青色つきこ さん みなさん こんにちは
1970年代に、 池袋本町2丁目の「アストロ」を訪れたことが
何回かあります。
訪問の目的は、望遠鏡や部品の購入などです。
五藤の15cmの再メッキを頼んだこともありました。
※ 同所で再メッキを頼めることは「大原町41」で教えてもらったかしら?
幅広の(木造の?)急な階段を登った2階(3階?)の事務室では
壁の「光学硝子のポスター」などや、人工衛星観測用の望遠鏡が
印象に残っています。
光学硝子の分布図は保谷硝子のものだったと思います
※「クリスタル」の会社が光学硝子を作っていることを
※始めて知ったような気がするので。
人工衛星観測用の望遠鏡は MT-4だと思います。
https://yumarin7.sakura.ne.jp/telbbsp/j ... etno=11345
※エレフレに目がひかれました。
買い物のなかでの一番の「大物」は
R-51の赤道儀+三脚と4cm鏡筒。
※https://yumarin7.sakura.ne.jp/telbbsp/j ... etno=11457
※=【アストロ光学(株)その4】その製品について - 古スコ広場
※※ボール紙を細い鏡筒に巻いています。
※※これをもって福島県へ出かけたことがありました。
※※途中下車の時に駅で預かってもらったのですが
※※今だと(「コイン・ロッカー」には少々大きすぎるし)どうするんだろ。
何回目かの訪問時、階段の途中で漂っていた香り(匂い)で
「レンズの拭き」をしているのかな?と思ったこともありました。
遠い昔話でした...。
アストロ@池袋本町(古スコ調査に敬意を表します)
Re: アストロ@池袋本町(古スコ調査に敬意を表します)
みなさま、こんにちわ。
「M」さま、こんにちわ。
アストロ光学工業(株)の池袋の工場は、もとは映画館だったとお聞きしています。
(工場:豊島区要町→板橋区→1960年代半ばに豊島区池袋に移転)
住宅地図では、建物の階層はわからないし、内部については更にわからないので。
そのようなお話を聞かせてもらえると、とてもありがたいです。
五藤の15cmは、六吋反射南天赤道儀ですか?
私の大原町41は、追加のバランスウエイト(3.5kg)を買いに一度だけ行ったきり、ただ買って帰ってきました。
これがないと話にならなかったので。
アストロ光学工業(株)は、1970年代半ばにチューエツ・グループの傘下に入りました。
ケンコーは、1975年に独自の製品KE型赤道儀、KA型経緯儀を売り出しました、どことなくアストロ製品を
想起させます。
アストロ光学工業にいた方が、ケンコーの工場長に、移っているんですねぇ、似るのも当然かと、今では納得
しています。
「M」さまは、R-51赤道儀はポタ赤として星野撮影用に使用でしょうか。
福島というと、会津磐梯山とか石川町のスターライトフェスティバルを思い浮かべます。
チロ天文台もありますねぇ。
「M」さま、こんにちわ。
アストロ光学工業(株)の池袋の工場は、もとは映画館だったとお聞きしています。
(工場:豊島区要町→板橋区→1960年代半ばに豊島区池袋に移転)
住宅地図では、建物の階層はわからないし、内部については更にわからないので。
そのようなお話を聞かせてもらえると、とてもありがたいです。
五藤の15cmは、六吋反射南天赤道儀ですか?
私の大原町41は、追加のバランスウエイト(3.5kg)を買いに一度だけ行ったきり、ただ買って帰ってきました。
これがないと話にならなかったので。
アストロ光学工業(株)は、1970年代半ばにチューエツ・グループの傘下に入りました。
ケンコーは、1975年に独自の製品KE型赤道儀、KA型経緯儀を売り出しました、どことなくアストロ製品を
想起させます。
アストロ光学工業にいた方が、ケンコーの工場長に、移っているんですねぇ、似るのも当然かと、今では納得
しています。
「M」さまは、R-51赤道儀はポタ赤として星野撮影用に使用でしょうか。
福島というと、会津磐梯山とか石川町のスターライトフェスティバルを思い浮かべます。
チロ天文台もありますねぇ。
Re: アストロ@池袋本町(古スコ調査に敬意を表します)
青色つきこ さん みなさん こんにちは
>アストロ光学工業(株)の池袋の工場は、もとは映画館だったとお聞きしています。
それなりの数の観客が入れる建物とは見えなかった筈で、ちょっと意外ですね。
>五藤の15cmは、六吋反射南天赤道儀ですか?
