みなさん こんにちは
「M」が「大原町41」を最初に訪れたのは1971年の春(*1)でした。
(*1) 途中で、「カチカチ」を上手にやっている人を見かけたのを
ハッキリ覚えています。 その流行は、ごく短かったようですので。
※https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカンクラッカー
※※示準化石みたいですね。
訪問時、「M」が利用した駅は「本蓮沼」か「常盤台」ですが、
そのときは「常盤台」からトコトコ歩いていきました。
駅前から北北東方向に進んで「富士見街道」に突き当たって
右折。 それ(「SB通り」とも言ったかな)を100m程進んで
電気屋さん(日立だったか)の所で左折すると、
後は道なり(前野町を抜けていく)...というのが
「常盤台」からの定番ルート。
※地図を見ると、そんなことは思い出せるのですが
※その初めての時、何が目的で出かけたかは、覚えていない!
とおいむかしに池袋本町から移転した 、アストロとは異なり
「大原町41」の事業所は、ずっと現役であることから
訪れたことのある人も(「M」より良く知っている人も)
多いと、と思います。ですから興味を持ってもらえる「新情報」など、
ほとんど無いはずですが...この初めての訪問の時点で
「現社屋は、まだ無かった」というのはいかがでしょう?
当時の事務所(平屋だったと思います)に入ると、そこは
少し変わった、板敷(と「たたき」もあったか?)の空間でした。
カウンター(「クリーニング屋」にあったような背の高いヤツ)の
後ろに、恰好の良い望遠鏡が置いてありました。
その日、相手をしてくださったのは...喜一郎さん
(だったと思います。) その望遠鏡は、おそらく「D型。」
「極軸高度角が工具なしで調整できるんだよ」と
実際に指でクルクルと回して見せてくれた穏やかな
(誇らしさのまざった)笑顔が、今も浮かんできます。
※(目を丸くしていた「M」 :-)
つぎに訪れるときには、現建屋に変わっていてびっくり!
※1年経っていない筈なのですがねぇ。
数台の望遠鏡を並べた「展示室」の、明るい窓の外の
区営住宅に(そのころは)桜の木があったのかしら。
「M」が10cm反射直焦で撮影したM42のスライドを、
持っていったら、「どれどれ」とルーペを持ち出した、社長が
一言...とかね... いろんなことがありました。
(「M」の好みはサクラカラーでした。)
※※
「とりとめのないはなし」の、さらに余談ですが
前野町を抜けていく路のすぐ近くに旭光学本社がある
のに気がついたのは、しばらく後だった筈です。いつもと、
ちょっと違う道を歩いていたらビックリだったのかな:
低層で横長の、校舎のような建物で「PENTAX」と大きな
文字が掲げてあったような気がします。
SP/SL(/SV)を(借りて)さんざん使っていたのに、
望遠鏡を作っている会社、ということは、なぜか頭に
浮かばなかった。
※※
さて大原町41。ずっと後年になって、その近くの
店へ出かけた(安売りの「Dremel」を買った?)とき
なつかしさにまかせて訪れてみると、出ていらしたのはなんと
喜一郎さん。「もう展示室はないのだ...」と短い会話の中で
鉄道模型屋へ来たことにふれると、
「むかしは鉄道模型もやったねぇ...」と、うかがった
(ボンヤリとした)記憶があります。
大原町41@1971〜
Re: 大原町41@1971〜
みなさま、こんにちわ。
「M」さま、ありがとうございます。
その定番ルートを手元にある住宅地図(1973)で辿ってみました。
常盤台駅からトコトコ、(ここだな)電気屋さん「日の丸電器」を左折、道なりにトコトコ(けっこう歩くなぁ)。
旭光学が少し奥まってある。アサヒペンタックスSPⅡもありましたねぇ。
通りをはさんで高橋製作所の向かいが前野町アパート。なるほど、なるほど。
高橋製作所を通り越して、しばらく行くと、かっては双眼鏡屋さんの(私が思うに)巣窟みたいな界隈があります。
当時の旭光学工業の建物の写真は書籍等で見ますが、高橋製作所の平屋の建物は見たことがないですねぇ。
1971年当時、高橋製作所の敷地は建物(事務所・工場)が立ち並んでいたのでしょうか。
(もちろん行ったことはありませんが)駐車場的なスペースが割合とあったような感じがするのですが。
10cm反射は自作でしょうか。エクタクローム、フジクロームもありましたねぇ。
いつも思うのですが、喜一郎氏と小島修介氏はどこで知り合ったのか。
小島修介氏の旭光学勤務時代(1952春-1954秋)なのかなぁ~?
