書と直接の御指導による
ものです。そのごプロの道に入って、好きなことをずっとやらせていただけていること
にいつも感謝しています。
畏友、原恵さんや諸先輩の著書もずいぶんと参考にさせていただきました。美しい
挿絵を描いて下さった高田藤三郎氏の御好意とともに、厚くお礼申し上げます。
(~以下略~)                 1980年11月  」

なお、新版の「あとがき」は更に興味深いものです。
「旧版については、畏友長谷川一郎氏から適切なご助言をたくさん頂いておりました。
今回はそれらのご意見を採用させて頂いたのは勿論です。
厚くお礼申し上げます。
旧版のユニークな高田藤三郎氏による挿画に若干の手を入れて使わせて頂きました。」
(「畏友~」の箇所が差し替わっています。)
青色つきこ
記事: 61
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
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Re: “星名と星座”についての本を読む

投稿記事 by 青色つきこ »

E.B.Knobel, ULUGH BEG’S CATALOGUE OF STARS , 1917

ウルグ・ベグ星表が収められており、ウルグ・ベグ星表に記されているアラビア語・
ペルシア語の星名・星座名等の英訳が付されています。
なお、星名・星座名等の英訳にはF.Steingassの「A COMPREHENSIVE PERSIAN-ENGLISH DICTIONARY」1892
が使われています。

サマルカンド天文台についての歴史については邦文では限られますが。
藪内清氏は次のように記しています。(注にはSayiliの著書があげられています。)
「簿倖だったチムール朝の王ウルグ・ベグUlugh Beg (1394~1449)は、その少年
時代にマラガを訪れた。すでに廃墟となっいたであろうが、ここで受けた強い感銘
がのちにサマルカンド天文台設立の原因となっているのであろう。この天文台の
建設がはじまった年については諸説があるが、サイリ教授Aydin Sayiliは1420年説
に賛成している。
ここでの観測を基礎にして、1437年には新しい天文表が作製され、ウルグ・
ベグの生存中に、きわめて活発に活動していた。しかし、彼が不幸にも殺されて
しまうと、他のイスラム天文台と同じように、見棄てられやがて廃墟となってしま
った。それでもバーブルBaburがここを訪れた1497年には、ほぼそのままに残っ
ていたという。そして今世紀にはいるまで、この天文台は民衆からのワクフ(寄捨)
によって維持されていたが、そのワクフの記録を調査したロシアのビヤトキンVyatkin
がついに所在をさがしあてた。サマルカンド市の東郊にある高さ21mの丘陵の上に
あって、東西85m、南北170mの広さがあり、半径23m、高さ30mの円筒形の
建物のなかに観測器があった。~」
(「イスラムの天文台と観測器械」『文明の十字路』平凡社1962)


バーブル(1483-1530)がサマルカンド天文台について記しているのは自身の随想録
「バーブル・ナーマ」の中でです。
バーブルはティムール朝の王子でフェルガーナの領主でした。
「~コーハンの丘の麓にある天文台で、これは天文表を編纂するための施設である。
三階建てで、ウルグ・ベグ・ミールザーはこの天文台を使って、今日世界中で
利用されている「キュレゲン天文表」を編纂した。~」
(間野英二 訳注、「バーブル・ナーマ1」東洋文庫853、平凡社、2014;
間野英二、「中央アジアの歴史」講談社現代新書、講談社、1977)

バーブルは、三度、サマルカンドに入りましたが、バーブルがサマルカンドから
去った後、サマルカンド天文台の建物がどうなったのか。
(1497年、1500年、1511年;結局ウズベクの反攻に遭い、サマルカンドを奪還すること
は叶いませんでした。そのため、北インドに進出しムガール朝を建てました。)
古いですが堀川徹「ティムール朝末期の内訌をめぐって」1977は面白かったです。
中央アジア史については、いろいろと通史が出ていますので、それらを参考にして
いただくとして、サマルカンド天文台について最近、目にしたものでは
Hamid-Reza Giahi Yazdi, Pouyan Rezvani
Chronology of the Events of the Samarqand “Observatory and School” Based on
some Old Persian Texts: a Revision ,2015
がサマルカンド天文台についての史料や1900年代に入っての文献が載っていて
興味深かったです。

どうして、廃墟となっていったのか。
ウズベクの君主達は天文台の再興には興味がなかったのでしょうか。
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