ご明察! 当時は仕組みがわからないで変わった経緯台だと思っていましたが、
「よそさま」の望遠鏡で、「M」が再メッキの手配をした恰好です。
※「写真工業」をみせてもらったりしていたので松崎真空の名前は知っていた筈ですが
※シロウトには敷居が高かった。
※>私の大原町41は、追加のバランスウエイト(3.5kg)を買いに一度だけ行ったきり、ただ買って帰ってきました。
※>これがないと話にならなかったので。
※そういえば「225」をお使いなのでしたね。(それはさておき)
※次は昔話:「大原町41」編といきますかねぇ。
>... ポタ赤として星野撮影用に使用でしょうか。
R-51赤道儀は「遠征撮影」用に無理をして入手したのですが
遠くに出かけたのは、その1回だけの筈、残念ながら星が良く見える条件では
ありませんでした。 ただし気流はよかったはずで、火星が良く見えたのは
その時のことです。 モーター・ドライブを作ったりしたのですが、
現在は、お恥ずかしいことに、バラバラの状態です。
>アストロ光学工業(株)は、1970年代半ばにチューエツ・グループの傘下に入りました。
>ケンコーは、1975年に独自の製品KE型赤道儀、KA型経緯儀を売り出しました、どことなくアストロ製品を
>想起させます。
>アストロ光学工業にいた方が、ケンコーの工場長に、移っているんですねぇ、似るのも当然かと、今では納得
>しています。
そのあたりも初耳です。(いつもながら)スゴイ調査能力ですなぁ。
その時代の望遠鏡(架台)は(広告で見たぐらいで)馴染みがありません。
アストロ製品も(当時のLN**、R**のあとは)縁が遠くなってしまいました。
ところが、上尾に移ったアストロに出かけたことがあるのです:-
自作15cm鏡を持ち込みで鏡筒を作ってもらいました。
※受け取りに行ったら「コリメーター」に据えてありました...なんともはや!
それからすでに約20年...なんともはや。
>福島というと、会津磐梯山とか
※※※※磐梯山、「M」にとっては湖水(猪苗代湖)越しの姿ですね。
>石川町のスターライトフェスティバルを思い浮かべます。
>チロ天文台もありますねぇ。
「星空への招待」が始まるのが1970年代半ば。石川町SLFは...さらに後、
いろいろなことがありました。
>アストロ光学工業(株)の池袋の工場は、もとは映画館だったとお聞きしています。
それなりの数の観客が入れる建物とは見えなかった筈で、ちょっと意外ですね。
>五藤の15cmは、六吋反射南天赤道儀ですか?