「M」さま、ありがとうございます。
その定番ルートを手元にある住宅地図(1973)で辿ってみました。
常盤台駅からトコトコ、(ここだな)電気屋さん「日の丸電器」を左折、道なりにトコトコ(けっこう歩くなぁ)。
旭光学が少し奥まってある。アサヒペンタックスSPⅡもありましたねぇ。
通りをはさんで高橋製作所の向かいが前野町アパート。なるほど、なるほど。
高橋製作所を通り越して、しばらく行くと、かっては双眼鏡屋さんの(私が思うに)巣窟みたいな界隈があります。
当時の旭光学工業の建物の写真は書籍等で見ますが、高橋製作所の平屋の建物は見たことがないですねぇ。
1971年当時、高橋製作所の敷地は建物(事務所・工場)が立ち並んでいたのでしょうか。
(もちろん行ったことはありませんが)駐車場的なスペースが割合とあったような感じがするのですが。
10cm反射は自作でしょうか。エクタクローム、フジクロームもありましたねぇ。
いつも思うのですが、喜一郎氏と小島修介氏はどこで知り合ったのか。
小島修介氏の旭光学勤務時代(1952春-1954秋)なのかなぁ~?
Re: 大原町41@1971〜
青色つきこ さん みなさん こんにちは
>…双眼鏡屋さんの(私が思うに)巣窟みたいな界隈があります。
そこが例の「歴史本」(*1)に出てくる所なのですか??
常盤台駅方面から来て高橋製作所を通り越して、「中山道」へ出るまでは
狭くて、工場の高い塀が続く恐い道で、(逆方向に)本蓮沼駅からの訪問時は
緊張して通った覚えがあります。
(*1)『ツァイス激動の100年』
※ 日本ではツァイスの双眼鏡の”まがいもの”作っていて
※ しかも、それらを”ツァイス型”と呼んでパクリを認めている:プンスカ!
※そこで”巣窟”へ乗り込んでみると... という記述があった気がします。
※※=(文庫版を持っているけど所在不明ですので)イイカゲン。
※※※※(ただし「プンスカ」とは書いていなかった筈ですが... :-)
それにしても、住宅地図は強力な情報源ですね。
※※
>当時の旭光学工業の建物の写真は書籍等で見ますが、
>高橋製作所の平屋の建物は見たことがないですねぇ。
もうすっかり「おぼろげながら」の世界です。ただ、その平屋の位置は現社屋とは違っていたような...
※ちなみに「当時の旭光学工業の建物」を画像検索して「答え合わせ」をしましたが
※記憶にある(と思っていた)のと同じ姿は見つかりません。
※※すっかり改竄されている/記憶違いのようです。
※※ですからTSに関する記憶もあてになりません。
>1971年当時、高橋製作所の敷地は建物(事務所・工場)が立ち並んでいたのでしょうか。
同社の鋳物は、土間に鋳型を並べるやり方だったようなのです(おそらく今も。)
ですから、ある程度の広さが必要のはず。※例の「平屋」は、そんな鋳物場だった?
※ https://www.kaisyahakken.metro.tokyo.lg.jp/old/kigyou/takahashijapan/
※= 「株式会社 高橋製作所 | 輝く技術 光る企業 | 東京カイシャハッケン伝」に小さな写真が出てます。
※前に見た、海外からの寄居?工場の訪問記では、もっと広い作業場で「ひしゃく」を
※使っているようすが紹介されていました.
初回訪問時に、「M」は「新社屋が建設中」とは認識できなかったので、次回訪問時に
驚いたわけです。 建設の間の生産をどこでしていたのか?という問題もありますね。
寄居工場ができる前は、大原町の工場には、おっしゃるように数棟が並んでいた、
(しかし「M」は気づかなかった)ということかもしれません。
>(もちろん行ったことはありませんが)駐車場的なスペースが割合とあったような感じがするのですが。
いま衛星写真/streetviewで見ると、ほとんど住宅で埋まっている感じです。
初回訪問時、「平屋」の周辺や、別の会社の工場との間には、もっと「間」が
あった気がするのですが...。
国土地理院の過去の「空中写真」(*2) をしらべると、参照できる1963年頃も
1975年頃も、今と、あまり違わない感じなのです。1971年春が特別だった?
