SWIFT

「古スコ広場」 懐かしの望遠鏡、昔欲しかった望遠鏡、古い望遠鏡や産業を語りましょう
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青色つきこ
記事: 175
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
お住まい: 日本/Japan

SWIFT

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちわ。

Swift Instruments,Inc.は、米国において日本製天体望遠鏡・双眼鏡等を取扱う卸売業者のひとつでした。
Swift Instruments,Inc.は、R.W.Swift(1950年没)によってSwift&Anderson,Inc.として1926年に設立され、
1959年に当該名称になりました。
かって、日本にもスイフト商会東京支店がありました。
正式名称は、スイフト・インスツルメンツ・インターナショナル・エス・エイ 東京支店です。
Swift Instruments International S.A,は、SAという名称からもわかるようにパナマ籍の法人です。
本店も東京支店と同様に1959年9月9日に設立され、外に米国ボストン、サンホセ、ニューヨーク、シカゴ
に支店がありました。
社長のR.W.Swift Jr.は、Swift Instruments,Inc.の社長でもありました。
Swift Instruments International S.A,は、Swift Instruments,Inc.の輸入部門だったと考えられます。
北米双眼鏡市場調査団(編) 「調査報告書 北アメリカ」日本双眼鏡輸出振興事業協会 1964の中に
スイフトに触れている箇所があります。
「有力輸入業者であるスイフト社を例にとると、ハワイ、アラスカを含む全米に12,000程度の
販売組織網を持ち、主要都市に事務所を設置している。そして東京に代理機関を置き、メーカーとの接触
を保って品質、デザイン等製造に関する種々勧告、要望をおこなっている。」
東京支店長の松田氏は、1958年に設立された相互産業株式会社(英語名 Associated Manufacturers' Agency)
の役員でもありました。
相互産業株式会社は、東洋実業から独立した方々が起した商社で、Swift & Anderson,Inc.と取引がありました。
相互産業株式会社とスイフト商会東京支店は、常に同居しており、まるで一心同体のようです。

スイフトをキーワードに、プレ・TSを含めて、小島修介氏の晩年について考えてみたいと思います。
青色つきこ
記事: 175
登録日時: 2023年6月12日(月) 23:44
お住まい: 日本/Japan

Re: SWIFT

投稿記事 by 青色つきこ »

みなさま、こんにちは。

スイフト商会東京支店 は、相互産業と共に何度か移転をしていますが、平成11年に解散しました。
スイフト・インスツルメンツ自体が無くなったのだから..、(U.S.A.国内のことなので) 経緯は不明。
Swift天体望遠鏡について言えば、
《(日本テレスコープ;小島氏が急逝し頓挫)⇒(AMA;組立は高橋)》⇒ TS ⇒ Carton ⇒ Towa
の順でスイフト商会東京支店は取り扱った、と考えています。
また支店長は松田氏から尾崎氏に代替わりしています。
高橋が自社ブランドで参入、それを一時スイフトは取り扱いましたが...を考えてみるのも必要かも
しれませんが、広がり過ぎるので、まあ、止めておきます。

相互産業はその後も存続していましたが、既に解散しました。

日本テレスコープですが;
小島氏が日本テレスコープ(正式には日本テレスコープ工業株式会社)の名称を添えるようになったのは、
「天文と気象」1959年8月号への寄稿からでした。
以降、小島氏の寄稿には日本テレスコープが添えられます。
日本テレスコープについては、先にエドさまが法務局で調査をしていますが、会社登記簿は保存されて
おらず、手書き文書に社名の記載があるだけという結果でした。
日本テレスコープについては、これまでを踏まえながら、新規収集した資料を基に書き記しておきます。
設立(会社登記)月日については、依然として、この日と特定はできませんが、1959年夏(1959.7)と考えて
います。
新たに収集した資料(公文書)から、活動を停止した(従業員を解雇した)のは1960年6月、修介氏が5/11に
急逝後は夫人が代表者になっていたのがわかりました。
時期は不明ですが、日本テレスコープの所在地が練馬区下石神井から板橋区志村に移転した裏付けもと
れました。(1960年初頭か。)

小島氏の経歴については、これまでの調査(古スコ広場時代の集中調査)に加え、別に収集もしているので
アウトラインはわかっています。そのうえで;
これまでも取り上げられてきましたが、高橋喜一郎氏が「星の手帳」に寄稿したものは小島氏の会社を
日本テレスコープでとおしていることについて一言。

小島氏がある紳士録に寄せた経歴は最初の掲載版(1958)ではアストロ光学、次の版(1960)では日本テレス
コープにそっくり差し替えられています。
原因のひとつに考えられるのは、1958年2月のアストロ光学の労働争議で、新聞で取り上げられ、別に
「世情を騒がせた」との記載もある事件です。
会社登記簿上では、小島氏は2/8付でアストロ光学の取締役を辞任(退社)しています。
そして、アストロ光学が従業員を解雇したのは2/14、そしてアストロ光学工業が従業員を採用したのも2/14。
マクロ光学工業の挨拶状からはこれまで育て上げてきたアストロ光学を去らねばならなかった無念さが伝わっ
てきます。
喜一郎氏の件の文章は、(アストロ光学ではなく)日本テレスコープとして小島氏にふれることで、小島氏の
意にも沿うものであり、アストロ光学の件に触れず、高橋の業界参入を無難に説明していると、私は思っています。
併せて、Swift 831,838,839の説明書が小島氏にふれているのは、喜一郎氏に拠るものではないのか、またはスイ
フト商会東京支店長の松田氏?と考えています。

アストロ光学工業の発起、アストロ光学の倒産騒動、新旧アストロ光学の並立については、アストロ光学工業が
関わってくるので、もう少し先延ばしに。

日本テレスコープの所在地について書いておきたかったのですが、前段が長くなってしまったので..ひとまず筆を
おきます。
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