ご明察! 当時は仕組みがわからないで変わった経緯台だと思っていましたが、
「よそさま」の望遠鏡で、「M」が再メッキの手配をした恰好です。
※「写真工業」をみせてもらったりしていたので松崎真空の名前は知っていた筈ですが
※シロウトには敷居が高かった。
※>私の大原町41は、追加のバランスウエイト(3.5kg)を買いに一度だけ行ったきり、ただ買って帰ってきました。
※>これがないと話にならなかったので。
※そういえば「225」をお使いなのでしたね。(それはさておき)
※次は昔話:「大原町41」編といきますかねぇ。
>... ポタ赤として星野撮影用に使用でしょうか。
R-51赤道儀は「遠征撮影」用に無理をして入手したのですが
遠くに出かけたのは、その1回だけの筈、残念ながら星が良く見える条件では
ありませんでした。 ただし気流はよかったはずで、火星が良く見えたのは
その時のことです。 モーター・ドライブを作ったりしたのですが、
現在は、お恥ずかしいことに、バラバラの状態です。
>アストロ光学工業(株)は、1970年代半ばにチューエツ・グループの傘下に入りました。
>ケンコーは、1975年に独自の製品KE型赤道儀、KA型経緯儀を売り出しました、どことなくアストロ製品を
>想起させます。
>アストロ光学工業にいた方が、ケンコーの工場長に、移っているんですねぇ、似るのも当然かと、今では納得
>しています。
そのあたりも初耳です。(いつもながら)スゴイ調査能力ですなぁ。
その時代の望遠鏡(架台)は(広告で見たぐらいで)馴染みがありません。
アストロ製品も(当時のLN**、R**のあとは)縁が遠くなってしまいました。
ところが、上尾に移ったアストロに出かけたことがあるのです:-
自作15cm鏡を持ち込みで鏡筒を作ってもらいました。
※受け取りに行ったら「コリメーター」に据えてありました...なんともはや!
それからすでに約20年...なんともはや。
>福島というと、会津磐梯山とか
※※※※磐梯山、「M」にとっては湖水(猪苗代湖)越しの姿ですね。
>石川町のスターライトフェスティバルを思い浮かべます。
>チロ天文台もありますねぇ。
「星空への招待」が始まるのが1970年代半ば。石川町SLFは...さらに後、
いろいろなことがありました。
Re: アストロ@池袋本町(古スコ調査に敬意を表します)
みなさま、こんにちわ。
「M」さま、こんにちわ。
大原町41編、是非、お聞かせ願いたいです。
TS-225は、私には大きすぎ、赤道儀EM-200を出すのも、それに載せるのも大変で。
カートンのTA経緯台に載せて使えるかも、と今でも思ったりしますが。
「M」さま、こんにちわ。
大原町41編、是非、お聞かせ願いたいです。
TS-225は、私には大きすぎ、赤道儀EM-200を出すのも、それに載せるのも大変で。
カートンのTA経緯台に載せて使えるかも、と今でも思ったりしますが。
Re: アストロ@池袋本町(古スコ調査に敬意を表します)
青色つきこ さん みなさん こんにちは
>大原町41編、是非、お聞かせ願いたいです。
それでは、お言葉に甘えて...といっても、イザ書こうとしても、なかなか出てきません。
※55年前というのは昔ですねぇ。
ということで、とりあえず脱線の「ウダ話」
>TS-225は、私には大きすぎ、赤道儀EM-200を出すのも、それに載せるのも大変で。
>カートンのTA経緯台に載せて使えるかも、と今でも思ったりしますが。
友人が、おなじ組み合わせをもっておりますが、持ち出す機会が少なくなっているようです。
望遠鏡自体についての「M」の感想を記しますと:-
冷える過程で、内外像を観察していると(遮光筒先から立ち昇る?)筒内気流が
(大げさに言えば)1本足の「斜鏡金具」の様に見えます。そして
温度順応に相当の時間がかかる...。しかし、気流がおさまると、とても良く見える筒です。
※当方のC8の場合、筒内気流はあまり気になりません。運用条件(保管/使用時の温度差など)かも
※しれませんが筒長/筒径比も関連するのかしら:C9.25で鏡筒の外側に内気の強制循環路を
※付けた話がありましたね(Sky&Tel.?)
「M」はTA経緯台を2つ持っています。1つは(さきの)友人が(復元可能な)改造をして
10cm級の屈折用として、もう 1つは私が15cm反射用としています:-
小ぶりの屈折用でもEM-200用の重り3.5k x 2が必要。
15cm反射も、六吋反射南天赤道儀ほどではありませんが、重い!