(*2) 地図・空中写真閲覧サービス「https://service.gsi.go.jp/map-photos/」は
当方の旧式非力なhardware/softwareではキツイので
地理@沼津高専(佐藤 先生提供): https://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/
(ウェブ地図コンテンツ集>ウェブで過去の地形図や空中写真を見る)を利用させていただきました。
※ Leaflet版の方が最大拡大率が高い(?)
※右パネル下方の「地名(住所)で地図を検索」が便利。
※※
>10cm反射は自作でしょうか。
TS式10㎝反射赤道儀初代(スークーさんによればゼロ型)です。モータードライブは自作。
ただし、「高精度ウォームギヤ」換装と同時に「システム化」改造を受けています。
※「TS式65mm屈折赤道儀」では、まだ小島修介氏の影響?が大きかった:-
※ 赤道儀については、外形、チリメン塗装など、「アストロ」他と似た雰囲気が残っている
※※鏡筒は少し違ってきているけれど(太い接眼筒など。)
※それに対して「10㎝反射赤道儀(初代)」は(D型より先だと思いますが)ちょっと違う。
※これが「初代TS式赤道儀」と思うのですがいかがでしょう。
※※
>エクタクローム、フジクロームもありましたねぇ。
エクタクロームは...高かった。 郵送で現像に出したことが、1回あったか。なかったか。
フジクロームは背景(夜空)が緑になりましたよね。 そこで「M」の好みはサクラ。
※※
>いつも思うのですが、喜一郎氏と小島修介氏はどこで知り合ったのか。
そうですね、商売(仕事)つながりで紹介されたのが先なのか。
そうでなく、天文趣味を通じて知り合ったのが先、だったとすると
天文同好会の線ですかねぇ。
>小島修介氏の旭光学勤務時代(1952春-1954秋)なのかなぁ~?
※旭光学とTS,事業所同士が意外に近いですよね。
※ でもまあ、池袋から板橋にあった会社は、み〜んな近いもの同士だったのかな。
※常盤台北口の住宅街は、工場街とちょっと違う雰囲気ですが、
※今も、板橋区の事業所一覧(光学関連)で「*常盤台*」という住所が、結構多い。
※池袋から志村方面、光学関連工業地帯は連続しているようです。
※東長崎、下板橋、大山、中板橋、常盤台、本蓮沼、トコトコ歩けちゃう範囲ですものね。
たくさんの会社の中(特に、望遠鏡作りに関わっていた会社)の経営者で
望遠鏡を、(単なる使用者以上に)趣味者の視点で理解していた方は
喜一郎さんの他にもいらしたのでしょうかねぇ。
>…双眼鏡屋さんの(私が思うに)巣窟みたいな界隈があります。
そこが例の「歴史本」(*1)に出てくる所なのですか??
常盤台駅方面から来て高橋製作所を通り越して、「中山道」へ出るまでは
狭くて、工場の高い塀が続く恐い道で、(逆方向に)本蓮沼駅からの訪問時は
緊張して通った覚えがあります。
(*1)『ツァイス激動の100年』
※ 日本ではツァイスの双眼鏡の”まがいもの”作っていて
※ しかも、それらを”ツァイス型”と呼んでパクリを認めている:プンスカ!
※そこで”巣窟”へ乗り込んでみると... という記述があった気がします。
※※=(文庫版を持っているけど所在不明ですので)イイカゲン。
※※※※(ただし「プンスカ」とは書いていなかった筈ですが... :-)
それにしても、住宅地図は強力な情報源ですね。
※※
>当時の旭光学工業の建物の写真は書籍等で見ますが、
>高橋製作所の平屋の建物は見たことがないですねぇ。
もうすっかり「おぼろげながら」の世界です。ただ、その平屋の位置は現社屋とは違っていたような...