手軽に使うつもりだったのですがねぇ...。
>大原町41編、是非、お聞かせ願いたいです。
それでは、お言葉に甘えて...といっても、イザ書こうとしても、なかなか出てきません。
※55年前というのは昔ですねぇ。
ということで、とりあえず脱線の「ウダ話」
>TS-225は、私には大きすぎ、赤道儀EM-200を出すのも、それに載せるのも大変で。
>カートンのTA経緯台に載せて使えるかも、と今でも思ったりしますが。
友人が、おなじ組み合わせをもっておりますが、持ち出す機会が少なくなっているようです。
望遠鏡自体についての「M」の感想を記しますと:-
冷える過程で、内外像を観察していると(遮光筒先から立ち昇る?)筒内気流が
(大げさに言えば)1本足の「斜鏡金具」の様に見えます。そして
温度順応に相当の時間がかかる...。しかし、気流がおさまると、とても良く見える筒です。
※当方のC8の場合、筒内気流はあまり気になりません。運用条件(保管/使用時の温度差など)かも
※しれませんが筒長/筒径比も関連するのかしら:C9.25で鏡筒の外側に内気の強制循環路を
※付けた話がありましたね(Sky&Tel.?)
「M」はTA経緯台を2つ持っています。1つは(さきの)友人が(復元可能な)改造をして
10cm級の屈折用として、もう 1つは私が15cm反射用としています:-
小ぶりの屈折用でもEM-200用の重り3.5k x 2が必要。
15cm反射も、六吋反射南天赤道儀ほどではありませんが、重い!
手軽に使うつもりだったのですがねぇ...。
Re: アストロ@池袋本町(古スコ調査に敬意を表します)
みなさま、こんにちわ。
「M」さま、こんにちわ。
C8は225の重さも長さも半分くらい、使い勝手はC8がまさりますねぇ。
225は、そのフォルムが好きで私は買ったようなものです。
シュミットカセを作っていたC社、M社、国内N社とは、異なるコンセプトでした。
「M」さま、こんにちわ。
C8は225の重さも長さも半分くらい、使い勝手はC8がまさりますねぇ。
225は、そのフォルムが好きで私は買ったようなものです。
シュミットカセを作っていたC社、M社、国内N社とは、異なるコンセプトでした。
Re: アストロ@池袋本町(古スコ調査に敬意を表します)
青色つきこ さん みなさん こんにちは
>アストロ光学工業(株)の池袋の工場は、もとは映画館だったとお聞きしています。
気になって、池袋本町付近の「過去の空中写真」を見てみました。
現在、東京都豊島区池袋本町2丁目38−15には集合住宅が建っています。
はっきり記憶していませんが、アストロ光学工業(株)池袋工場は
この集合住宅の建物より、大きかったような気がします。
この集合住宅と、(現在は低い塀で隔てられている、)北隣の
(駐車場?の奥に建物がある)区画を合わせた30m x 15m程の
範囲が池袋工場(サービスセンター)の敷地なのではないでしょうか。
1963-06-26撮影の空中写真には、北側に長方形、南側:現集合住宅の
位置に「Eの字」形の2つの建物が映っていますが... なんとなく
しっくりとしません...。
その一方で下板橋駅から歩いていく途中にあった公園のようすが
初回訪問と次回訪問で変化していたことを思い出しました。
このあたりだったといえそうです。
※※
>225は、そのフォルムが好きで私は買ったようなものです。
「M」も「かっこいい」とおもいます。 EM-200がG(ood Design)マーク、というより
TSC225+EM-200が「G」だとも思うのですが、いかがでしょう。
「225」の光学性能の印象(良かったこと)を補足すると、
遮光が効いていてコントラストが良い:(近郊の空では、むずかしい)M97の眼がしっかり。
像のキレも◎:気流のよい晩、しっかり温度順応後にNagler-9mm(type 1)で見た木星はスゴかった。
※※
>シュミットカセを作っていたC社、M社、国内N社とは、異なるコンセプトでした。
国内N社...「M」はNSC-12B、持ってます。
「星の広場」(?)経由というチラシを見たのがきっかけで買いました。
※ このチラシで紹介されていたのがNSC-12なのでしょうか?
※「Bなし」と「B」とは、いろいろ違ってましたね。
幡豆郡一色町まで受け取りにいきました。
※N社を訪問したのはそれを含めて2回(3回?)だったかしら。
人工星and/orテスト・チャートを見せてもらった筈です。
帰宅後、礼状を出すのに、なにかを書かねば、ということで、一生懸命
「あら探し」をしました。 明るい対象で、円弧上の「ゴースト」が見えることを
発見、やっとのことで評価報告ができました:-
接眼鏡なしで観察すると、視野外、中心から特定の角度に光源があると
遮光筒の先端からの反射光が見えます。これが「ゴースト」の原因というのが
「M」の見立てです。※補正版その他からの反射が起こる可能性については不明。
NSC-12B、「M」の印象(良かったこと):-
双眼装置付きで見たγ Vir(Porrima。)
どんどん離角が小さくなる時期だったので楽しかった。
SCTの合焦範囲の広さあっての双眼装置導入だったのです。
DSOでは蔵王の駒草平でみたM22の「見え」がよかった。
※小さな車に載せてもらって出かけた東北の旅で
※天文機材は、双眼鏡とNSC-12Bと写真三脚だけだったと思います。
NSC-12Bの前は10cm(f/10)が最大口径でした。M13とかωとか
球状星団のツブツブは見てはいましたが暗い空+NSC12Bは格別でした。
気流も良かったはずです。
路面に座り込んでちょうどいい高度角、方位角も「道なり」で姿勢が
安定します。尻に伝わる路面の暖かさが、イイ塩梅だったのを覚えています。
>アストロ光学工業(株)の池袋の工場は、もとは映画館だったとお聞きしています。
気になって、池袋本町付近の「過去の空中写真」を見てみました。
現在、東京都豊島区池袋本町2丁目38−15には集合住宅が建っています。
はっきり記憶していませんが、アストロ光学工業(株)池袋工場は
この集合住宅の建物より、大きかったような気がします。
この集合住宅と、(現在は低い塀で隔てられている、)北隣の
(駐車場?の奥に建物がある)区画を合わせた30m x 15m程の
範囲が池袋工場(サービスセンター)の敷地なのではないでしょうか。
1963-06-26撮影の空中写真には、北側に長方形、南側:現集合住宅の
位置に「Eの字」形の2つの建物が映っていますが... なんとなく
しっくりとしません...。
その一方で下板橋駅から歩いていく途中にあった公園のようすが
初回訪問と次回訪問で変化していたことを思い出しました。
ということですので(「M」がはっきり記憶していない)初回と次回の訪問時期は谷端川北緑道|豊島区公式ホームページ さんが書きました: (谷端川の暗渠)覆蓋上部を昭和46年に谷端川第5児童遊園及び遊歩道として
都下水道局より承認を受け、開放してきました。
このあたりだったといえそうです。
※※
>225は、そのフォルムが好きで私は買ったようなものです。
「M」も「かっこいい」とおもいます。 EM-200がG(ood Design)マーク、というより
TSC225+EM-200が「G」だとも思うのですが、いかがでしょう。
「225」の光学性能の印象(良かったこと)を補足すると、
遮光が効いていてコントラストが良い:(近郊の空では、むずかしい)M97の眼がしっかり。
像のキレも◎:気流のよい晩、しっかり温度順応後にNagler-9mm(type 1)で見た木星はスゴかった。
※※
>シュミットカセを作っていたC社、M社、国内N社とは、異なるコンセプトでした。
国内N社...「M」はNSC-12B、持ってます。
「星の広場」(?)経由というチラシを見たのがきっかけで買いました。
※ このチラシで紹介されていたのがNSC-12なのでしょうか?