※ちなみに「当時の旭光学工業の建物」を画像検索して「答え合わせ」をしましたが
※記憶にある(と思っていた)のと同じ姿は見つかりません。
※※すっかり改竄されている/記憶違いのようです。
※※ですからTSに関する記憶もあてになりません。
>1971年当時、高橋製作所の敷地は建物(事務所・工場)が立ち並んでいたのでしょうか。
同社の鋳物は、土間に鋳型を並べるやり方だったようなのです(おそらく今も。)
ですから、ある程度の広さが必要のはず。※例の「平屋」は、そんな鋳物場だった?
※ https://www.kaisyahakken.metro.tokyo.lg.jp/old/kigyou/takahashijapan/
※= 「株式会社 高橋製作所 | 輝く技術 光る企業 | 東京カイシャハッケン伝」に小さな写真が出てます。
※前に見た、海外からの寄居?工場の訪問記では、もっと広い作業場で「ひしゃく」を
※使っているようすが紹介されていました.
初回訪問時に、「M」は「新社屋が建設中」とは認識できなかったので、次回訪問時に
驚いたわけです。 建設の間の生産をどこでしていたのか?という問題もありますね。
寄居工場ができる前は、大原町の工場には、おっしゃるように数棟が並んでいた、
(しかし「M」は気づかなかった)ということかもしれません。
>(もちろん行ったことはありませんが)駐車場的なスペースが割合とあったような感じがするのですが。
いま衛星写真/streetviewで見ると、ほとんど住宅で埋まっている感じです。
初回訪問時、「平屋」の周辺や、別の会社の工場との間には、もっと「間」が
あった気がするのですが...。
国土地理院の過去の「空中写真」(*2) をしらべると、参照できる1963年頃も
1975年頃も、今と、あまり違わない感じなのです。1971年春が特別だった?
(*2) 地図・空中写真閲覧サービス「https://service.gsi.go.jp/map-photos/」は
当方の旧式非力なhardware/softwareではキツイので
地理@沼津高専(佐藤 先生提供): https://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/
(ウェブ地図コンテンツ集>ウェブで過去の地形図や空中写真を見る)を利用させていただきました。
※ Leaflet版の方が最大拡大率が高い(?)
※右パネル下方の「地名(住所)で地図を検索」が便利。
※※
>10cm反射は自作でしょうか。
TS式10㎝反射赤道儀初代(スークーさんによればゼロ型)です。モータードライブは自作。
ただし、「高精度ウォームギヤ」換装と同時に「システム化」改造を受けています。
※「TS式65mm屈折赤道儀」では、まだ小島修介氏の影響?が大きかった:-
※ 赤道儀については、外形、チリメン塗装など、「アストロ」他と似た雰囲気が残っている
※※鏡筒は少し違ってきているけれど(太い接眼筒など。)
※それに対して「10㎝反射赤道儀(初代)」は(D型より先だと思いますが)ちょっと違う。
※これが「初代TS式赤道儀」と思うのですがいかがでしょう。
※※
>エクタクローム、フジクロームもありましたねぇ。
エクタクロームは...高かった。 郵送で現像に出したことが、1回あったか。なかったか。
フジクロームは背景(夜空)が緑になりましたよね。 そこで「M」の好みはサクラ。
※※
>いつも思うのですが、喜一郎氏と小島修介氏はどこで知り合ったのか。
そうですね、商売(仕事)つながりで紹介されたのが先なのか。
そうでなく、天文趣味を通じて知り合ったのが先、だったとすると
天文同好会の線ですかねぇ。
>小島修介氏の旭光学勤務時代(1952春-1954秋)なのかなぁ~?
※旭光学とTS,事業所同士が意外に近いですよね。
※ でもまあ、池袋から板橋にあった会社は、み〜んな近いもの同士だったのかな。
※常盤台北口の住宅街は、工場街とちょっと違う雰囲気ですが、
※今も、板橋区の事業所一覧(光学関連)で「*常盤台*」という住所が、結構多い。
※池袋から志村方面、光学関連工業地帯は連続しているようです。
※東長崎、下板橋、大山、中板橋、常盤台、本蓮沼、トコトコ歩けちゃう範囲ですものね。
たくさんの会社の中(特に、望遠鏡作りに関わっていた会社)の経営者で
望遠鏡を、(単なる使用者以上に)趣味者の視点で理解していた方は
喜一郎さんの他にもいらしたのでしょうかねぇ。