※「Bなし」と「B」とは、いろいろ違ってましたね。
幡豆郡一色町まで受け取りにいきました。
※N社を訪問したのはそれを含めて2回(3回?)だったかしら。
人工星and/orテスト・チャートを見せてもらった筈です。
帰宅後、礼状を出すのに、なにかを書かねば、ということで、一生懸命
「あら探し」をしました。 明るい対象で、円弧上の「ゴースト」が見えることを
発見、やっとのことで評価報告ができました:-
接眼鏡なしで観察すると、視野外、中心から特定の角度に光源があると
遮光筒の先端からの反射光が見えます。これが「ゴースト」の原因というのが
「M」の見立てです。※補正版その他からの反射が起こる可能性については不明。
NSC-12B、「M」の印象(良かったこと):-
双眼装置付きで見たγ Vir(Porrima。)
どんどん離角が小さくなる時期だったので楽しかった。
SCTの合焦範囲の広さあっての双眼装置導入だったのです。
DSOでは蔵王の駒草平でみたM22の「見え」がよかった。
※小さな車に載せてもらって出かけた東北の旅で
※天文機材は、双眼鏡とNSC-12Bと写真三脚だけだったと思います。
NSC-12Bの前は10cm(f/10)が最大口径でした。M13とかωとか
球状星団のツブツブは見てはいましたが暗い空+NSC12Bは格別でした。
気流も良かったはずです。
路面に座り込んでちょうどいい高度角、方位角も「道なり」で姿勢が
安定します。尻に伝わる路面の暖かさが、イイ塩梅だったのを覚えています。
Re: アストロ@池袋本町(古スコ調査に敬意を表します)
みなさま、こんにちわ。
「M」さま、池袋のアストロ光学工業の建物について調べていただき、ありがとうございます。
アストロ光学工業(株)の工場は、1958.2にアストロ光学(株)の要町の社屋を借り受けて操業。
裁判に敗訴し、板橋区に一時退去、その後、池袋に移転。
裁判内容についてはお聴きしていませんが、現在の土地所有者との関係を辿っていくと思い至る所は
あります。
以前、映画館については調べてみました、どうもこれだという館名を見つけられていません。
(1962年の住宅地図を見ればわかるかもしれません)
どうして、そこに移転したのか、当時の会長(豊島区居住の計理士)or代表取締役小松良基氏(外国映画
の配給会社経営、NET取締役)の繋がり?
高橋製作所の10cmで、1回木星を見たことがありますが、硬い像にびっくりしました。
これで球面鏡なのか、驚きの印象が残っています。TSC225+EM-200は、私も同感ですねぇ。
光学器機メーカーのトップが天体観測に通じていた(趣味にしていた)のは、確かに高橋喜一郎氏ですねぇ。
喜一郎氏が天文の師匠と記しているのが小島修介氏。
日本アストロドームの小森幸正氏もその流れですかねぇ。五藤斉三氏はどうだったんだろう?
小森幸正氏は、小島修介氏より年上だけど、何で小島修介氏の跡を追うように、五藤光学研究所に
そして小島修介氏が去ったアストロ光学工業に入ったのか。偶然と言えばそれまでだが、不思議。
小森幸正氏は野尻抱影氏の教え子、小島修介氏は野尻抱影氏の星の弟子。
ところで、日本特殊光学の工場(作業所?)は、どんな感じだったのでしょうか。
脱線しますが、どこよりも、私は気になります。
日本特殊光学についても、お聞かせ願いたいです。
NSC-12Bは、私も所有しております。
(NSC-12は後年ヤフオクに出品されたのをみて、実際にあったんだとちょっと驚きました)
NSC-12Bは「天文ガイド」の広告で発売を知って、銀座のケンコーショールームで注文、その際に特典
のケンコーの星座パラソルをもらってきました。
5000円プラスすると、鏡筒色を指定できたのも、うれしかった。(愛着も持てるし)
それにあわせて、赤道儀は、三脚は、アイピースはどうしようか、悩みました。
思えば、楽しんでいた頃の愛機でした。でも星像に満足できず、1回再調整してもらいました。
創業者の方が亡くなった後も、日本特殊光学はまだアフターサービスはされていたようで、
主鏡のマルチコート化、鏡筒への50mmファインダー取付脚の設置、鏡筒色の変更を
お願いしています。
結局、月惑星・二重星観測では、どうしても不満を感じてしまい、出番がなくなりました。
今、使っているSpace-10(中古)の方が星像もまあ納得できるし、扱いやすいです。
(個々の製品のバラツキを感じます)
追記
旭光学の建物の件ですが、「"アパート風"な建物」という表現が記されています。
(貿易之日本別冊’80/6「旭光学ー80年代に飛躍する一眼レフのパイオニア」;ほぼ旭光学工業の社史です)
昭和30年代のことのようですが、業績が悪化したときに備えてアパートとして貸出できるよう
に考えられたとのことです。「M」さまが校舎風と言われたのもわかります。
工場建物も、継ぎ足し継ぎ足しで、隣接の土地・建物を買収していったとのことです。
記憶とおりなのではないでしょうか。
「M」さま、池袋のアストロ光学工業の建物について調べていただき、ありがとうございます。
アストロ光学工業(株)の工場は、1958.2にアストロ光学(株)の要町の社屋を借り受けて操業。
裁判に敗訴し、板橋区に一時退去、その後、池袋に移転。
裁判内容についてはお聴きしていませんが、現在の土地所有者との関係を辿っていくと思い至る所は
あります。
以前、映画館については調べてみました、どうもこれだという館名を見つけられていません。
(1962年の住宅地図を見ればわかるかもしれません)
どうして、そこに移転したのか、当時の会長(豊島区居住の計理士)or代表取締役小松良基氏(外国映画
の配給会社経営、NET取締役)の繋がり?
高橋製作所の10cmで、1回木星を見たことがありますが、硬い像にびっくりしました。
これで球面鏡なのか、驚きの印象が残っています。TSC225+EM-200は、私も同感ですねぇ。
光学器機メーカーのトップが天体観測に通じていた(趣味にしていた)のは、確かに高橋喜一郎氏ですねぇ。
喜一郎氏が天文の師匠と記しているのが小島修介氏。
日本アストロドームの小森幸正氏もその流れですかねぇ。五藤斉三氏はどうだったんだろう?
小森幸正氏は、小島修介氏より年上だけど、何で小島修介氏の跡を追うように、五藤光学研究所に
そして小島修介氏が去ったアストロ光学工業に入ったのか。偶然と言えばそれまでだが、不思議。
小森幸正氏は野尻抱影氏の教え子、小島修介氏は野尻抱影氏の星の弟子。
ところで、日本特殊光学の工場(作業所?)は、どんな感じだったのでしょうか。
脱線しますが、どこよりも、私は気になります。
日本特殊光学についても、お聞かせ願いたいです。
NSC-12Bは、私も所有しております。
(NSC-12は後年ヤフオクに出品されたのをみて、実際にあったんだとちょっと驚きました)
NSC-12Bは「天文ガイド」の広告で発売を知って、銀座のケンコーショールームで注文、その際に特典
のケンコーの星座パラソルをもらってきました。
5000円プラスすると、鏡筒色を指定できたのも、うれしかった。(愛着も持てるし)
それにあわせて、赤道儀は、三脚は、アイピースはどうしようか、悩みました。
思えば、楽しんでいた頃の愛機でした。でも星像に満足できず、1回再調整してもらいました。
創業者の方が亡くなった後も、日本特殊光学はまだアフターサービスはされていたようで、
主鏡のマルチコート化、鏡筒への50mmファインダー取付脚の設置、鏡筒色の変更を
お願いしています。
結局、月惑星・二重星観測では、どうしても不満を感じてしまい、出番がなくなりました。
今、使っているSpace-10(中古)の方が星像もまあ納得できるし、扱いやすいです。
(個々の製品のバラツキを感じます)
追記
旭光学の建物の件ですが、「"アパート風"な建物」という表現が記されています。
(貿易之日本別冊’80/6「旭光学ー80年代に飛躍する一眼レフのパイオニア」;ほぼ旭光学工業の社史です)
昭和30年代のことのようですが、業績が悪化したときに備えてアパートとして貸出できるよう
に考えられたとのことです。「M」さまが校舎風と言われたのもわかります。
工場建物も、継ぎ足し継ぎ足しで、隣接の土地・建物を買収していったとのことです。
記憶とおりなのではないでしょうか。